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Note No.6

小説置場

先触れ

「遠い日のうた」

 この場所をバイト先に選んだのは、時給とか勤務時間とかそういうこともあったのだけれど、一番は立地条件だったのかもしれない。駅前にある建物で、しかも二階なので駅から出てくる人間を観察するには持って来いだったのだ。
 だからと言って具体的にどうしようと思っていたわけじゃない。今まで全然かすりもしなかった。突然目の前に現れるわけでもなし、ほとんど惰性みたいなものだ、と自分では思っていたし間違ってもいなかったと思う。ただ、大事な部分に目をつむっていただけで。
 探さなかったわけでもないし、調べることはきちんと調べた。幸い日本史教師はこの辺が専門だったので、有益な話は聞けた。記憶にある村の名前や、三役やら名主やらも記録と合致していた。この辺を治めていた領主に、村に来ていた武士の名前まで覚えていたことが幸いして、記憶の照合はそんなに困難じゃなかった。教師には「よく調べたなぁ」と感心されたけど、その辺は当然煙に巻いておいたし。(まさか、覚えているんですなんて言えるわけがない)
 だけど積極的に会いたいと思って動いていたのかと言われると、首をかしげてしまう。会いたくないかと問われたら首を振る。会いたいのかと聞かれたら思いっきりうなずくだろう。だけど本当は、会いたくて仕方ないのに、同じくらい会いたくなんてなかった。
 だって知っている。何か一つ、正しい方向へ進めたなら。もっとはやく気づいていたら。上手く手を打てていたなら。そうしたら死ななくて済んだことを、よく知っていた。俺が殺してしまった、未来も命も、何かもを奪ってしまった六人と、どの面下げて会えばいいのか。
 駅前というのは案外多くの人が出入りする。高校生の時から電車通学だったからそれは知っていたし、だからこそもしかして――という期待もあったのだけれど、それはあっさり砕かれた。大体、高校時代なんてそんなに駅に入り浸っているわけでもないし当然なのだけれど。だから、大学に入ってさてバイトを探すか、という時に「もう一度駅を見張っていたら?」という考えが頭をもたげたのだ。高校の時は難しかったけれど、バイト時間くらい駅にはりついていたらあるいは、と思った。
 しかし予想は裏切られて、はかばかしい成果は得られなかった。第一に、仕事を覚えるのに手一杯で窓の外なんて見ている余裕が生まれるわけがない。それでも隙を見ては観察していたのだけれど、中々難しい。無駄なまでにいい視力のおかげで顔の判別は出来るのだけれど、探している人間の年齢もわからないのだ。それ所か、確実にこの時代のこの場所に生きているという確証があるわけでもない。発見できたらそれこそ奇跡というものだ。
 だから、一年経つ頃にはわずかな希望とほとんど惰性で、外を見ていた。しかしそんな時に、思いがけない場所で奇跡というものは起こるのだということを、つくづく実感することになる。
 時間通り夕方からのシフトに入り、引継ぎを済ませると店内を見渡す。客は数人ちらほらいるだけなので、店内清掃をすることにした。ちらちら、と駅の方を眺めながら鉢植えに水をやり、トイレを掃除する。あらかた終わって手を洗っていたら、シフト前からやって来ていた客の一人が、会計に向かったのでレジへ急ぐ。ブレザー姿だったので高校生だということはわかった。いつもの通り伝票を受け取り、レジを行おうとした、その時。そう、まさに「雷に打たれたような」という表現がぴったりだった。
 いつだって、ふわふわとした笑みを浮かべていた。一見するとひ弱にも見えたけれど、そうじゃないことは誰だって知っていた。何にだって一生懸命で、どんなことだって絶対投げ出さなかった。まっさらな信頼を寄せて、やわらかに笑ってくれた。
(ふみ)
 最初はどううやって扱えばいいかわからなかった。だからずっと放っておいたのに、邪険にされたとめげることもなく後ろをついてきてくれた。読んでいた書物に興味を持って、読み方を教えたらすいすいと染み込んでいくのが楽しかった。いつだって、どんなことにでも一生懸命な子だ。何があったって、どんなことだって、史だったら投げ出したりなんてしないと知っていた。あの子はどんな時も、俺たちを包んでいた。
