Note No.6

小説置場

赤き光空に満つ

 空が赤く染まっていた。一日の始まりを告げる朝焼けに似ていた。家路を急がせる夕焼けのようだった。見慣れた風景に似ていて、だけど決定的に違っているのだと、知っている。清々しい朝なんて訪れない。帰るべき家などない。それら全ての日常を根こそぎ奪い去る、赤い空だと知っていた。
 轟音が響いて、頭上を飛行機が飛んでいった。形状と大きさから見て、長距離爆撃機に違いない。咄嗟に木陰に身を隠すのと同時に、遠くで爆発音が響く。方向からしてここから島の西側。西に広がる森を思い出し、舌打ちしたい衝動に駆られながら木陰から這い出る。森から火の手が上がれば、瞬く間に島は炎に包まれるだろう。あちこちで火災が発生していることは間違いない。森の炎がそれらと合流するのも時間の問題だ。
 寮まで走っていくと、辺りの木々がなぎ倒されていた。幸い火は出ていないが、ここも攻撃されたのだろう。ただ、寮自体は爆撃されていなかったようで、きちんと形を保っていた。慎重に走り寄ると、中から人影が飛び出してくる。一瞬身構えるも、すぐにそれが誰だか理解する。赤い炎に照り映える、金色の髪。
「善先輩」
 澄んだ目をした先輩は、デイパックを投げた。緊急事態に備えて用意している、サバイバル用のリュックサックだ。善先輩は俺の分も持って来てくれたらしい。胸元でキャッチして礼を言うと、善先輩は首を振った。それから自分もデイパックを背負いながら「北に逃げる」と告げた。
「北は船をつけられない。上陸するのも難しい。侵攻するには不利だ」
 最も敵が手薄になる場所だろう、との推測だ。確かに北側は船をつけるのが難しい、ということ以上に、それ以外の場所から侵攻する可能性が高い、ということだろう。そこまで考えて、侵攻、という言葉に背筋が粟立った。そうだ、今の状況を考えろ。これは訓練じゃない。ましてや夢でも冗談でもない。間違いなく現実で、頭上から爆弾が降り注ぎ、島内は滅茶苦茶だ。遠くで爆発音がする。この辺りに落ちるのも時間の問題だ。空が赤い。地上の炎を受けて、空が赤く輝いている。あざやかにくっきりと、赤い空が頭上を覆っている。
「よりりん」
 寮から続いて人が出てきて、見ればあやめ先輩だった。いつもと変わらない笑顔でこちらを見ている。あやめ先輩は全く呑気な顔で「無事だったんだねぇ」と言って肩を叩いた。
「はい、あやめ先輩こそ」
「まあ、相変わらずの引きこもり中だったからねー」
 場面にそぐわないほどの朗らかさで、「頑丈なツクリだから、直撃さえ受けなければ即死はしないんだよ」なんて言っている。即死、という言葉に顔が強張る。そうだ。死ぬかもしれないんだ。俺たちは今、死の危機に直面している。ゆるやかに迎える滅亡ではなく、ここで否応なく断ち切られるかもしれなかった。全ての尊厳を剥奪され、いいように蹂躙され、ぐちゃぐちゃに踏みつけられるような。
「先輩、他の二人は? 晴乃とワコ先輩は――」
 逸る鼓動を抑えながら尋ねる。ここにいない二人。喉がからからだ。鼓動は早いのに、血の気が引いて手足の先が痺れるような感覚。あやめ先輩は俺の言葉に口を開きかけるが、それを遮ったのは寮からの声だった。
「頼人くん!」
 声の方へ視線をやれば、窓枠を飛び越して走り寄ってくる影が目に入る。転がるように俺の前までやってくると、そっと笑みを滲ませる。
「頼人くん、無事だったんですね。外へ出ていると聞いたから心配で…」
 ほう、と胸を撫で下ろす晴乃の頭に手を置いて「晴乃こそ無事でよかった」と告げる。よかった、今朝寮を出た時に顔を合わせるのが最後になんかならなくて。最後だと知らないで、明日も同じ笑顔があるのだと勘違いする失敗を繰り返さなくて。
「善、地図情報を私のハードに同期したいんだけれど」
「はい。このチップに」
 最後に寮から出てきた人影はワコ先輩だった。いつもと変わらない顔をして、携帯用ハードを前にして何やら打ち込んでいる。どうやら、善先輩と情報共有をしているらしい。カタカタとキーボードへ指を滑らせていたワコ先輩は、ふと顔を上げた。それから俺と晴乃へ視線を向ける。
「頼人が無事でよかったわ。晴乃、最後の挨拶はちゃんとしておきなさい」
 涼やかな目元に、凛とした笑みを浮かべていた。あまりにも平坦な声に、一瞬聞き流してしまいそうになるが、そんなわけにはいかない。最後の挨拶って、何だ。思わず晴乃を見た。晴乃はさっきとまるで変わらない笑みを浮かべていた。何かを言おうと思うのに、唇は開いたのに、声が出てこない。
「頼人くんとは、ここでお別れです。今までありがとうございました。とても楽しかったです。本当に幸せな日々でした。こんなに幸せでいいのかと思うくらい、どんなものにも適わないくらい、宝物のような日々でした。本当に――」
 そこで言葉を切った晴乃は、にこり、と笑った。やわらかなひかり。降り注ぐように、世界全てを照らし出す。何もかもが光を放つ。どんなものより美しく、何よりも尊く、こぼれだしそうなほどの熱と光を持って、真っ直ぐと届いた。どうして、と言いたかった。何で、と言いたかった。どうして、何で、決めてしまったんだ。
「ありがとうございました、頼人くん」
 こんなにも美しく残酷な笑顔を、俺はこの先知ることはないだろう。