Note No.6

小説置場

Guitarist---parallel

 放課後の教室に、ひょっこりと顔を出したのはみちるだった。
「芦刈先輩」
 最近はそこまであからさまに敬遠されることはない、と言っても、未だにどこか遠巻きにされている節はある。そんな中で、こうも簡単に声をかけてくるのは、小学校からの知り合いである雄大や僚河たち――はたまた映研部員たちのどちらかだ。
「…幡中」
 後輩の顔を認めた昇は、荷物を持って廊下に出た。生徒たちが昇の姿を目にして、ぎょっとしたように距離を取るが、やはりみちるは気にした様子もない。
「これ、スタジオの地図です。わかりにくい場所にあるんで、もし万が一のことがあったら電話してください」
 これです、と示すのは数字の羅列だ。悪名高い昇に迷子の心配が出来る人間は、やはりそうそういない。クラスメイトたちが聞いていたら驚きを持ってその台詞を聞いただろうけれど、二人にとっては単なる確認事項でしかなかった。
「悪いな」
「いやそんな。これくらい、どうってことないですから」
 唇の端に笑みを乗せたみちるは、照れたように手を振る。やたらと人脈が豊富なみちるからすれば、確かにこれくらいは訳ないことなのだろう。
「あ、後で当麻くんと呉本くんが行くって言ってました」
「…当麻と呉本か」
「まあ、当麻くんは一応ギター出来るし、呉本くんは何か渡したいものがあるとか何とか」
 楽器関係だと思うんですけど、と言って示すのは昇が肩からかけているギターである。黒いケースに入っているのは、やはりみちるのツテから手に入れた中古のギターだ。
 前回、様々な事情が重なって抜き差しならない状況となり、昇はギターを弾くことになった。わずかにかじったことのある程度でしかない昇は渋ったが、昔なじみや同級の映研部員たちに、詰め寄られなだめられ、最終的には脅しと誘導の結果、ギターを弾くことを承諾せざるを得なかった。
 それから、役目を終えた後も何だかんだでギターに触れる機会が出来た。趣味の一つと言ってもいいかもしれない、という段階で今回の事態である。誰かのために弾いているわけでも、聞かせるためのものでもなかったので、やはり昇は渋ったけれど。ほとんど前回と同じ経緯を辿り、今回もギターを披露することになった。
 しかし、今度は真っ当な演奏をしよう、という気概があった。多少なりともギターを理解し始めたからかもしれないし、どうせやるなら、と思ったのかもしれない。とにかく昇がその旨を伝えると、映研部員たち(昔なじみ含む)が、スタジオ練習を提案してくれたのだ。
 そんな場所も金もないだろ、と言ったのだけれど、そこはみちるである。「ちょっと待っててください」と言い置いてどこかへ電話をかけ、通話を終えると「条件付ですが、タダでスタジオ貸してもらえます」と宣言したのだった。
「それじゃあ、頑張ってくださいね。期待してますから」
 薄らとした笑みでそんなことを言われて、昇は苦笑を浮かべる。「そんな大したモンじゃねえよ」と言っても、みちるはあっけらかんと言い放つ。
「え。だって、昇先輩のギター好きですよ。私も藤も、古関くんも」
「……」
 最後に出された名前に、一瞬黙る。よく似た境遇に生まれ育ち、正反対の道を歩く人間。己の我侭とエゴをさらけ出して、燃えるような言葉を叩きつけた。たった一人の人間。
「…まあ、努力するわ」
 くちごもりつつ言えば、みちるのニヤリという笑みが目に入る。基本的には物静かな、自己主張しない後輩ではあるが、やはり元から映研部員。何だかんだで一筋縄ではいかない人種の集まりなのだ。敵わない気がする、としみじみ思っていると、昇の後ろから声がかかる。聞き覚えのあるようなないような声。
「芦刈か」
 振り向くと、学年主任が立っていた。がっしりとした体つきをしていて、よく通る声だ。みちるが会釈しているのを横目にとらえつつ、昇は内心で舌打ちをする。顔をあわせては説教をされ、場合によってはどつかれていた相手である。顔が険しくなるのも仕方ない、と内心で昇は断言する。
「この前のプリントだ。お前、いい加減遅刻癖を直せ」
「……」
 何も言わず無言で受け取ったのは、受け取るまでしつこく追い回す人間あると知っているからだ。その辺りはすでに学習済みである。昇は、もうこれで用はないだろう、と場を離れようとする。このままここにいても説教が始まるだけだ、と判断したのだ。みちるにちらりと視線をやり、足を踏み出しかける。だけれど、声が響く。
「お、芦刈のギターか」
 学年主任が素っ頓狂な声をあげた。今まで聞いたことのある、厳しく暴力性に満ちた声ではない。軽やかで、思わず漏らしてしまったような響きがある。
「俺も高校ん時はギターやっててなぁ。懐かしいな」
 昇は思わず目を疑った。学年主任はにこにこと笑顔を浮かべて、背負われたギターを見ているのだ。目を吊り上げて怒鳴り散らす顔しか見たことがなかった学年主任が。子どものように、うきうきした顔をしている。
「そうか、お前たち映研なんだな」
 たった今気づいたようにみちるへも視線を向ける。みちるが慌ててお辞儀をすると、学年主任は鷹揚にうなずく。
「もうすぐ舞台か。俺もな、楽しみにしてるんだ。芦刈のギターもな」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる顔は、やはり見たことがない。時と場合によっては殴られることもあった相手とは思えない。こんな風に無邪気に笑う姿など想像したことがない。顔を真っ赤に染めて、血管を浮かせていた顔しか知らない。
「あ、芦刈先輩は今からギター練習なんですよ」
 何を思ったかみちるがそんなことを言い、昇は面食らう。そんなことを言っても、馬鹿にされるだけではないか。そんなものやってどうするんだ、と笑われるだけだろう。こちらの話などしなくてもいいのに。
「お。そうなのか、引き止めちゃ悪いな」
 しかし、予想に反して漏らされたのはそんな言葉だった。至って普通の顔をして「頑張れよ、芦刈」などと続けられて、もはや昇はどんな顔をしていいかわからない。
 何度も罵詈雑言を浴びせられた相手だ。嫌悪しか存在しなかった。くたばれ、と何度も思った。こんな言葉をかけられるなど、一体誰が予想しただろう。反目しあい、いがみあうだけの相手に。心から祈るような言葉をかけられた時どうすればいいのか、昇は答えを用意していない。