 どんな顔をすればいいかわからなかったはずなのに。見つけた瞬間湧き上がったのは、紛れもないいとおしさ。罪悪感でも、後ろめたさでもない。胸の奥からじわじわと、にじみだして湧き出るのは、全身が痺れるほどの歓喜だ。
 声をかけようと口を開く。でも何て言えばいいんだろう? いきなり前世の記憶なんて言い出したら単なる怪しい人間だ。それでもこのまま見過ごしていいのだろうか、やっと、やっと見つけたのに? 逡巡はしていたけれど、視線はしっかりと史をとらえている。やや茶色がかった髪、濡れるように光る黒い瞳。間違いなくここに、生きている。
「…、…」
 何を言えばいいかわからなかったのに、何かを言わなくては、と思った。恐らくその時、俺は大層変な顔をしていたろう。笑おうと思ったのに、胸が塞がって眉が寄ってしまう。泣くつもりなんてないのに、笑っていたいのに。史は俺を見た。黒い目を大きく開いて、真っ直ぐ俺を見る。何かを、言おうと思うのに。
「…あの、会計、いいですか?」
 先に口を開いたのは史だった。怪訝そうな顔をして、困った表情を浮かべて、俺を見ている。支払いをしたいのに中々動いてくれない、そういうことだと理解するのに数秒を要した。史は戸惑うような笑顔を浮かべたままだ。どうしたんだろう、何かしたかな、そういう顔。
「あ、…申し訳ありません」
 伝票を受け取り、震える指でレジを打つ。史はそれに安心したのか、俺の手元をぼんやり眺めているだけだ。会計を待つ人がそうするように、至って当たり前のような顔をしている。別の店でレジを待っているのと何ら変わらない態度で、史は俺の前にいる。
 金額を告げると財布から紙幣を取り出し、丁寧にトレーに置いた。心臓を落ち着かせながらお釣りを返すと、ぺこり、とお辞儀をして店を出て行く。ただ無言で背中を見送る。階段を下っていった史の頭が見えなくなった所で、やっと体から力を抜いて、大きく息を吐く。どっど、と心臓が早鐘を打っている。
「……」
 今のは夢だったのだろうか、と思った。史だと思った彼は別人だったのだろうか、と思ったのだけれど。彼の姿を網膜に映した瞬間、脳みその奥、頭や心臓よりもっと深くて強い場所が叫んでいた。史だ、史なんだ! と叫んでいた。間違いだとか正しいだとかそんなものを超越して、全ての細胞が叫んだのだ。ここにいたのは史だった。間違いなく、いつだってやわやわと微笑んで、どんなことにも全力だった史。
「……はは」
 だけれど、彼は覚えてなんかいなかった。俺の顔を見ても怪訝そうな顔をするだけで、そこら辺ですれ違う誰かと何ら変わりのない反応を示しただけだった。その可能性は漠然と予想していたけれど、いかんせん自分が覚えていたものだからみんなそうなのではないかと思ってしまっていたのだ。
「……高校生か」
 茶色のブレザーに赤いネクタイがどこのものかはわからないが、高校生ということは間違いない。少なくとも俺とは3、4歳差らしい。あの頃と一緒だろうか。
「…元気そうだったな」
 一見した所、特別健康を害している風でもない。健やかに、何に脅かされることなく笑っていてくれたらいいと、思う。たとえ何一つ覚えていなくたって。今この世界で、大事な人と刃を向け合うこともなく暮らしていけるなら、それでいい。
 それからも観察を続けていたら、どうやら日出らしいのを発見した。頭が見事な金色だったので驚いたけれど、まあ日出ならやりかねないな、と思ったのだが。
 史はたまにうちを訪れるので、とりあえず元気だということはわかるので幸いだ。さらに、しばらくしてからは愛之助もうちに来たので、だいぶ面食らった。もっとも、喫茶店に来るのが史と愛之助というのも納得してしまって、最初に来た時は思わず笑ってしまったけれど。確かに、性格からして千やら日出やらがこんな喫茶店を訪れるとは思えない。悟や大治ならあり得るかもしれないけれど。
 愛之助も日出も、俺のことは覚えていなかった。少し試してみたけれど、不思議そうな顔をするだけで何も知らないようだった。それでもよかった。それでよかった。俺が殺してしまったこの子たちに合わせる顔なんてないのだ。史が俺を覚えていなかったのも、今となっては幸運だった。
 もしかしたら、最年長者の俺だけが覚えているのかもしれない。そうであるなら、過去のことなど何一つ引き摺らずに今を生きているなら、もうそれでいいだろう。俺がその分を背負っていくから。ただここで、俺はみんなを見守っているから。