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Note No.6

小説置場

Welcome home!

 夜勤明けの朝、食堂に寄ってから帰るか、という時刻だった。退勤を記録して、食堂につながる廊下を歩いていると、何やら前方が騒がしい。一応場所柄、そう無闇に騒ぎ立てるような人種はいない。だから、あからさまに騒ぎが起きているという風ではなかった。ただ、どことなく空気に落ち着きが感じられないような、浮き足立つような雰囲気が漂っている。
 一体どうした、と思って見れば、前方から歩いてくる人影に納得した。制服組が多いこの場所で、迷彩服はよく目立つ。くわえて、雑巾のようにボロボロで尚且つ泥まみれとくれば(歩いた跡に泥の河まで出来ている)、ざわつくのも仕方ないだろう。むしろ、一瞬ぎょっとした顔をしても、すぐに平常を取り戻す周囲が見事なのかもしれない。町中だったら確実に、眉をひそめて非難されていることだろう。さすがにここで、最前線で体を張って無事帰還した人間を咎めるような人間はいない。いたら後々、謎の災厄が降りかかってくることになるだろうけど。
 歩き方に不自然な所はなく、怪我はしていないようだ。目深に被った帽子で顔は見えないものの、疲れが溜まっているんだろう。若干歩き方に覇気がない。それでもここまで来る根性は、大したものというか何というか。本部でそのまま仮眠室へ行くことも出来ただろうに。
 疲れてはいるものの、足取りはしっかりしている。真っ直ぐとこちらに向かってくるから、俺も真っ直ぐと歩く。向かい合うように、引き寄せられるようにして足を進めれば、すぐに辿り着く。さて、一体何を言えばいいんだろう。気の利いた言葉でも出てくればいいんだが、生憎俺はそんな言葉を持ち合わせていない。これが宏彦だったら、歯の浮くようなくさい台詞を、呼吸するのと同じレベルで吐き出せるんだろうけど。
 俺にはそんなスキルがないので、思ったことをそのまま口にすることにした。随分長い間、顔を見ていなかった。今回は長かったな。随分ヘビーだったみたいだ。やってやりたいことならたくさんあるから、それじゃあまずは手始めに。
「お帰り、晴乃。何食いたい?」
 声をかければ、弾かれたように顔が上がる。よく見慣れた笑顔がそこにはあって、とろけ出しそうな顔のまま「ただいま、頼人くん」と言った。

「…しかし、何もここまで来なくても」
「私も初めは、報告書出したら本部で休むつもりでしたよ」
 ロッカーから出したタオルを受け取った晴乃は、ごしごしと体中の泥を落としながら続ける。シャワーは後で本格的に浴びるとして、ひとまず酷い汚れを拭き取ることにしたのだ。
「でも、カレンダー見てたら、『今日は頼人くん夜勤明けの日だなぁ』と思って」
 任務完了の所為で、どっと疲れの出た頭でも、俺の出勤日をきっちり把握している所が晴乃のすごい所だと思う。晴乃はいたって普通の顔をして、頼人くんのことですから当然です、と言い切るんだろうけど。
「そしたらもう、こっちに来た方が早いじゃないですか。時間的にも、アパートへ行ってもいないと思ったんです」
 部屋の前で待つより会いに行った方が早い、という結論を下した晴乃は、そのままこっちへ来たらしい。結局会えてるんだから、晴乃の判断は正しかったってことなんだろう。
「お見事。ってか、疲れてるくせによくそこまで考えるよな」
「むしろ疲れてるからですよ」
 一通り汚れを拭き取り、最初よりは身綺麗になった晴乃は言う。髪の毛を結い直し、顔も洗った晴乃は、ぼろぼろの迷彩服に身を包んでいるというのに、清潔な空気を醸し出し始めている。いつも見ていたような、どんな場面でも落ち着き払っていた時のような。
「疲れていると、もうほとんど本能で動いてますから。頼人くんがいる所にって、野生で動いているようなものです」
 お腹の空いた犬が肉を追いかけるなんて、難しくないでしょう、と軽やかに笑った。羽でも生えているような、空だって飛べそうな笑顔。戻ってきたんだな、と思う。長い間顔を見なかったけど、ちゃんとここにいるんだ。
「頼人くんのご飯が食べたいがために帰還したようなものです」
「…それは光栄な話だけど」
「本当ですよ。もう缶詰飽きました」
 やれやれ、と晴乃は溜め息を吐く。まあ、前線で好き嫌いとか飽きる飽きないなんて言ってられないから、そんなことを言える余裕もあったらしいので、ひとまずはよかったと思う。長い任務ではあったけど、厳しい話はほとんど聞いてなかったし。
「それじゃあ、とりあえず家行くか。何か食いたいものあれば、途中でスーパー寄ってくけど」
 この辺りなら、早朝から開いているスーパーがあるので(明らかに俺たち向け)、必要なものは買って帰れる。晴乃は俺の言葉にしばしば考え込んだもの、家にはなにもないんですか? と尋ねる。俺はちっち、と指を振った。
「俺をなめてもらっちゃ困る。常に煮物とスープは作りおいてある。ご飯も冷凍庫で眠ってるし」
 休日に大量に作って冷凍しておく次第である。だって帰って食事作るなんて大変だし。かといって惣菜ものも、たまにならいいけど、その内飽きるしカロリー的に心配だし。
「でも、せっかく久しぶりなんだから、もっといいものがいいだろ?」
 さすがに作り置きってどうよ、と思って言ったわけだが。晴乃は思いっきり首を振った。
「さっきも言ったじゃないですか。私が食べたいのは、頼人くんの料理ですよ」
 特別に作ったものじゃなくても、手が込んでなくてもいいんです。ただ、頼人くんの料理なら、それだけで大満足です。きっぱりと言いきってから、にっこりと浮かべられた笑みに。ああ本当に帰ってきたんだなぁ、と思った。