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Note No.6

小説置場

In those days---2nd grade

「エキストラ・スター」

 視聴覚室には、張り詰めた空気が流れている。いるのは二人だけで、椅子の端と端に座っている。奥の椅子に座っているのは、学ラン姿の少年だ。やや乱れた髪をしていて、所在なげな顔で下を向いている。入口に近い椅子には、髪を一つに結い上げた少女が座っている。真っ直ぐ背筋を伸ばして、黒板を見つめている。二人とも、部屋にいるもう一人のことは気にかけていない素振りをしているけれど、お互いの存在はしっかりと意識していた。
 体験入部も終わり、正式に入部届けを出した後だ。初めての顔合わせで視聴覚室にいるのだから、同じ部員であることは間違いない。しかし、入ってきた時に申し訳程度に挨拶はしたもののそれきりだった。お互い積極的に声をかけるタイプではなかったし、どんな言葉を口にすればいいのかもわからなかった。どうしたらいいのか、話かけた方がいいんだろう、と思いながらもタイミングを逃したままで、刻々と時間だけが流れていく。
 少年はそわそわと、窓の外を見たり教室をぐるりと見回したりしている。視界にちらりと少女を捕らえると、一瞬口を開きかけるもののすぐに唇を結んでしまう。こんな場合どんな言葉をかけたらいいのか、まったく頭に浮かばないのだ。
 一方、少女は黒板に書かれた文字を眺めていた。さっきから何度も読んでいるからすっかり覚えてしまった。先輩たちの手による、「ようこそ、映画研究部へ」という文字。色チョークで彩られた文字の下には、急いでしたためたのかやや乱れた文字で「好きな席に座ってて。集会の後来ます」と書かれている。先輩たちは、何やら緊急の集会でも入ったのだろう、と推察しつつ、意識は部屋の奥へと向かう。恐らく同学年の、新入部員。これから付き合っていくんだし、話かけた方がいいのだろうとはわかるけれど。一体どんな話をしたらいいのかわからないし、タイミングを逸した状況では、どんな言葉も間が抜ける気がした。
 結局の所、二人は同じことに頭を悩ませているのだ。話かけたい、だけれどどうすればいいのかわからない――。そんな気持ちが渦巻いて、視聴覚室の空気はすっかり張り詰めていた。ちょっとしたきっかけで崩れてしまうような、危うい均衡。しかし、前触れもなくそのバランスは崩された。
「失礼しまーす…ってあれ」
 視聴覚室の扉が開いて、声が飛び込んできた。反射的に振り向いた二人の目に、鞄を肩にかけて立っている見知らぬ生徒の姿が飛び込んでくる。セミロングの髪の毛を垂らして、前髪をピンセットで留めている。張り詰めた空気を突き崩したことなど知りもしないで、少女は視聴覚室の中ほどまで進んでくると、自然な動作で中央の椅子に腰かけた。
「新入生ですか?」
 朗らかな口調で、髪を一つに結い上げた少女に声をかける。いたって自然な動作だった。引きずられるように、少女はポニーテールを揺らしてうなずく。
「そう、です。ええと…」
「あ、私も新入生です。2組の南澤藤」
 よろしく、とほほえまれて、少女はぎこちなく笑い返した。恐らくきちんとした笑顔には見えなかっただろうけれど、藤に気にした様子はない。少女は慌てて口を開いた。このタイミングを逃したら、いつ名乗ればいいのかわからない。
「あ、幡中みちる、です。7組」
「幡中さん7組かー。担任名倉先生だっけ?」
「そう。数学の」
 あの人かぁ、と藤がうなずく。みちるは2組の担任を思い出そうとするけれど、欠片も思い浮かばなかった。藤はそんなみちるに構わず、もう一人の新入生に声をかけようと口を開いた。しかし、出てきたのは自己紹介の言葉ではなかった。
「あれ…古関くん?」
 いぶかしげな口調で、隣に座る男子生徒を見つめて、つぶやいた。少年は下に視線を彷徨わせた後、照れたような顔で藤を見る。
「…うん。久しぶり、南澤さん」
 困ったように眉を下げてそう言われて、藤の顔には一気に笑みが上った。きらきらと瞳を輝かせている。
「うわ、卒業式以来!」
「うん」
「え、映研入るんだ!?」
「そう。…えーと、南澤さんも、だよね…?」
「そうだよ!」
 満面の笑みで言い切ると、びっくりしたー、とつぶやく。喜びが前面に押し出されているようだった。それから、思い出したように隣に座っているみちるへ声をかける。
「幡中さん、ごめんね。古関くんとは同じ中学だったんだ」
「古関信一です。よろしくお願いします」
 やっと自己紹介の機会がやって来た、とでもいうように、信一は頭を下げる。みちるも慌てて名前を告げた。ずっと気にかかっていたことが、やっと達成出来た。みちるも信一も、喉に刺さっていた小骨が取れたような気分だった。
「…南澤さんと古関くんは、東中?」
「そうそう。幡中さんは汐中かな?」
「うん。汐小から汐中行って、汐高」
 気がかりがなくなったおかげか、すらすらと言葉が流れる。今まで忘れていた話し方を思い出したようだった。
「私たちは、東小から東中で汐高だよー」
 大体予想していた変遷だった。みちるは確認の意味も込めて、質問を投げる。
「小学校から一緒なんだ?」
「うん。クラス一緒になったことほとんどないけど」
「…一回くらい、あったかな?」
 信一がつぶやいて、あったかなー、と藤が答える。3・4年とかじゃない? と記憶を探る藤が言えば、それくらいかなぁ、と信一も答えた。
「まあ、だから顔見知りってくらいだったんだけど」
 古関くんはいい人だよ、とのんびり藤は言う。あんまり話したことないけど、古関くんの悪口言う人見たことないしね、と添える。信一は照れたように「そんなことないよ」と言うけれど、藤の言葉に偽りはないのだろう、とみちるは何故か確信していた。
「ええと、それじゃあ古関くんは、どんな映画が好きなの?」
 映研に入るくらいだから、話題としては間違っていないはずだ。問いかけると、きらきらした目で信一は語り出す。さらに、「南澤さんは?」と自然に話題をふり、嬉々として藤が語る。二人は当たり前のようにみちるの話を聞きたがり、興味津々の顔で相槌を打った。映画談義はそれから、先輩たちが戻ってくるまで続いていた。