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Note No.6

小説置場

美しい罪

 きっとこの温もりを忘れられないことが、


 生まれた時から言い聞かされてきたことだったから、何の疑いもなく受け入れていた。村の人たちが畑を耕すことに何の疑問も抱かないように、商人が算盤を弾くことを不思議がらないように。私にとってそれは至極当然な、当たり前のことだった。
 人並みに悩むこともあったし、反発することもあった。それでも、私には選択の余地がないことも、本当は充分に承知していたのだ。この村で、伴内の家に生まれた時点で、もう全ては決定していた。本当に拒絶したいのなら、私は私であることを止めなくてはならなかったはずなのに、それを選ぶこともせずただ能書きを垂れていただけだった。
 疑問を挟まず成長し、知恵がついてからはそれなりに反発も覚えた。だけれど結局の所私は、根っこの部分では受け入れてしまっていたのだろう。長い間こうして過ごしてきて、抗うことなど出来ないのだと。自分自身がこうして生かされたのは、詰まる所こういうことなのだと。もしかしたら、反発したことさえ真実ではなかったのかもしれない。もうとっくにこうして生きていくと決めてしまっていたから、ひとでなしとして生きていくのだとわかっていたから、せめて反発する素振りくらいしなくては、と思っただけなのかもしれない。
 だから恐らく私は、上手くやれていたのだろう。思いがけなく父が早世し、若い身の上で家を継ぐことになった。それを随分心配されていたようだけれど、名主や三役たちと顔を合わせ、何かと話をしていく内に、これなら問題ないだろう、という結論を導き出すことが出来た。実際私は自分でも、上手くやれると信じていたのだ。元々頭の回転が悪い方ではなかったし、同年代の中でも飛びぬけて大人びた考え方をする子どもだった。紆余曲折はあったけれど、落ち着いた大人としての分別を手にしたと思っていた。きっと上手くやれる。問題なく、自分自身に課された使命を全う出来ると、疑いなく信じていた。
 名主がその子どもを連れてきた日のことは、よく覚えている。村の近くで行き倒れになっていたという少年は、手厚く看病をされてすっかり回復していた。最初こそ警戒していたらしいのだけれど、名前と年齢を聞き出すことには成功したようだ。だからこそ、私の前にこうして立っている。
「私はここの家の者だよ。広い場所だから、遠慮なくここで暮らしておくれ」
 出来るだけやさしい笑顔を浮かべて、そう言った。目の前にいる少年はじっとこちらを見つめていた。怯える様子もなければ、遠慮している風情もなく。何かを見通そうとするように、ただ真っ直ぐと視線を注いでいる。
 何も気取られないよう、人のいい笑顔を浮かべてその視線を受けていた。一体どれくらい経ったのかはわからないけれど、やがてその少年は息を吐いた。ふ、という音がしたかと思うと、ぺこりと頭を下げて言ったのだ。
「榮信と申します」
 視線の強さとは違って、やや甲高い声をしていた。そこで改めて、ああこの子はまだ子どもなのだな、と思った。聡明な目をしていて、大人びているような気がしたけれど、まだ子どもなのだ。
「ああ…榮信、だね」
 この名前から察するに、家は寺であったのだろうか。思ったけれど、そのような詮索は無用だとわかっていたから、名主に向かって頭を下げる。確かにこの子はここで預かりましょう、という合図だ。
 名主はやはり人のいい笑顔を浮かべて、自分の家だと思ってくつろぎなさい、と言い残して帰って行った。榮信と私は無言でそれを見送り、姿が消えたのを確認して、これからのことを話した。彼のための部屋や、自由に出入りしてもいい場所、してはいけないこと、守らねばならないこと。随分前からこの日が来ることは知っていたから、上手く出来たはずだ。順調な滑り出しだと言ってよかったし、後はこれ以上深く関わらなければいいのだと、わかっていたはずなのに。
「伴内先生?」
 外から声をかけられて、我に返った。答えると、正しくたった今思い浮かべていた少年である榮信が、襖の奥に立っている。うっすらと影が出来ていた。ここへやって来た頃と比べれば、随分と背が高くなった。
「用事かい。入っておいで」
「失礼します」
 無駄のない動きで入ってくると、丁寧に襖を閉めてから背筋を正した。真っ直ぐとした視線はあの頃と少しも変わらない。穏やかな笑みを浮かべることを覚えて、すっかり大人びた雰囲気をしているけれど、あの頃と芯の部分は変わらないのだろう。
「先生に貸していただいた書物で、少しわからない所があって」
 ここなんですが、と言って草子を差し出す。いつだって研究熱心な子だから、わからないことは放っておけないのだ。そういう所を好ましく思いながら答えへの過程を導いていくと、すぐに閃いたらしい。小さく息を吐き出して、「わかりました」と告げる。
「少し勘違いしていたようです」
「君は本当に、賢いね」
 心から思って答えると、一瞬面食らったような顔をしたものの、すぐに笑みを浮かべる。大人びた顔をしているけれど、まだ子どもなのだとこんな時、つくづく感じる。私の半分の年も生きていない、小さな子ども。
 頭を撫でると、くすぐったそうに笑みを深くした。ああ本当に、こんなに小さな子どもに私は一体どれほどの重荷を背負わせるのだろう。どれほどの痛みを、苦しみを、与えようとしているのだろう。何も知らずに笑っているのに。
 上手く出来ると思っていた。疑いなく信じていた。だけれどそんなもの、まやかしでしかなかったのだと理解するのは、いとも簡単だった。小さな命に触れた時から、この温もりを知った時から。
 他の誰でもない、私自身がこの子の命を奪う。苦しみだけを与え、生き永らえることを許さない。苦しみの果てに死ぬことを強要するのは、毎日を共に過ごした私自身だ。
 だからなのだろう。きっと何度だって思い出す。隣で笑う顔や、過ごした日々の尊さを、いつだって思い出すに決まっている。ここにある温もりを忘れられないことこそが、何よりも重い罰だ。