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Note No.6

小説置場

色深し

「遠い日のうた」

 地元の図書館で必要な資料を持って、自習席へ行った。本を広げて、いざ読み始めようとしたらかたりと前方の席に人が座った。何の気なしに顔をあげた史哉は、思わず口を開けて目の前の人物を見つめてしまう。
「あれ、史哉も来てたんだ」
 驚いたような栄介は、すぐに笑顔を広げるとそんなことを言った。
 栄介は史哉の前に並べられた資料で、大体のことを察したらしい。教養科目のレポートだったことが幸いして、栄介が的確な助言を与えてくれる。昔似たような題で書いたことあるからねーと言いながら、お勧めの資料を持ってきてくれたおかげで、史哉のレポートはとんとん拍子に進んだ。八割がた出来上がった所で、そういえばここまで付き合わせてしまった、ということに思い至り、目の前の栄介へ視線を投げる。
「ん? わからないことあった?」
 栄介は頬杖をつきながらにこにこと史哉を見ていた。長い時間つき合わせているにも関わらず、まるで不快には思っていないらしい。それ所か、疑問を感じているなら助けてくれる心積もりである。史哉は大いに恐縮した。
「ごめんなさい、栄介さん。栄介さんも用があって来たんですよね。それなのにつき合わせちゃって…」
 史哉の言葉に、栄介は朗らかに笑った。いーのいーの、とあっけらかんと答えて、史哉の様子見てるのも楽しいからね、と付け加える。
「…楽しいですか?」
「うん。一生懸命、没頭してる所を見るのはなかなか」
 一度のめりこむと他のことが目に入らない性分だということは、小さい頃から自覚していた。それをつまらないと言われたりいい加減にしろと言われたりしたことは多々あったが、おもしろいと言われたのははじめてだ。史哉はどう反応していいものか戸惑う。
「こうと決めたら真っ直ぐそこに突っ込んでいける、てある意味才能だと思うからね。そういう人を見ているのは、気持ちがいいよ」
 史哉の戸惑いなど意に介さず、栄介はそう言った。飄々と人を食ったような言動をすることもあるし、からかったりすることもあるけれど、今は違うと史哉にはわかった。心からそう思っていることくらい、真っ直ぐとした目を見ればわかる。
「ありがとうございます」
 だからお礼を言ったら、栄介は意外そうな顔をした。しかし、すぐに「いえいえ」と首を振り、頭に手をのせるとぽんぽん、と叩いた。ゆったりとしたリズムで一体何をされているのかすぐにはわからなかったけれど、頭を撫でられているんだな、とわかった。唇をゆっくり引き上げて嬉しそうにそうやって頭を撫でられるので、史哉はなすがままになるしかない。しばらくそうしていた栄介だったが、ふと我に返ったように手を離す。温もりと一緒に離れていった手を見ると、栄介と目が合った。何だかばつが悪そうな顔をしていた。
「…ごめん。子どもみたいなことしちゃって」
 傷ついたような顔で言うから、史哉は慌てて首を振る。確かに驚いたけれど、嫌ではなかった。何だかとても当たり前みたいな、そんな気がしていた。だから、謝ることなんてない。そうすることが自然だったような気がするくらいだ。
「…栄介さん、これそろそろ終わるので。そしたら、お茶でも飲みに行きませんか。奢りますよ」
 これのお礼に、と言ってレポートを示す。栄介はしばらく逡巡してから、それじゃあ好意に甘えようかな、と笑った。史哉は安堵して、残りのレポートを片付けてしまう。
 とりあえず借りた資料を鞄に入れて、二人は図書館を出た。紅葉した木々の間を通り抜けながら、世間話のように「これは何て木でしょうね」と問いかければ、栄介はすらすらと「あれは楓、こっちが銀杏で、奥のは欅」と答える。すごいですねぇ、と心から言えば、小さく微笑んだ。
「お茶飲みに行くって、どの辺り?」
「駅の方ですけど、駅までは行かないんです。裏道にあるから」
 他愛ない話をしながら道を歩く。時たま沈黙が落ちるのに、それは決して不快ではない。話し続けなければ、という強迫観念もなくただのんびりとした時間が流れている。没頭しすぎるのは悪い癖だと言われたけれど、それを楽しいと言ってくれたからだろうか、と史哉はぼんやりと考えている。
「…あ、栄介さん。行こうと思ってるの、和菓子屋なんですけど、平気ですか?」
 栄介は紅茶やコーヒーを飲んでいるイメージがあったので、洋菓子の方が好きかもしれない、と思い当たった。それなら、駅前の喫茶店に行けばいいだろうか。
「平気。ていうか、和菓子好きだよ。緑茶も抹茶もほうじ茶も好き」
「それはよかったです」
 お茶おいしいですよね、と言ったら栄介が笑った。顔中に笑みを広げて、あざやかに色づくような笑顔でうなずいた。