Note No.6

小説置場

まばゆしければ

 ガードレールに腰かけたままで夜空を見上げた千歳は目を細めた。ビルの合間から、真っ黒な夜にぽっかり開いた穴のような満月が出ている。ちかちかと光る電飾や、ネオンの看板に比べれば控え目な光であると思った。だけれど眩しくて、千歳は目を細める。
「次ファミレスだってさー」
 早々に外へ出てきた千歳を追ってきたクラスメイトが声をかける。幹事に代金を渡したその他のクラスメイトも続々出てきて、道路に溜まっていく。気の利いた誰かが端に寄るよう促す声を聞きながら、千歳は月から視線を引きはがした。おどけた調子で口を開く。
「この辺のファミレスって何だ? 俺中華食べたい気分なんですけどー」
「俺は肉の気分なんですけどー」
「…まあ、大概どこのファミレスにも肉は存在する」
 答えると、クラスメイトは楽しそうにだよなー、と笑った。軽い笑い声だった。
「ボーリングの後はファミレスで腹ごしらえ、最後は花火で解散?」
 今日は文化祭の打ち上げというわけで、クラスの人間のほとんどが参加している。大体そんなもんだろうと予測をして尋ねれば当たり! と返される。冬だったらカラオケになったり、鍋になったりいろいろ変動はあるけれど、予想をするのは難しくない。男ばっかりだったらラーメン屋とかの可能性もあるけれど、今回は女子だっているのでそんなことにはならないだろうと踏んだのだ。
 幹事が清算を終えたらしく、一団はずるずると移動を始める。集団にもなりきれない集まりがのたのたと移動していき、千歳は最後にガードレールから腰を浮かした。歩き出せば、満月が後ろからついてくるのがわかる。ちらり、と視線を飛ばすとやっぱり目を細めてしまう。
「ん、何、ゴミでも入ったんか」
 まばたきを繰り返しては目を細くする千歳に気づいたクラスメイトが声をかける。千歳はゆっくりと首を振ってから、静かに答えた。
「まぶしいんだよ」
 首すじを焼くような、ちりちりとした光を感じている。振り向けば大きな満月が食らいつくしてしまいそうにたたずんでいる。真正面から向かい合ったら目など射抜かれてしまいそうだ。
「えー? 何がだよ。そんなまぶしいもんあるか?」
 ガラスにでも反射してんの? と言ってぐるりと周りを見渡すが何も見つからなかった。脇を走る車のヘッドライトもそんなに強くはないし、一番大きな光と言ったらビルのてっぺんにある看板の明かりだろうとは思うが、まぶしいというほどではない。ビルの窓に灯った明かりや、大通りの店の看板、店内の照明で光は溢れているけれど、まぶしいかと言われればそんなことはない、とクラスメイトには断言できた。しかし、千歳はもう一度繰り返す。
「月が、まぶしいんだよ」
 瞳をいたわるようにゆっくりと瞼をこすりながらの台詞に、クラスメイトは返す言葉を失った。まぶしい? 月が? あることさえも忘れかかってた、あの月が?
 千歳は怪訝そうなクラスメイトの声にもちろん気づいていたが、何も言わなかった。変なことを言っている自覚はある。今輝いている月は満月だから、明るいといえば確かに明るい。真っ暗な部屋に差し込めば、多少の文字くらい読めるだろう。だけれど、こんな街中ではまぶしいわけがない。千歳たちの通う高校のある辺り、田んぼだらけのあの辺りならばともかく、ネオンの輝くこんな繁華街でまぶしいものは他にある。だけれど、確かに千歳には月がまぶしかった。目の奥まで突き刺さるような月の光が、痛かった。
 床板に薄らと格子の影が出来ていた。青い影だったと思う。寝る前にそれで影絵を作っていたこともあるから間違いない。しかし、今格子の影ははっきりしない。黒々とした液体の上では、影はよく見えない。俺は―と千歳は思う。俺は、どうすればいいかわからなくて、だけど、このままではいけないことだけはしっかりわかっていたんだ。のろのろと立ち上がると、力をなくした体を抱きかかえて部屋の真ん中に寝かせた。ずっしりとした重みが腕に痛くて、だけどまだあたたかくて、余計にどうしようもない気分にさせられた。全員をここに連れてこよう、とぼんやり思っていた。それからの記憶は、千歳にとって曖昧だった。フィルムに傷がついた映画のように途切れ途切れで、次に映し出されるのは、同じ部屋でぼんやりと障子を眺めている風景だった。全員の体を運び終えて座り込んでいた。腕が重くて、これ以上動きたくないな、と思っていたのを覚えている。
 そろそろと手を動かすと、ぱらぱらと何かが剥がれて落ちていった。ぼんやりした頭で血の固まりだろうと考えている。寝かせた体の一つに手を伸ばして、髪を撫でたらやわらかかった。遊びつかれて一緒に眠ったら汗だくで湿っていた髪。あの日みたいにやわらかなのに、嘘みたいに冷えている。一人一人、己の手で瞼を閉じさせた顔を覗き込む。笑っているような泣いているような怒っているような脅えているような顔をしていた。熱を失った体に触れながら、最期の約束を思い出している。もしも、もしも、生まれ変わったなら―。
 月が出ていたんだ、と千歳は考える。最後の一人を運んだ時閉め忘れた障子から、一条の光が差し込んでいた。図ったように、満月の姿が見えた。寺を取り囲む竹やぶがざあざあと揺れている。丸くて強いお月さまが、部屋中を照らしていた。血の海に横たわる、俺が殺した人たちを、まばゆい光が映し出していた。
「まぶしかったんだ」
 聞こえないくらい小さな声で、千歳はつぶやいた。あの夜の記憶を放棄することを許さないように、全てを強く照らしていた月の光が、脳裏から離れない。それはきっと、こんな月の夜だった。まぶしくて痛くて、俺のものじゃない俺の記憶が掘り起こされる。
「なんてなー。たぶんゴミでも入ったんだろ」
 軽い口調で言えば、クラスメイトも笑い返してきた。突然何言うかと思ったじゃん、と笑うから「騙されたか!」と言ってやる。クラスメイトが何おう、とじゃれ付いてきた所でファミレスに着いた。
「毎原何食うの」
「えー俺はやっぱりラーメン?」
「ファミレス来てまでかよ!」
「だって中華の気分なんですー」
 くだらないことを言い合いながら入っていくと、すでに席についていたクラスメイトから手招きされて席に滑り込む。部屋に入ってしまえば月はもう見えない。あのまばゆくも美しい光と、今だけはさよならだ。