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Note No.6

小説置場

夜来

「終末の砂時計」

 いつか、その日が来るとしても。


 雨が激しくなっているようだ。窓を打つばかりだった雨粒が、今はもう襲いかからんばかりの勢いを持っている。建物ごともぎとっていこうとするような、何もかもを破壊しつくそうとするような。気象部のデータでは夜半がピークだと言っていたから、今がきっとその時なんだろう。
 机の上に広がる書類と、いくつも浮かんだ画面を交互に見遣りながらデータを入力していく。外の天気は今の俺にとって大した問題ではなくて、画面の中の情報の方がよっぽど重大だった。あの頃は、次の日の天気に一喜一憂していたのに。天気一つで実習の難易度が変わってしまうから、祈るような気持ちで夜空を眺めていた。(あそこには天気予報なんてなかったし、自分で判断するしかなかった)
 こんな風に、ボタン一つで最新の天気情報を手に入れられるようになった所で、今の俺にはあまり意味がない。切実に天候を知りたいと望む人間の下へ、データを送り届けることくらいが関の山で、単なる仲介屋だった。あっちの天気はどうだろうと、画面の隅に光る名前に思った。天気は読めているか。ちゃんと明日を見据えているかな。
 がたがたと揺れる窓の音に混じって、ノックの音が響いた。画面を消し、無難なものを一つだけ残す。机の上に広がる書類は、引き出しに入れた。すぐに答えがなかったからか、それとも外の音に混じって聞こえなかっただろうと判断したのか。ノックの音が再び響いて、中へ入るよう促した。
「失礼します」
 礼儀正しくお辞儀をしてから部屋に入ってきたのは、この春こちらに配属されたばかりの新人だった。数代後ではあるものの、俺の後輩でもある。彼はやや緊張した面持ちで前までやってくると、階級と氏名を告げてから、この部屋に来た旨を報告する。簡単な書類の受け渡しだ。新人を場所に慣れさせるという意味を含めて、あちこちにお使いさせているんだろう。自分の居場所だと認識するには、見知った景色を増やすことが重要だという。誰に聞いたんだったか――わずかに考えるものの、十中八九答えは出ている。
 ここで生きていくための様々なことは、全部あの場所で学んだ。生き抜く術も、逃げる手段も、ずるくなることも、汚れていくことも。大事なものはみんなあそこで、あの人たちに教えられた。
 礼を言って書類を受け取り、認め印を押していく。最後の一枚にたどり着いた時、付箋が貼られていることに気づいた。付記し忘れたのかとも思うが、すぐに違うと理解する。見慣れた文字にげんなりしてしまうのは、言いたいことがほとんどわかってしまうからだ。大体において俺は、あいつにいいように利用されている。
 しゃちほこばっている新人の名前を呼んだ。びくりと肩を震わせて、思い切りよく返事をする。まったく、後で覚えておけよ、宏彦のヤツ。
「君は確か、神世の卒業生だったな」
 神世学園。俺が3年間過ごした離島の学校。知識も技術も、生きるための何もかもを教わった。忘れられない人に出会った。出会うべくして出会うように――ロマンチストな人間であれば運命だとでも言うように――、今までの何もかもを覆すほどの出会いだった。
「は、はい! 自分は、52代目の卒業生です!」
「そうか。聞いていると思うが、私と君の所の蜂須も卒業生なんだ」
 さっきの付箋には、「新人くんは、夜勤詰めが多くてお疲れ。そっちで適当に雑談して、ほぐしてやってね」と書いてあった。俺はマッサージ屋でもないし、喫茶店でもないぞ、と思ったがいいだろう。宏彦の助けになるのはシャクだが、新人に罪はない。どうせ殺人的なスケジュール組んでるあいつが悪いんだ。それにまあ、新しい人材を早々に潰すわけにも行かないし。
「それはよく聞いて――いえ、存じてます。蜂須大尉にも色々と話はうかがってますので」
「……話半分に聞いておいてくれよ」
 絶対あることないこと言ってるに違いなかった。何なんだあいつは、今度あったら〆とこう。内心で決意を固めていると、目の前の新人は「雨、強いですね」とつぶやいた。俺は窓の向こうを見た。なぶられるような雨は、もはや水ではなく、何か別の塊のようだった。荒れ狂って叩きつけ、致命的なまでの破壊衝動に駆られているような。狂気に満ちた行動にも見える。
「……明け方までには、止むといいんですが」
 独り言のように漏らされた言葉は、祈りの響きを持っていた。こちらを見るでもなく、ただ外の様子をにらみつける姿に、薄らと理解した。恐らく彼が願っているのは、単純に天気が悪いと困るだとか嫌だとか、そういうことではないんだろう。切実に、明日の天気一つで命運が左右される人を知っているのだ。そういえば、明け方に任務開始の部隊があったな、と思う。彼の知り合いが、もしかしたらいるのかもしれない。もしかしたら神世学園での班員やクラスメイトが、夜明けを待っているのかもしれなかった。
「天気図を見た限りだと、夜半がピークだな」
 気象部からのデータではあるものの、天気図を見れば誰にでもわかることだ。これくらいなら構わないだろう。新人は顔を上げて、「そうですか…!」とうなずく。はっきりと顔が輝いている。
「天気図くらい読めるようになっておいた方がいい。授業でもやっただろ」
「ええと、はい…ちょっと苦手で」
 わずかにほぐれた笑顔を見ながら、恐らく、と思っている。俺たちがいるのは、後方支援部隊付き調整事務室だ。戦場へ出る機会は圧倒的に少なく、定年まで勤めて退役するものがほとんどだった。大きな怪我に見舞われることなく、ただ事務仕事に取り組んでいる。理由は簡単だ。死なれては困る人間を、ここに集めておいてあるのだ。
 特殊な体質や遺伝子を持つもの、旧家や財閥の子息、人口の少なくなった現代で、保護するべき人間たちをここで守っている。だからうちの部署には、圧倒的に男子が多かった。きっと目の前の彼もその口だろう。守られることが当たり前で、最前線で共に戦うことは決して許されない。ただ後ろで、祈ることしか出来ない。庇うことも守ることも、決して許されない。俺たちはただここで待つだけだ。ぼろぼろに傷ついて帰って来る大事な人を、重大な怪我を引きずりながら帰還する人たちを。
 そうしていつか、取り返しのつかなくなる日まで。
「判子は全部押印した。蜂須に返してくれ」
 まとめた書類を新人に渡した。直角に礼をすると、ばたばたと部屋を出て行く。長居したことに気づいたのかもしれない。走るなよ、と声をかけてから窓の外を見る。荒れ狂う雨。この雨がいつか止むのと同じように、俺はもう知っていた。
 戻ることは出来ない。あの日、この先を進むと決めた時から、カウントダウンは始まっていた。いつか訪れるその日、取り返しがつかないその時まで、俺たちは歩いていくしかないのだと。