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Note No.6

小説置場

「遠い日のうた」

 腹が減ったとわめくから、適当に何かを出してやることにした。別に苦労じゃないし、大体冷蔵庫には食材が入っているし、マトモな食材は全部俺のバイト代から出ているんだから問題はないだろう。
 それに、ちょっとしたお題でも出されているような気分でわりと楽しいのだ。迷惑どころか、新しい遊びの一環みたいなもんだから、気に病む必要は全然なかった。それに、対面式キッチンのおかげで居間の様子は手に取るようにわかる。別に一人きりでこもっているわけじゃないし、必要があれば声をかけるから特に問題はない。
 全員それをわかっているので、特に何を言うでもなくそれまで通り居間でくつろいでいる。無駄に広い部屋なので距離は随分遠いから、何を言っているかはわからないけど、時々響く笑い声がここまで届く。それをBGMにしながら、まな板の上で包丁を動かしている。こんな風景を、俺はほとんど知らない。無駄に立派な台所の癖して、使っているのは精々俺一人だ。対面式なのに、これがきちんと機能している所なんてほとんど見たことがない。精々、見栄か必要に迫られて行ったとしか思えない、付け焼刃のホームパーティくらいだろう。
 冷蔵庫の中身も貧相で、レトルトや冷凍食品ばかりが充実している始末だ。食材が入っていることなんてそうそうなくて、あっても酒のつまみになりそうなものばかりなのだ。まあ、好きなように出来るから有難いといえば有難いわけだが。
 つらつら考え事をしつつ、適度な大きさに切ったさつまいもをボウルに入れていく。この前大量に買ったので、今日の献立はさつまいもで決定である。炒めてよし、揚げてもよし、で中々万能だし、おやつにも最適だろう。
「亜伊?」
 味付けをしていたら名前を呼ばれた。顔をあげると、そこには千歳が立っていて「何かやることある?」と聞いてきた。ここだけだと、気の利く感心なヤツといった所だが、恐らくそうじゃないだろうな、ということがわかる程度には付き合いがある。大体、こいつが来るならそれ以前に来ていそうな面子が居間にいるのだから。
「どうした。罰ゲームか」
「あらら、バレた?」
「わかるだろう。お前食う専門のくせに」
 申し訳程度には手伝いもするが(皿洗いとかそれくらい)、調理の段階で手伝った試しはほとんどない。本人曰く「プロに任せた方がいいじゃん」だ。
「いやほら、何だかんだで亜伊のこと気にするでしょ」
 目を細めて居間を示すので同意しておく。確かに、何か作ってくるから、と言ったら真っ先に「手伝います」と言うのが誰かなんてよくわかっている。今回はそんなに量がないから大丈夫だ、と言っておいたのだが。
「悟一も大貴も、『亜伊さんの手伝いしてきてください』と来ましたよ」
 思った通りの名前に、唇がほころぶ。それほど大変なことではないのだけれど、どういうわけかあの二人は色々と気にしてくれている節がある。ともすれば息苦しくもなる気遣いが、あの二人にかかったらとても自然なことのように思えてしまうから不思議だ。
「何の罰ゲームなんだよ」
「人生ゲーム。ボードゲームとか懐かしすぎるわ」
 からから笑いながらシンクに立って手を洗う。口を酸っぱくして言い続けた所為なのか、とりあえず台所に入ったら手を洗う、という点は実行している。秀人辺りだとすっぱり忘れ去っているが。
「つーか、最近のゲームってえげつないよな。俺、途中までは億万長者だったのに株取引失敗してどんだけ負債抱えたと思ってんの」
 俺は株取引なんかやらないのにー、と唇を尖らせている。どうやら、さっきのゲームで最下位だったがための罰ゲームで、ここへ手伝いに来ることになったらしい。別にいないならいないで構わないのだが、二人の好意を無かったことにするのも躊躇われる。
「で、何作ってんの?」
 邪魔はしないだろうから、手伝いをさせることにして、献立を答える。大学イモとさつまいもスティック、それから甘辛炒めを少々。甘いものばかりだと、栄介さん辺り飽きるだろう、という判断だ。俺の答えに千歳は顔を輝かせて、「頑張る! 俺超頑張る!」と気合いを入れている。
「じゃあ、お前は…まあ、味付けを頼んだ」
「え、そんな重大なことを俺に任せていいの?」
 ボウルを渡すと大袈裟な口調でそんなことを言う。俺は肩をすくめて心から答えた。「食い意地張ってるからな」
「美味いモンを食いたいって思ってるヤツがやった方がいいだろ」
「あー…史哉さんとかとんでもないもんな、その点」
「そうだろう」
 某かに熱中していると、食事を取ることさえ忘れるのだ。なので、食事に対してそこまでの思い入れがないらしく、味付けにこだわりがない。そういう点を考えると、食い意地が張った人間はわりと味付けに妥協がないので、適任だと思う。
「それに、千歳。お前に包丁を持たせると危なっかしくて安心出来ん」
 切るのは俺がやるから、お前は味付けに専念しろ。キッパリ言うと、千歳は笑いながら「慣れてないんだから仕方ねーじゃん」などと言っている。まあ確かに、男子高校生が包丁を手にする機会はそうないだろうから、間違ってはいないのだろうが。
「包丁を怖がり過ぎなんだ、千歳は」
 慣れていないから、というよりも恐る恐るといった調子で包丁を握っている。慎重に扱っているというよりも、単純に怖れていると言った方が正しいんじゃないかと思う。唇を噛んで、真っ直ぐに視線を注いで、鈍く光る刃を見つめている姿を目にした時から、ほとんど確信してしまっているのだ。
真剣な顔をして、研ぎ澄まされた刃先の意味を問い質すような。おろそかに扱ってはならない、一つ間違えれば命さえも奪うことが出来る凶器なのだと、必要以上に言い聞かせているような。そんな視線が持つ意味は、間違いようもなくはっきりとした、鈍く光る刃への恐れなのだと。