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Note No.6

小説置場

虧月

(殺したくない)


 誰かの悲鳴が耳に聞こえた気がして、大貴は目を覚ましてしまった。見慣れた天井が目に入り、布団の中で大貴はふっと息を吐く。それは安堵のためではなく、またか、という自分に対する呆れが滲むものだった。
 いつの頃からかは覚えていないし、はっきりとしたものではなかった。いつからか見ている夢は曖昧でおぼろげで、具体的に何が起きているのかを理解出来ることはなかった。唯一明瞭なのは、強烈に感じている後悔だ。しかも、それは単純な後悔ではないような気がしていた。いくつもの感情が複雑に絡み合って、そうして出来た後悔だ。
 大貴は体を起こして、布団の中で自分の胸に手をあてた。どっどっと鼓動を刻む心臓は、あの夢を見た後だと少し速い。一体何を意味しているのかはわからないのに、焦燥のような後悔のようなものが胸の中に溜まっていく。
 最近よくあの夢を見るようになった、と大貴は思う。恐らく精神的に不安定になっているのだろうな、という予測はついた。ここ最近、学校へ登校することが出来なくなってからよくあの夢を見ている。そんな気がする。そういえば、と大貴は布団の中で考える。あの夢を見た後に感じるのは、早鐘を打つ心臓ともう一つ、どうしようもない吐き気だ。その吐き気を、大貴はこの前体験していた。
 授業の一環で竹姫伝説を調べることになった。図書館の地域資料とやらを読めばいくつか竹姫伝説についての資料はあったし、そんなことなくても、小学校の生活あたりで伝説は一通り知っている。だから、取り立てて目新しいことがあったわけでもないし、あんな風に吐き気を催す原因なんてどこにもなかった。それなのに、あの時大貴は、一つずつ並べられていく竹姫伝説にどうしようもない気持ち悪さと嫌悪を感じていた。声になることはなかったけれど、汚らしさと不潔さに叫びだしたい衝動に駆られていた。絶世の美女とされる竹姫。伝説上の人物だし、実際どれだけ美人だったのかだとか、そういう下世話な好奇心があったわけじゃない。ただ強烈に「違う」と感じていた。身分違いの悲恋とも噂されるその伝説に、耳を塞ぎたくてたまらなかった。これ以上聞いていたくなくて、竹姫の話を知りたくなくてしゃがみこんだ大貴は、こらえられずにその場で戻してしまったのだ。
 以来、教室に入るのが嫌だったというのも本当だ。からかわれるのは目に見えていたし、変なあだ名をつけられるかもしれない。それが嫌だったのは本当だけれど、それだけではない。あのどうしようもない気持ち悪さを、再び感じることが怖かった。
 大貴はそっとベッドからおりた。スリッパを履いて部屋を出る。階段をくだり、台所まで行くとコップにミネラルウォーターを注ぐ。きんと冷えた水を一気に喉まで流し込むと、頭がすっきりと覚醒したような気がした。
 竹姫伝説と、あの夢を見た後は少し似ている、と大貴は気づいている。それが何を意味するのかまでは理解していないしわかるつもりもなかったけれど、その符号が嫌だった。あの夢の先を、知りたくないと強く思っている。
 だって、と大貴は思った。飲み干したコップをシンクに置いて、暗闇に沈んだリビングをぼんやりと見つめながら、胸中でそっと言葉を吐く。
 だってあの後悔は、誰かを殺してしまった後悔だと、本当は知っているんだもの。