読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Note No.6

小説置場

行きて帰りし

「終末の砂時計」

 強い笑顔で放たれた言葉に、わかってしまった。覆せない意志を持って、もう晴乃は決めてしまったんだとわかった。自分自身の心に従い、折れない決意で決めてしまった。そんなことわかってる。凛と力強く、凍てつくような美しさで、決めてしまったんだ。それなのに。
 それなのに俺は、笑顔でうなずいてやることが出来ない。わかった、と言って潔く受け入れてしまう度量がない。みっともなくあがいて、子どもみたいに駄々をこねようとしている。思わず口を開きかけた時、静かな声が飛び込んでくる。
「よりりん。よりりんの任務はここで死なずに生き延びることだよ」
 落ち着いた声はあやめ先輩のものだった。責めるでもなく、諭すでもなく、ただ当たり前の事実を告げる顔で、あやめ先輩は言う。感傷の片鱗一つなく、憐憫の欠片一つなく。
「よりりんは死んじゃ駄目だし、敵の手に落ちてもいけない。わかるよね? よりりんの遺伝子は確実に武器になる。この先の国際情勢の中で、よりりんを手にした国が、一つの勢力となることは間違いない。よりりんはそういう人間だ。今私たちが優先すべきは、まずよりりんの安全を確保することなんだよ」
 きっぱりと言い放たれて、口をつぐむしかない。わかっている。口を酸っぱくして言われ続けて、嫌というほど身に染みている。一時の衝動で動くことが許されないほど、この体に詰まった情報には価値がある。誰かの命を、地球上で暮らす多くの命を救う可能性を秘めているのだ。そんなことはわかっていた。何度も言い聞かされ、俺自身もその義務を負っていると知っている。それでも、わかってるけどうなずけるはずがなかった。
「善がよりりんを先導する。この島の地理に誰よりも詳しい善の案内に追いつける人間はいない。例え事前に調べ尽していたとしても、島の全てを自分の身体のように把握している善の敵ではない。いいね、善。善の任務は、無事によりりんを逃がすこと」
 善先輩は無言でうなずいた。澄んだ目にはどんな感情の欠片も浮かばず、ただ歴然とした事実を写しているだけだった。あやめ先輩はにこり、と笑った。
「善の地理情報を元にして、ワコさんがオロチを操作する。二人を追う人間を徹底的に妨害するよ。ワコさんの手にかかれば、島内のオロチを操ることなんて自由自在だ。雑魚はこれで一掃出来る。オッケー? ワコさん」
「当然よ。全員蹴散らして餌食にしてくれるわ」
 簡潔に答えるワコ先輩は薄らと笑みを浮かべていた。その間にもキーボードを操る指は止まらない。あやめ先輩は晴乃へ視線を向けた。
「最後には一対一の対戦になる。出来うる限り逃げ隠れし、武器も使ってゲリラ攻撃を行うけど、恐らく最後は肉体勝負だ。そこに至った時、どれだけ時間を稼げるかが勝負の分かれ目。一対一の勝負に持ち込み、一番生き残る可能性が高いのは晴乃だね」
 あやめ先輩の言葉に、笑顔で晴乃がうなずいた。春の日差しのようにあたたかな、ふわりとやわらかな笑み。先輩の言葉の意味を理解しているはずなのに、浮かべる笑みはどこまでもやさしかった。
「わかっています。最後まで生き残り、時間を稼ぐことが私の任務ですね」
 そのためなら、私の身体なんて喜んで捧げましょう。凛と紡がれた言葉があまりに強くて、美しかった。何を意味するか、わかっていないはずがないのに。徹底的に立ち向かうと告げた言葉がどんな意味を持っているか、わからないはずがないのに。
「っ、晴乃」
