Note No.6

小説置場

100億光年の慟哭

 一体何度この言葉を吐き続けてきたかなんて、もう覚えちゃいないんだ。

 

 部屋のカーテンをしゃっと開く。窓を開ければ生温い夜風が入ってきて、俺は大きく息を吸った。湿ったような夜のにおい。明日は雨が降るかもしれない。夜を全部溶かして、何もかも真っ黒に塗りつぶしてしまえばいいのに。そうしたら俺の頭もみんな真っ黒になって、ぐちゃぐちゃになって、何もわからなくなる。こんな思いをしなくていい。俺だけがこんな風に苦しまなくて済むんだ。
 窓枠に手をついたまま、夜空を見つめる。昔からこんな風に星は輝いてきたけど、俺が今見る星はなんてまばらなんだろう。昔はこの空を埋め尽くすくらいあったのに。林間学校で見た、満天のほしぞら。みんなが「わあ」って歓声をあげて、「スゴイ」って囃し立ててたあのほしぞら。あんなの、どうってことない。あの頃俺たちが見ていた星空に比べたら、大したことないじゃないか。あんなもんじゃなかった。もっと、もっと空は近くて星に手が届きそうで零れ落ちてしまいそうだったじゃないか。そうやって言いたかったのに、言いたい相手は一人もいなかった。
 そんな時、俺の胸はたまらなく締め付けられる。きゅうっと鳴って、叫びだしたいような暴れまわりたいような、どうしようもない気分に襲われるんだ。どうしたらいいかなんてわからない。叫びたい。泣きたい。喚いて、周りのもの全部ぐちゃぐちゃに壊してやりたい。だって、俺が話したい相手は一人もいない。みんなが内緒話をするように、こっそり思い出を告げる相手が俺にはいない。俺の中にある、ちっちゃくてささいで、それでいて何より輝いている思い出を、こっそり耳打ち出来る相手を知っているのに。俺の目の前には決して現れない。俺だけが持ってて俺だけが待ってて、他の誰にも伝わらない。
 握りしめていたサッシが手のひらに食い込んでいて痛い。そっと離すと、くっきりと跡がついている。だけどどうせ、消えてしまう。今ここにあるはずの痛みも、明日になったら消えてしまうだろう。何もなかったみたいな顔をして、痛みは平然と去って行く。
(おぼえているのに、)
 ぎゅっと拳を握った。温い夜風を頬に受けながら、目を閉じる。思い出すのは、ちらちらと瞼の裏に浮かんでは消えていくのは、一体いつの俺の記憶なんだろう。俺のじゃなくて、だけどそれはやっぱり俺のもの。痛くて苦しくて、泣きたくて辛くてどうしようもないほど狂おしい。あの夜を覚えているのに、どうして、どうして。
 一人じゃないと知った。あの頃につながる人たちと巡り会った。嘘じゃないってわかって、本当だって知って、俺は確かに震えたんだ。俺の頭がおかしかったんじゃない。あの日見た夜空も、一緒につないだ星の形も、指差して確認した指先の白さも、嘘じゃなかったって知った。喜びだけではなかった。それは安堵にも似たもので、ほっと力が抜けたのを覚えている。
 ああ、これでやっと。これでやっと、俺はちゃんと話が出来る。俺の話を聞いて、そうだねって笑い合える。待っていた人たちがやっと現れた。俺の手のひらは小さすぎて、零れ落ちてしまいそうないろんなものを、やっとみんなが受け取ってくれる。そう思っていたのに。
(どうして、おれはおぼえているのに)
 確かに安心したのに。嬉しかったのに。どうして、当たり前みたいな顔で「はじめまして」って言うんだ。あの頃の笑顔と同じなのに、同じ笑顔で「よろしく」なんて言うんだ。もっと前から知ってるじゃないか。よろしくなんてそんなの、いまさらだろう。言いたかったのに、無理やり呑み込んで笑うしか出来なかった。ああ、同じじゃなかったと、知ってしまったから。
 目を開く。たゆたうような夜が目の前には横たわっていて、この闇の暗さは変わらない。あの頃より随分灯りは強くなったけど、同じくらいに闇の濃さも増したような気がする。この闇に紛れてしまいたかった。何もかも、俺の記憶にはびこる俺のものではない、だけど俺の一番大事な記憶ごと。闇に飲まれて消えてしまえたら、俺はきっと楽になれる。
 それを選びやしないってわかってるけど、願うくらいは許されたっていいじゃないか。願うくらい、祈るくらい、叫ぶくらい、許してくれよ。
(どうして)
 淡い星の瞬きを目にとらえる。あの星の輝きは、今ではもう消えてしまったものかもしれない。もうない光を、俺は受け取っているだけなのかもしれない。今この瞬間に輝く光を、俺は決して受け取れない。ここでこうして、声にならない叫びをあげる俺の声も、きっとどこにも届かない。
 一体何度、この言葉を吐き続けたかなんて、もう覚えちゃいないんだ。あの頃と同じ顔で笑うアイツを見るたびに、あの頃と同じ顔で同じ声で隣に立つアイツにむかって、何度も聞いた。擦り切れるまで心の中で唱え続けた。だけど答えはない。放たれるだけの光のように、声にならない慟哭は、きっと誰にも受け取られないまま消えてゆくしかないんだろう。

 

(どうしてお前は、なんにもおぼえていないの)