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Note No.6

小説置場

ほんとはね、

 過去の話はしない。という決め事があったわけではないけれど、言う必要もなかったから特別そんな話をしたことはなかった。というより、みんな漠然と知っていたから、という方が正しいのかもしれない。千と日出と大治は農民だし、悟は商家の息子で、史は旅回りの一座の子だという。榮信はいまいちわからなかったが、名前とやたら仏教に詳しいのと本人がたまに言うので、寺の息子だったことが判明している。唯一わからないのは愛之助だったのだ。
 いつものように夕食の準備を悟と大治が手伝い、配膳が完了した。本堂で全員が車座に座り、手を合わせる。本日の献立は雑穀、日出と千が川で取ってきた魚を焼いたもの、愛之助が漬けておいたべったら漬け、野草やらキノコをごった煮にした汁物、である。今日も今日とて、食事は愛之助の手によるものだ。村人からの差し入れがあったり、自分たちで手に入れたりしているとは言っても食材が豊富にあるわけでもない。食物を無駄にせず、それでいてきちんと食べられる―というより普通においしい食事に出来るのは愛之助しかいなかったので、必然的に全員の食事を一手に引き受けることになっている。
「ああ、今日もおいしそうだねぇ。ありがとう」
 伴内先生が糸のような目をさらに細めて、にこにこと愛之助に笑みを浮かべる。いつものことなので慣れきった愛之助は適当にうなずいておく。史と大治と悟は、つられるように律儀にありがとうございます、と頭を下げる。やっぱりこれもいつものことだし、榮信は言葉にはしないけれど視線がそう言っている。一番言うべきじゃないかと思う人間二人は食事に関心が持っていかれてそれどころではない。
「ほら、さっさと茶碗寄こせ」
 涎を垂らさんばかりの千と日出に言うと、ものすごい速さで茶碗が差し出される。掃除しろって言ったらいつもこれくらいの速度で反応してくれたらいいのに、と思いつつこんもりよそってやる。お預けをされた犬のように、ただじっと膳を前にして座る二人の様子はいつ見ても笑えるよなぁ、と思いながら全員分をよそい終える。
 それを合図にしたように、伴内先生が「いただきます」と手を合わせれば全員それに倣い、食事が始まる。愛之助も袖をまくってくくっておいた紐を外して箸を手に取った。
 過去の話はしない。という決め事があったわけではないし、何だかんだでほとんど全員バレている中でたった一人、過去が不明であればいつか聞かれるだろうとも思っていた。だから、意外ではなかったのだ。食事の席で「うまい」と言いつつ頬をいっぱいにした日出が「そういえば」と切り出したのは。
「愛ちゃんって、何してた人なの?」
「やっぱり食事系? 料理してたひと?」
 当たり前のように千が言葉をつなぎ、愛之助は汁椀を持ったままで固まった。いつか聞かれると思っていたし、別に不自然ではない。それはわかっているのだけれど。伴内先生だけが愛之助の行動に気づいていたけれど、何も言わない。
 言ったことで何かが変わると思っているわけではない。今までの言動から考えて、驚きはするけれどそれだけのはずだ。だけれどそれでも、拭いきれない不安があった。自分の身分が尊いものであるとか、農民や商人が賤しいと思っているわけでもない。だけれど、村において武士の子が異質であることだけはわかっている。たまに訪れる武士は尊大で、自分のために村人が動くのは当然だと思っているような人種だ。あれと同じだと思われるのだけは嫌だったし不安だった。
 嘘を吐いても、伴内先生は何も言わないだろうとわかっていた。うまくあわせてくれて、最後まで嘘を吐き通してくれる気がした。だから、適当なことを言ってもよかった。愛之助は汁を飲み干して膳に置くと、短く言い切る。
武家の跡取り」
 嘘を吐いてもよかった。だけれど何より嘘を吐きたくなかった。だから、真っ直ぐ目を見て言った。