 時間を稼ぐために立ちはだかるのだと、晴乃は言う。最期の瞬間まで、恐らく晴乃は戦い抜く。確かに晴乃の戦闘能力はぴか一で、校内では敵知らずだ。だけどそれはあくまで生徒の中だけの話だ。恐らくプロ集団である敵を相手に、全てを倒すことなど不可能に違いない。逃げてくれればいい。頃合を見計らって、安全な場所まで退避してくれればいい。
 だけど晴乃はそれを選ばないのだ。最期まで、命こと切れるまで、立ちはだかり続けるだろう。確実に訪れる死、それだけで耐えられないのに。
 晴乃が迎えるのはそんな安らかなものではない。訪れるのは、圧倒的で絶対的な、命をすり潰して蜂の巣にするような、凄惨な死。投降も降伏も選ばず、ただ立ち向かう人間を相手にして容赦は要らない。殲滅だけを目的にして、抹消だけを目印にして、ずたずたに殺される。
 そんなことわかってて、送り出せるもんか。
「頼人くん」
 しかし、言葉を発する前に晴乃本人に遮られた。とても落ち着いた目をしていた。憂いも恐怖も昂ぶりさえも存在していなかった。ただ真っ白と純粋で、突き刺さって届く。
「一緒には行けません。私は頼人くんと一緒に逃げることは、しないんですよ」
 だけど、と言った。だけど俺はお前を行かせるわけにはいかないんだ。お前を残して行けるもんか。言ったはずの言葉を、晴乃は笑顔で否定した。駄目です、駄目ですよ、頼人くん。
「だって頼人くんは、私を守れますか。あやめ先輩やワコ先輩、善先輩を守りながら脱出経路を辿り、周囲の敵をいち早く発見し、隙を見て倒し、全員無事に脱出が出来ますか」
 咎める口調ではなかった。さっきのあやめ先輩に似て、ただ事実だけを述べる。俺はみっともなく、だって、とうわ言のように繰り返すだけだ。だって、俺は嫌なんだ。みんなを置いていくなんて、晴乃を残していくなんて。
「それじゃあ頼人くんは強くならなきゃ駄目です」
 きっぱりと晴乃が言い切った。私は頼人くんと善先輩を逃がす時間を稼げます。あやめ先輩とワコ先輩を守りながら、敵を撃退することが出来ます。だけど、頼人くんは出来ないでしょう?
「頼人くんは弱いんですよ」
 嘲笑う響きは一つもなくて、蔑む調子が欠片もなくて、駄目なんだと思った。感情的に罵ってくれたら、怒りに任せて暴言を吐いてくれたらよかったのに。それすら必要ないほど、単純な事実でしかないんだ。俺は弱い。何も出来なくて、ただ守られるだけしか出来ない。
 唇を噛んだ。泣き出すのは簡単でも、それを選んではいけなかった。最後の意地で、唇を噛み締める。みっともなく泣き喚いて足手まといになるわけにはいかない。俺が出来ることは、全ての神経を研ぎ澄まし、荷物にならず脱出することだけだ。
「晴乃」
 名前を呼ぶ。こちらを見つめる目を見返す。綺麗な黒い目。きらきらと輝く。健康的に焼けた肌、俺の名前を呼んだ唇、皿洗いの泡をくっつけてた鼻、照れると赤くなる頬、さらさらと流れる黒髪。全部焼き付けておく。大丈夫、お前のこと全部細胞に刻んでおくよ。世界で一つしかない、特別なDNAと一緒に、全部覚えておくから。
「生きて戻れ。それで、俺と再会してくれ」
 約束だから、と告げると晴乃が笑った。照れたように目を細めて、頬を赤く染めて、薔薇色を浮かべて。大丈夫、覚えておく。この笑顔をともし火にして、きっとまた再会しよう。約束だ、約束だからな、晴乃。
「あやめ先輩、ワコ先輩。二人とも絶対ですから。再会出来なかったら、プリンもコロッケも二度と作りません」
 きっぱり言うと、あやめ先輩が「それは困る!」と叫んだ。ワコ先輩は肩をすくめて「頑張り甲斐があるわ」とか言っている。善先輩が「私の分は?」と言うので、「無事に脱出できたら、いくらでも牛丼作りますよ」と答えておく。あやめ先輩はそれを見て、声高らかに叫んだ。
「4-5班の任務を告げる。全員生きて、再会すること。以上!」