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Note No.6

小説置場

臥待月

 不思議な人だった。昼日中の明るい内にやって来る行商人とは違って、その人が訪れるのは決まって夜が更けてからだ。その人の姿をちゃんと見たことはあんまりないのだけれど(何せとっくに寝ている時間だから)、一度だけ見たことがある。隣村のお祭りに行って、随分遅くなってしまった時だ。父ちゃんたちにどやされるのを一時でも短くしたくて急いで帰った。すっかり暗くてちょうちんの火も消えてしまって、やっとこ村まで入ってきた時だった。名主さんの家の分かれ道、大きな桜の木の根元にぽつりと人が座っていた。ぼんやりとした明かりが、雑草を照らしている。
 左にそれていけば自分の家だった。だけれど、それがあの行商人だと知ったら自然と足が止まってしまった。だってどうせ、怒られるじゃ済まない時間だ。しばらく飯はないだろう。立ち止まった気配がわかったはずなのに、その人は何も言わない。自分から止まっておいて、何を言えばいいかなんて自分でもわからなかったから、自然黙っていることになる。虫の声がかすかに響く。
「臥待月、というのですよ」
 その人はこちらを見ずに、ぽつりと言った。突然の言葉にも関わらず、その台詞はとても自然だった。ずっと前から決まっていたように、その場にあつらえたように当たり前だった。その人は綺麗な顎の線をしていた。黒々とした髪は長くて、後ろで一つにくくっている。月の光を受けた肌は青白い。
「御覧なさい。あの月を」
 細くすっきりとした指先で、出たばかりなのだろう月を指す。満月が欠けてしまった月を示して、その人はまた言った。
「臥待月、というのですよ」
「…なんだそれ」
 その人は、そこでようやくこっちを見るとにっこりと笑った。線の細い人だったけれど、間違いなく男ではある。傍らに置いた行李は重そうだし、あれをかついで来たのだからなかなか体力はあるのだろう。
「伏して待つ頃に出る月、ということです」
 出るまでに時間がかかるから、寝て待っている月、という意味だと知ったのは後のことだ。その時は詳しい意味なんて知らなかったから思ったままを答える。
「寝る頃にならないと出て来ないなんて、あんたみたいだ」
 その行商人は、黒い目を大きく開いた。かと思うと一笑する。とてもおかしい冗談でも聞いたみたいだった。その人はほう、と息を吐くと再び月へ視線を飛ばす。横顔しか見えなくなる。
「ある意味では、その通りなのでしょう」
 子らが寝静まってから訪れるのが私めの商いでございますよ、と唇から言葉がこぼれ出る。
 その行商人が、村の真ん中にある寺のために様々な物資を提供し、刀剣の類まで扱っていることを知ったのは、それから幾年月も経った頃の話だ。