 日出と千は阿呆のように口をあんぐり開けていた。大治の手から箸が転がり落ちた。悟はいつも通りのようだったけれど顔が固まっているし、史は明らかにどうしよう、という顔をしていた。変わらないのは榮信だけで、知ってたのか、と思った。愛之助は何も言わずに、ぱりぱりとべったら漬けを食べた。これ以上自分から言うことはないと思ったから、食事に戻るしかない。
「え…先生…」
「本当だよ」
 ぎこちなく尋ねた千の言葉を、伴内先生はあっさりと肯定した。過去を知る唯一の人物が認めるなら嘘ではない。第一、愛之助がこんな嘘を言うような人間だとは誰も思っていない。
 気にしないふりをしながら食事を続ける愛之助だが、内心反応が気になって仕方ない。突然罵倒されるだとかは思っていないが、武士の子として一線を引かれるのだけは勘弁だ。武家の跡取りとは言っても、恐らくとっくに断絶しているだろうし、ここにいるのはただの愛之助で家のことは関係ないのだから。
「愛ちゃんって、武士の子だったんだ…」
 呆然とつぶやかれる日出の言葉に、愛之助は身構える。一体どうなってしまうんだろう、と思っていた。のだけれど。
 次の瞬間弾けたのは、明らかな笑い声だった。見れば、大口を開けて千と日出が笑っている。大きな声で喉を開いて、すこんと突き抜けるような気持ちのいい笑い声をあげて、大爆笑していた。
愛之助、料理上手すぎだろ!」
「跡取り息子におさんどんさせてる俺たち、すごくね!」
 目の端に涙を溜め、笑っているというか笑い転がりだした。その様子は決して無理しているものではなく、本当に心からおかしくてたまらないらしい。その反応は予測していなかった愛之助は、どう反応していいかわからない。
「…まあ、確かに。武家の跡取り息子のわりに、愛之助料理うまいよね」
 苦笑めいたものを浮かべて榮信が言えば、だろーと千が同意する。愛之助は「うち貧乏だったんだよ」と答える。
「台所近かったから覚えてたし。厨房入らなくていいって言われてたけど…何でも食わなきゃやってらんなかった状態で、料理見てたんだよ」
 散々見てきた料理なので、今現在も応用しているのだ。他の面子も言葉を取り戻したらしく、次々と質問が飛んでくる。
「…愛之助くん、お家は大丈夫なの?」
「旗本御家人って言っても貧乏御家人ですから。やっていけなくて断絶でしょ」
 跡取りがここにいる時点でおそらくそうなのだろうけれど、あまり後悔はない。仕官も出来ずにいた身の上だし、武士の誇りが芽生える環境でもなかった。
「でも、愛ちゃん言葉遣いアレじゃないの?」
 日出が指しているのは所謂候文のことだろうとは察しがついた。愛之助は軽く答える。
「やろうと思えば出来るけど、疲れるし。大体、俺の家は貧乏長屋の隣にある荒れ屋敷だぜ。つかまつるとかそれがしだとか言ってたらやってらんねえって」
 阿呆らしいし、お高く止まっていると思われるのがオチだろう。そうなっては物々交換も出来ず、早々に干上がってしまう。
「…それじゃ、愛之助さんはずっとここにいるんですよね」
「どこにも行かない?」
 響きの違う質問は、悟と大治から発せられたもので、愛之助は満面の笑みで答える。ああそうか、そういうことだったんだ。
「行かねえって。俺ここ以外行く場所ないし、食事の面倒見なきゃいけないし」
 武士の子であることが一線を引くんじゃないかと思っていた。どこか違う風に見られるんじゃないかと思っていた。だけど、こいつらにとって問題はそこじゃなくて。武士の子だってことは笑いの種で、今ここにいる俺だけが問題で、家はどうなっているのかどこにも行かないかの方が重要だった。
 ふと伴内先生を見ると、愛之助に向けてにっこりと笑った。きっとこうなることもわかっていたんだろう。愛之助は、「これからも食事の面倒お願いします!」と声をそろえて叫ぶ日出と千へ、「落ち着いて食え!」と怒鳴りながら、満面の笑みを浮かべている。