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Note No.6

小説置場

Starduster

 ゆっくりと中央まで進み出る。客席は、歩いてきた人間が誰なのかを知って小さくさざめいた。しかし、前奏が進むに連れ示し合わせたように口をつぐみ、辺りは静寂に包まれる。耳慣れた音楽を注意深く聴きながら、マイクを握った。大きく息を吸うと、最初の言葉を音に乗せる。空気を震わせて、透明な声は耳へ届く。
「誰より大切な君に 愛されないことを恐れて」
 伸びやかな声はゆっくりと空気中へ浮遊する。手で音程を取りながら、やさしい声音を届けていく。
 誰よりも大切で、愛してほしかった人を思い浮かべた。決して、決して愛されていなかったわけじゃないと思いたい。だけれどそれでも、どうしたって拭いきれなかった。要らないわけじゃなかった。いてもよかった。だけど、必要となんてされていないんじゃないかと怯えていた。それを確かめるのが怖かったんだ。
「一万年先の星まで ひとっ跳びで逃げた」
 なでるように言葉を奏で、空気へと声は溶ける。最後まで歌いきりながら、だから、と思った。だから向かい合うのが怖くて、確かめるのが怖くて、逃げたんだ。知らされてしまうくらいなら、逃げてしまう方がよかったから。
 一息に歌い、わずかにマイクを離す。ゆっくりと辺りへ視線をさまよわせると、上の方で目を留めて、静かに瞼を閉じた。流れる旋律にただ身を浸している。何度も聞いた心地いい音の連なり。マイクを近づけ、息を継ぐ。
「そっと瞼を開けてみる 目の前は黒い空の海」
 ゆっくりと目を開いて、見える景色に視線をやった。真っ黒な世界が横たわっているような顔をして。きっとおれはこんな風景を知っている、と思った。何も見えない、暗いだけの世界を、知っているんだ。
「一億年先の地平まで 流れてゆくんだ」
 指先をで前を示す。遠い場所までおれは来てしまったのかもしれない。逃げて、逃げ続けて、そうしておれは一億年先まで流れてゆく。
「吸い込んだ真空の温度で 感覚が凍りつく前に」
 のびやかに、やさしくなでるように声を紡ぐ。目を細めてどうか、と祈りながら言葉を音に、唇に乗せる。
「この身体一つ分の 愛を」
 両手でマイクを握りしめて、ささやくように歌った。多くなくていい。これだけでいい。これだけがいい。おれの身体一つ分、それだけでいいから、どうかあなたの愛をください。
 祈るように下を向き、響く言葉を繰り返す。次第に顔を上げていくと、真っ直ぐ前を見つめる。ただ強く、祈りを捧げるように、誓いの言葉を口にするみたいに。
「愛を 今すぐ 愛を 私に 愛を どうか 愛を」
 手を挙げて、歌う様子は救いを求めるようだった。どうか、愛を。愛してほしかった。愛されたかった。どうか、どうか私に、あなたの愛をください。それだけでいいから、たった一つでいいから、どうか。どうか、愛を。
 かすれる声で歌いきると、大きく息を吐く。澄み切った旋律に耳を傾け、再びブレスをした。
「光射さぬ星の上で 暗闇に飲まれないように」
 胸に手を当てて、消えないように確かめる。ただここで鼓動はきちんと動いているのだと、何より自身が忘れないように。
「一万年先の夕焼けを ひとりで見てた」
 遠くを見つめる。今ここに、遠い彼方の夕焼けがきっとその目に映っている。たったひとりで、他には誰もいない場所で、願いながら祈りながら。
「きっとこの宇宙の塵と ずっと漂うだけなんだろう」
 小さく、身体を抱きしめるように声を紡いだ。いずれ消えてなくなるこの体でも、それでもずっと祈っているんだ。
「そうやって消えて無くなる前にどうか…」
 下を見つめて消え入りそうに、吐息を乗せて歌にする。いつまでだってずっと、諦められない俺は祈っているんです。たった一人あなたに、どうか、とずっと願いをかけているのです。
 ゆっくりとマイクを下ろす。一人だけを照らしていた照明が外れて、客席全体へ光を投げる。連動するように音が次第に小さくなり、ついには消えた。瞬間、息を吸う音だけが響いた。
「愛を 今すぐ」
 両手を下げて、拳を握りしめてただ声を紡ぐ。水を打ったように静かな空間で、たった一人の声だけが響いている。
「愛を 私に」
 ただひたすらに、全てを懸けて祈る。握りしめた拳が震えていた。目を閉じて歌うのは祈りの姿だった。静謐な空間で、ただ声だけが染み渡る。他に何一つ音はない。
「愛を どうか」
 眉を寄せて歌う。震えながら、狂おしいほどの思いに突き動かされて。伴奏すらない歌は、真っ直ぐと届いた。どうか、愛を。愛を私に、今すぐ、愛を、どうか、どうか。
「愛を」
 再びマイクで声を乗せる。胸に手を当てて、自分が消えてしまわないよう、ここにいるのだと確かめるように。切実な響きで、ただひたすらに愛を乞う。大きく息を吸い、何度も祈って願う。あなただけ、たった一人だけ、世界中の誰でもないあなたに。
 手を広げて、声を響かせる。空間いっぱいに、きらきらと輝くように声が舞う。旋律は大きくなり、声も豊かさを増していく。たった一人のあなたに、誰より大切なあなたに、どうか、と祈る。いつだって願う。どうか、どうか、どうか。
「愛を…」