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Note No.6

小説置場

Classic morning

 朝起きて真っ先にすることは、布団を上げることだ。そのままにして学校へ行こうものなら、帰った時に何があるかわからない。家にはいつも祖父母がいるので、十中八九ばれてしまうのだ。
 我が家は純和風建築なので、フローリングの部屋は多くない。精々居間くらいのもので、一人ずつ与えられている個室も畳になっている。さすがに勉強机やパソコンはあるのだが、ベッドは存在しない。生まれた時からこうだったのでもう慣れてしまった。
 襖を開けて、板張りの床を歩く。居間には母親と祖父母がいて、「おはようございます」と挨拶をした。朗らかな返事があり、そのままの調子で仏間へ行くよう言われる。毎日のことなのでいちいち言わなくても、と思うが行ってみて理解した。
「美弥子、起きてたのか」
「お兄ちゃん」
 ロウソクに火をつけようとしている妹の後ろ姿に、これを頼んでいたんだな、と悟る。危なっかしい手つきの美弥子からマッチを受け取った。線香をつけてお鈴を鳴らし、手を合わせる。これもやはり毎朝のことなので、特別不思議な気分ではない。しかし、クラスメイトたちの習慣にはないものである、ということも知っている。
「兄さんはまだ起きてないみたいだな」
 母たちの線香はすでに燃え尽きてしまったのか、ここにあるのは真新しいものが二本だけだ。線香をあげずに学校へ向かう、ということは有りえないので恐らくまだ寝ているのだろう。
「うん。何か、なかなか起きてこないね」
 こくり、とうなずく。静かな言葉だったが、何を言いたいかはわかっていた。
「今日は何かあるのか? 起きるのが早いけど」
「うん、飼育当番なの。だから、早めに行かなきゃなんだけど」
 ちらり、と視線を時計へ向けた。なるほど、だからこうして今日は早く起きてきたわけか、と納得する。それと同時に、何が問題かも理解する。
「――いつもなら、もう起きてるはずだけど」
 大学生の兄は時間割に関係なく、同じ時間に起床しているはずだ。不規則な生活を送ろうものなら、父と祖父から叱咤が飛んでくるということもあるのだけれど、もう一つ大きな理由がある。
「早く起きてくれないと、朝飯も食べられない」
 言えば、美弥子がうなずいた。そうなのだ。我が家にある不文律の一つに、長男より先に食事を取らない、というものがある。父親より先に食事をしない、などというのは当然だが、いずれ家を継ぐ兄より先に食事を取ることも禁じられている。まあ、修学旅行や遠足で朝が早い、なんていう時は除外されるので、わりと適当な部分もあるのだが。
「お越しに行って来ようか」
 このまま放っておいたらいつまで寝ているかわからない。そうなるといつまで経っても朝が食べられないし、と結論付けて立ち上がる。居間に「兄さんを起こしてきます」と声をかけると、よろしくお願いしますね、という祖母の声が答えた。
「誠二お兄ちゃん、わたしも行く」
 仏間を出て行こうとしたら美弥子がくっついてきた。特に断る理由もないので、うなずいた。美弥子はとことこと後ろを歩きながら、「そういえば」と思い出したような声で言う。
「この前、駅前で女の人と歩いてた?」
「……は?」
 本気で記憶にないので問い返す。美弥子は特に何とも思っていない顔で、「ピアノ行く途中に見た」とだけ言う。全く思い当たらないのだが。考え込んでいると、兄さんの部屋の前に着いてしまう。とりあえずここは兄さんを起こすことにして――と思ったら、再び美弥子は口を開いた。
「何か、たくさんいた。女の人」
「だからそれはいつの話だ」
 記憶にないことで、妹の中の自分がとんでもないことになっているような気がする。やや強い調子で聞き返せば、少し考えた後「先週の金曜日」と答えが返って来る。先週の金曜日…と記憶を手繰り寄せていたら、目の前の襖が開いた。
「どうした、揉め事か」
 そこにいたのは正しく、これから起こそうとしていた人間だった。ん? と何てことない顔をしてこちらの話をうかがっているけど。
「――兄さんが中々起きてこないからです」
 朝食が食べられない、と告げれば「悪かった」と頭を下げる。曰く、昨日レポートを遅くまでやっていたおかげで少し寝坊したようだ。まあ、これで無事に朝食の席に着けそうだ、と思ったのも束の間。美弥子は先ほどの話を蒸し返し、兄さんに一通りを話して聞かせていた。
「何、ついに誠二郎に彼女が出来たのか。いや、でも複数人はマズイだろう」
「違いますって。それ、部活の先輩たちです」
 何のことだかわからなかったけど、兄さんに話す詳しい様子で大体理解した。そういえばこの前、カラオケに連れて行かれたのは先週の金曜日だったかもしれない。
「美弥子にも話したろう。映画のクラブに入って、そこに先輩たちがいるって」
 悪い人たちではないのだろうが、いささか強引な所がある。その上知恵も回るので、質が悪い。兄さんは「なるほど」という顔をしているし、美弥子も「そういえばそんな話も聞いたかも?」という具合だ。
「それに、別に女の人だけじゃない。男の人もいたよ」
 副部長の蔦江先輩もいたし、一個上の古関先輩だっていたのだ。何も俺だけが男で一人だったわけじゃない。そう思ってはっきり言ったら、美弥子がぽつりとつぶやく。
「でも、腕組んでた」
「…あれは連行されてたんだ」
 段々思い出してきた。カラオケに行く、と言ってもあまり好きではないから断る方が多いのだけれど、先輩たちはそれを見越しているのだ。だから、交換材料としてレアな映画のDVDをちらつかせてカラオケに誘う、という寸法だった。そういう所に頭が回るので困る。
「ああ――切れ者の部長さん、か」
 兄さんがにやり、と笑う。大体の話はしてあるので、人間関係も把握済みということだろう。実際兄さんが言った通り、逃げないようにと腕を掴んでいたのは部長の名屋先輩だった。
「そういうわけです。妙な詮索はしないでください」
 はっきり否定すると、兄さんは「つまらんなぁ」なんて言っているが、面白くなくて充分だ。美弥子も「じゃあ、彼女じゃないんだね」と言っているので、これで話はお終いだろう。
「さあ、早く食事にしましょう」
 これ以上変な話題をつつかれないように、と二人の背中を押すようにして居間へと向かった。