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Note No.6

小説置場

Trivial talk

「遠い日のうた」

「オレたち、きっとずっと前に会ってたんじゃね?」
 真剣な顔で紡がれた言葉を、千歳はただぽかんとして眺めていた。無理もない。秀人が何やら眉間にしわを寄せて、真剣に考え込んでいたかと思うと告げられたのがそんな言葉だったのだ。今までの会話とは、まったくもって何の脈絡もない。
「あ、千歳、お前今『何言ってんだこいつ』って思ってんだろ」
 間の抜けた空気を醸し出す千歳に気づいて、秀人は唇を尖らせる。大概において、自分に向けてこんな顔をする人間が思っていることは同じだった。何言ってるんだ、頭おかしくなったんじゃねぇの? 明らかに馬鹿にした空気を隠しもせず、大体の人間はそんなことを考えているのだ。考えているだけならまだしも、口に出してくる人間も数多い。
「……いや、そういうわけじゃ、ないんだけど」
 思い出したような顔をしてストローをくわえた千歳は、ぼそぼそとそう言った。普段、はっきりと言葉を口にする千歳にしては珍しくぼやけた口調。しかし、秀人は気づかない。
「うっそだ。千歳今、すっげーアホみたいな顔してたし。オレの言ってることわかってねーだろ」
「いや秀人にアホとか言われたくないんだけど。本物のアホに」
「うっせ!」
 軽い雰囲気の秀人に、千歳はいつもの調子を取り戻したらしい。茶目っ気をたっぷり含んでまぜっかえせば、案の定秀人も軽い口調で言葉を返す。どんな裏表もなく、ただ単純に与えられた言葉を脊髄反射で打ち返す秀人の様子に、千歳は内心でこっそり息を吐きながら、努めて何でもない顔をして唇を開いた。
「で、突然何言い出してんだお前は」
 脈絡もない言葉だったのは本当だから、こんな風に尋ねることはおかしくないはずだった。いきなり「ずっと前に会ってたんじゃないか」なんて言われて、どうしたのかと思うことは普通のことに違いない。遠い記憶を、自分のものではないのに確かに宿した記憶を、抱えていない人間が口にすることは、おかしくはないはずだ。
 慎重に秀人の様子をうかがいながら答えを待っていると、秀人は「うーん」と首をかしげつつ、「だからさぁ」と言った。自分の心の中にある、形にならない何かをどうにか取り出そうとしていることはすぐにわかる。秀人の知らない過去で、今より幼い顔をした彼は、同じような仕草をして、よく先生の問いかけに答えようとしていた。
「千歳と一緒にいるのって、すげえ楽しいじゃん?」
 要領よく答えよう、という気持ちなど秀人は持っていない。ただ、心の奥にある何かが形になったなら、それを片っ端から捕まえて口にしようと思っているだけだ。千歳はそれを一つとして取りこぼさないよう、しっかりと秀人を見つめてその声を聞いている。
「どうでもいいことだって、千歳がいたらすげえ楽しくなるし。オレ、お前といんの一番楽しいし」
 学校のヤツラも楽しいし、やだとか思わねーけど。だけど、千歳がいる時がオレ一番笑ってんだよな。
 明確な事実を告げる口調で、秀人は言う。千歳は泣きたくなるような気持ちをぐっと抑えて、どうにか悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
「すっげー告白されてんの、俺」
「告白じゃねーし。ジジツじゃん、ジジツ」
 ぶうたれた様子で言い切る秀人に、千歳は肩をすくめた。それから、仕方ない、認めてやるよ、といった素振りをして「まあ、俺もそうだけど」と続ける。
「何だかんだ言って、俺もお前と一緒にいる時が一番笑ってんだよな」
 嘘ではなかった。高校のクラスメイトとくだらない話をしている時や、何か悪戯を仕掛けようと計画を練っている時だって、千歳は心から笑っている。家族や中学時代の友人と一緒にいる時も、どんな嘘偽りなく千歳は笑顔を浮かべている。しかし、知っているのだ。自分がどんな瞬間に、一番とっておきの、ぴかぴかと光るような、世界中の楽しいことと嬉しいもの、全てを抱えたような顔で笑っているのかなんてこと。
「秀人と一緒にいるのが一番楽しい」
 言ったことはないし、これから先も告げるつもりはない。自分しか持っていない遠い記憶のことは、どんな翳りもなく生きている目の前の大事な人に告げることはない。それでも、これはきっと届けてもいい言葉なのだ。記憶も過去も何も持たないはずの彼が、それでも告げた心に沿った言葉なら。
「お前と一緒にいると、すげえ笑顔になるよ」
 心からの言葉を告げれば、秀人は傍目にもわかりやすいほど、きらきらとした表情を浮かべている。うずうずとした様子で、今にも駆け出して行きそうな、弾む心をどうにか抑えているような、そういう顔をしていた。千歳は少し笑った。そんな顔を知ってるよ。俺、お前がそんな顔をしているの、何回だって見てたんだよ。
「だろ! だからさ、ぜってー、オレたちずっと前に会ってたんだって!」
 重大な発見でもしたような素振りで、秀人は言葉を爆発させる。だってさ、おかしいじゃん。高校入ってから会ったばっかなのにさ、オレもっと前からお前といたみたいな気するもん。もっと前から、お前のこと知ってたみたいな気するもん。
「ずっと前に会ってたんなら、おかしくねーじゃん?」
 きらきら、降り注ぐような光を宿して秀人は言う。何も知らない。千歳の抱えている記憶は、何一つ持っていない。それでも、どうしてだろう、と千歳は思っている。泣きたいような笑いたいような、いっそ感心するような心で、本当に思っている。今ここで出会ってからの年月は短い。それなのに、どうしてだろう。どうして目の前の人間は、俺の心をこんなに簡単に救い上げてしまうんだろう。
 千歳は大きく深呼吸した。熱い息を吐き出してから、丁寧に言葉を乗せた。自分だけが知っている記憶を大切に抱えながら、決して告げることのない相手に向けて、それでも宝物みたいな記憶に根ざした言葉を、心から紡ぐ。
「そうだったら、いいよな」