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Note No.6

小説置場

白い食卓

 早く目が覚めてしまってリビングに行く。扉を開いたら、僕を見たお母さんとお父さんが笑っていた。
「どうした頼人、随分早いな」
 いつも目が覚めた頃には会社へ行っているお父さん。こんな風に、朝ご飯を食べている所なんて休みの日しか見ないから、Yシャツを着てパンをかじっているのが不思議だった。日曜なんて、パジャマのままご飯食べてるのに。
「遠足楽しみで目覚めちゃった?」
 毎朝こうだったらいいんだけど、と言うお母さんはエプロンで手を拭きながらつぶやく。中々起きなくて怒られるけど、今日は随分早起きだから声がやさしい。何かいつもより、にこにこしてるみたい。
「頼人、もう朝ご飯食べちゃう? 卵焼き、どうしようか。お弁当にも入ってるけど」
 朝も食べる? と聞くからうなずいた。甘い卵焼きはデザートみたいで、特別な感じがする。朝も昼も食べられるなんて、すごくついてる気がする。
「お母さん、からあげも入れてくれた?」
「入れた、入れた。いーっぱい入れた。あ、でも野菜も入ってるからね。ちゃんと食べてよー」
「えー、要らないってば」
「食べないと大きくなれないよ。そのまんまでいいの? この前棯くんに背、抜かれてショック受けてたのに」
「……よくない」
 身体測定の結果を思い出して声が低くなる。ずっと同じくらいだったくせに、棯は一人で僕より背が高くなっていたのだ。裏切り者め。いっぱい食べて次は追い越してやるからな。
「そうかそうか。頑張れよ、頼人。お父さんも応援してるから」
「応援じゃなくて背が欲しいよ」
 お父さんを見上げて答えると、大きな声でガハハと笑った。ちょっとでもいいからお父さんの背がもらえればなぁ。思っていたらお母さんの声が聞こえてくる。フライパンで何かを焼く音に混じりながら。
「好き嫌いなく食べて運動しなさいよ。頼人のために野菜もたくさん入れといたんだから」
「…はーい」
 全然美味しくないし苦いだけだし全然食べたくないけど、大きくなるためには仕方がない。今日は人参こっそり交換したり、グリーンピース鳥にやったりしないでおこう。
「デザートもあるからね。頼人の好きな苺、たくさん入れといたんだから」
 だから残さず食べなさい、とお母さんが言う。お父さんも「それくらい食べられないと背なんて大きくならないぞ」とか言う。野菜の味を思い出してすごく嫌な気持ちになったけど、背を伸ばすためには仕方ない。
「うん。お弁当全部食べられるように頑張る」
「その意気だ」
 お父さんがぐりぐりと頭を撫でて、お母さんは嬉しそうに「空っぽのお弁当箱楽しみだなー」と笑っていた。それからお父さんは仕事に出かけて、僕は朝ご飯を食べて支度をして、お弁当をリュックに詰めた。いつもより早い時間に家を出る。「行ってきます」と言って振り返ったら、お母さんは「行ってらっしゃい」と手を振った。
 それが僕の、最後の記憶。
 目を覚ますと白い天井が視界に入り、二秒くらい見つめた。ここがどこだかわからなくなる、なんて時期はとっくに過ぎて、考えないでも反射的に理解出来る。国立医療センター法定伝染病隔離病棟特殊病棟の一室だ。長いけど覚えられる程度にはずっとここにいる。
 ベッドから抜け出すと、白い壁と白い床が目に映る。ベッドももちろん、置かれている机や椅子、箪笥やドアも真っ白の部屋。これも慣れたけど、慣れたからって好きになるかどうかは別問題だ。むしろ長くここにいるほど嫌になっていく。白い天井を思わず見つめてしまうのも、昨日と同じ場所なんだってことを自覚してしまうから。眠る前に祈っている。明日の朝目が覚めたら、どうか家に帰れますようにって。
 天井のスピーカーから聞き慣れた声が聞こえて、体温を測るよう言われる。毎朝のことだから覚えてるのに、いちいち指図してくる。これくらいのことが覚えられないくらい、僕は馬鹿だと思われているのか。そうかも。何かここにいる人たち、全員すごい頭いいらしいし。算数のテストで20点とかばっか取ってる僕なんてただの馬鹿なのかも。
 ベッドの傍にあるテーブルから体温計を取り出して、脇の下に挟む。ベッドに腰かけながら、今日は何をやるんだろう、と考えている。変な検査をすることもあれば、勉強するよう言われて問題集が届くこともある。時々会いに来る人もいるけど、鏡越しか変な防護服着てる相手だから、顔はよくわからない。
 ピピ、と音がして体温を測り終えたことを告げる。取り出して見れば「36.4度」と記されているから、声に出して伝える。天井のスピーカーがわかりました、と言うのを聞いてからタンスに向かった。いつもみたいにシャツとズボンを取り出して、着替える。服の組み合わせはいつも同じだから、考えなくてもよかった。
 もう少し待っていれば朝ご飯が届いたことをスピーカーが告げる。扉の向こうに、食事の乗ったトレーが置いてあって、一人で食べる。もうずっと前から、とても長い時間ここでそうしているような気がしてるけど、本当はそうじゃない。僕にはお母さんもお父さんもいて、一緒にご飯を食べていた。一人きりってこともあったけど、いつもじゃない。こんな風に一人でいなくちゃいけないなんてこと、なかったのに。
 何があったのかは知っていた。遠足の帰り道、バスに乗っていたら先生の電話が鳴った。その時は全然気にしてなかったけど、後から考えてみればあれがきっかけだったんだ。きっと先生はあの時、色んなことを聞いたんだと思う。
 いくらバスに揺られても学校に着かないことを不審に思い始めていた頃、先生は僕たちに説明した。意味がわからなかった。何が起きているのか、全然わからなかった。だってもう帰る家がないなんて、僕たちの住む街が爆発で跡形もなくなっているなんて、一体誰が信じるっていうんだろう。泣き出す子は一人もいなくて、やけに静まり返っていたのを覚えている。道路を走るタイヤの音だけが響いていた。
 それからのことは曖昧にしか覚えていない。とりあえず一番近くの町までバスを走らせて、そこの体育館みたいな所に入れられた。クラスのみんなで固まって、一体どうなっちゃうんだろうって思っていた。誰も答えなんかなかったし、たぶん先生たちもわからなかったんだろうけど。
 スピーカーから声がして、朝食が来たことを教える。ドアを開いてトレーを持って、部屋に戻る。いただきますの挨拶をしてから箸をつけた。ご飯は温かくて、おみそ汁も熱いまま。おかずもたくさんあるし、デザートだってついてくる。旅館のご飯みたいに豪華。
「……」
 すごく美味しくて、すごく手間暇がかかっているんだと思う。だけど、こんなの要らなかった。僕が欲しいのはこんなのじゃない。豪華じゃなくていいし、ちょっと失敗しちゃった料理でもいい。寝坊してパンしか用意出来なくてもいい。ジュースしかなくてもいい。買って来た惣菜でいい。こんなの欲しくない。こんなの要らない。
「おかあさん」
 お母さんが作るご飯が食べたい。黒こげで、味付けに失敗しちゃって変な味で、ものすごく手抜き料理でいいから、お母さんのご飯がいい。
「おとうさん」
 お母さんとお父さんと一緒にご飯が食べたい。野菜だって全部食べるから。人参だってグリーンピースだって残さないで食べるから、背なんか大きくならなくていいから、何だってあげるから、これだけ叶えてくれたらそれ以外何もいらないから。だから、もう一度みんなでご飯が食べたい。