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Note No.6

小説置場

Pure

「エキストラ・スター」

 いつもの面子でさんざんっぱら遊び倒した当麻は、久しぶりに家に帰った。修平の家に置いておいた着替えが、いい加減なくなったからである。着倒すにも汚れが目立ったし、洗濯するなんて頭はそもそもない。なくなったなら新しいものを取りに帰ればいい、と思う程度には、修平と当麻の家は近かった。
 空はすっかり白んでいる。勤勉な人間が活動を開始するであろう頃、当麻はあくびをしながらのたりのたりと家までの道を辿る。真夜中であればお節介な人間に説教される危険もあるが、この時間ならば出歩いた所で問題はないので、何も気にすることはない。緩慢とした足取りでマンションのエントランスを通り抜け、エレベーターに乗り込む。箱は一度も止まることなく、目的階に当麻を吐き出した。特別大きなあくびをしながら、当麻は自宅の玄関にまで辿り着く。鍵を取り出そうと、体中のあらゆるポケットを探っていると、ぼんやりとした頭に耳慣れない音が届いた。
(あれ)
 どうも家の中から音が聞こえてくる。出かける時には誰もいなかったけどなーと思いつつ、当麻は特別気にするそぶりもなく、ドアノブに手をかけた。案の定すんなり開き、鍵を探さなくて済んでラッキーだったと鼻歌交じりに家に踏み込む。
 玄関にはピンクのパンプスがあって、当麻は自分の予想が外れていないことを理解する。確率的には二分の一なのだから、当たる可能性は高かったのだけれど。
「美沙ちゃん帰ってんでしょー」
 だらだらと廊下を進み、風呂場の前まで来た所でひとまず声をかける。万が一違う人間だったら面倒くさいし、という理由だけだ。風呂場からの返答はなかったが、当麻は特に気にすることなく廊下を進み、ダイニングキッチンへ入って冷蔵庫へ向かった。何だか喉が渇いていた。
「あー、やっぱ恒彦だった」
 パックのオレンジジュースをぐびぐび飲んでいると、後ろから声がかかる。振り返れば、ジャージ姿にすっぴんの女性が立っており、当麻は平坦に思う。ああ、やっぱり美沙ちゃんだった。
「さっき、いちお声かけたし」
「何かぼんやりしか聞こえなくってさ」
 オレンジジュース私も飲む、と手を出すので、当麻はパックごと美沙へ押しつける。受け取った美沙は、当たり前のような顔をして、当麻と同じように直接口をつけてオレンジジュースを流し込んでいる。
「もし私じゃなかったらどうすんのよ。ちゃんと確認しなって」
「美沙ちゃんじゃなかったらって……あー、壮也くんが誰か連れ込んでるとか?」
 当麻の言葉に「そうそう。面倒だよー?」とうなずいた美沙は、オレンジジュースを飲み干す。空になったパックをシンクに置く様子を眺めつつ、当間はぶつくさとつぶやく。
「えー、何か見覚えあった靴だったし。ピンクの。美沙ちゃんお気にのやつじゃん、あれ」
 それに、たとえ違う人間が出てきたって当麻にとっては大したことではないのだ。だからそこまで厳密に特定するつもりはなかった。美沙は当麻の言葉に、面白そうな顔で言う。
「お、よく覚えてんじゃん。あれ、ジロゼットのレディースだからなー。確かに恒彦好きそうだもんねー?」
「え、あれジロゼットなん? マジで、じゃあ確かに俺好きだ」
「でしょ。恒彦好きそー。あ、その内暇だったら後野原のモール行く? あそこジロゼット入ってるし」
「え、珍し。マジで珍しい、どしたの?」
 一緒に出かけるなどということは、ほとんどしたことがなかった。むしろ、一人で行動したいがために置いて行かれる方が多かったのだ。それなのに突然こんなことを言い出すなんて、どういう風の吹き回しだと思ってもおかしくはない。わりと本気で目を丸くしていると、美沙は「えー、だってこんな大きい子いるって自慢したーい」とわくわくしたように言い切る。恒彦は納得した。
「美魔女ブームの小道具じゃん」
「でも嘘は吐いてないし?」
 ふふん、と自慢げな顔で言う通り、確かに当麻は美沙の実子だ。間違いなく血がつながっているし、疑いようもなく親子だった。ただ、美沙はとても中学生の息子がいるようには見えないので、「子持ち」「しかも中学生」などということを知らされれば、驚愕されることは目に見えている。そして、若々しい容姿に賞賛が集まることも織り込み済みなのだろう。
「つーか、独身設定でやってんの?」
「まあそこはそれぞれだけどねー。結婚してるって言った方が安心しそうな相手なら普通に言うし」
「相手によって変えるとかいちいち面倒くさくね? 俺絶対嫌だもん」
「あはは、恒彦は無理そう」
 屈託なく笑う様子に「うるせー」と答えれば、美沙はやはり楽しそうに「だって事実だもーん」と続ける。確かに、相手によって言うことを変えるなどという芸当は、恒彦には出来ないことではある。
「壮也くんもそんななん?」
「そうなんじゃないの? うちは不倫オッケーなのでってとこまで言ってるかはわかんないけど、相手によってはその辺変えてるでしょ」
「うわー細けー。二人とも細けー」
「これくらい普通に決まってんでしょー!」
 美沙は快活に笑い、当麻も同じように無邪気に破顔する。じゃれあうような様子は、親子というより仲の良い姉弟のようだった。
「あー、何かお腹空いてきちゃった。角の所、24時間のファミレスあったよね? ね、恒彦も何か食べたくない? おごるよ?」
「マジで! 行く行く、ちょー行く!」
 ガッツポーズで承諾を返してから、そこで当麻はふと気づく。そういえば、そもそもここには服を取りに来たんだった。でもまあ、今はただ飯を食うことの方が先だと考え直し、ポケットからスマホを取り出すと、遅れる旨を送信する。目ざとくそれに気づいた美沙が「何、彼女?」と楽しそうに尋ねるけれど。
「ちげーし。雄にいと僚にいたち!」
「あー、何か恒彦と仲良い子だっけ?」
「そうそう。あと、昇先輩と修平な!」
「私その辺興味ないもん」
 いくぶんかトーンダウンした声で言われ、恒彦は「そうだった」と思い至る。そうなのだ、美沙は自分のことには欠片も興味がない。大切な兄貴分たちのことを言った所でどうしようもなかったのだ。
「私に迷惑かけないんならそれでいいから」
 平坦な声に似て、幾分か強い調子で吐き出された言葉。恒彦はいつものようにそれを受け取り、「大丈夫!」と胸を張る。迷惑なんてかけるはずがない。美沙も壮也も、迷惑をかけなければ何をしてもいいと言うのだ。自由な生活を手放さないためにも、決して迷惑はかけてはならない。何かが起きそうになったら全力で揉み消すだけだ。
「じゃー、さっさと飯行こう! 俺肉食いたい」
「私はパンケーキかなー」
 食事に思いを馳せた所為か、明るくなった声で美沙は言う。当麻も同じトーンで「甘いのもいいよなー」と返しながら、玄関へ向かっていく。