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Note No.6

小説置場

静謐に告げる

「終末の砂時計」

 この日が来ることを、俺はもうずっと前から知っていた。だから今日がその日だと知った時、俺の心は嘘のように落ち着いていた。風一つ吹かない、鏡のように静かな湖面が広がっている。俺を波立たせるものは、何一つない。だってもう随分と前から、俺はこの日を知っていたから。
 一報は本部から伝えられた。味方陣営内部に、突如敵のロボットが現れたことをオペレーターが確認、オロチに取り付けられた即時同調記録機から激しい戦闘の模様が中継される。応援を要請する無線連絡が入り、該当部隊派遣決定後すぐに通信が途絶えた。そのまま、派遣部隊が到着するまで通信機能は回復せず。次に連絡が取れた時伝えられたのは、前線基地の壊滅と、生存者ゼロの報告だった。
 前線部隊とはほとんど関係ない部署勤めなので、大体の経緯を知ったのは随分後になってからだった。その頃の俺は、呑気に決済済みの判子でも押していたことだろう。終わらない書類に取り掛かりながら、今日の夕食は何にするか、なんて考えていた。俺の知らない所で作戦は実行され、戦闘は激化し、応援部隊が派遣され、淡々と処理が行われた。俺がそれを知ったのは、痕跡全てを消し去り終えた部隊が帰還した後だ。仕事を終えてアパートに戻った俺の元に、血相を変えた沙羅先輩が飛び込んで来て、無理矢理車に押し込められた。
 そのまま急発進した沙羅先輩に目を白黒させていたら、真っ直ぐ前を見つめたまま、絞り出すように言ったことを覚えている。向かいの車のヘッドライトが強く当たって、沙羅先輩の顔にはっきりとした陰影が落ちていた。
(北方部隊I‐34地区最前線基地ナンバー22)
 硬い声だった。無理に唇から押し出したような、ごろりとした言葉。思わず見返したのは、その声の異質さ以上に、閃くものがあったからだ。赴任先を漏らすことは有りえない。だからはっきりと知っている訳じゃない。だけど、事前の話で国の予想をつけることは出来る。だから、北方のI‐34地区へ行っていることを、俺は知っていた。誰が行っているのかを知っていた。
 沙羅先輩は同じ声で、ただ言葉を落としていく。後から詳しく知った経緯を、簡略化して伝えていく。ロボットの奇襲。激しい戦闘。応援要請。通信断絶。到着した部隊の報告。生存者はゼロ。生存したものは一人もいない。ひとりも、いない。
(さっき、応援部隊が帰ってきたよ)
 ただ真っ直ぐと視線を注いで、ハンドルを握りしめたままの沙羅先輩が言った。その横顔を見つめながら、ぼんやりと思っていた。先輩はこっちを見ない。前だけを見ている。動いてしまうと、こぼれてしまうからかもしれない。溢れてはいけないものが、きっと流れ出してしまうんだろう。
(残されたものは全部回収してきたから、何があったのかを分析してる)
 ぎりぎりの所で張り詰めた声で、沙羅先輩は続けた。俺はたぶん、含まれる意味をちゃんと理解していると思う。残されたもの。生存者はいないと断言された場所に残されたもの。たぶん、俺がこれから向かう先。
(善先輩ですか)
 そういえば、善先輩が今いるのって分析班だったよな、と思った。いち早く情報をキャッチしたのは、回収した機械の方から地理情報とかの分析を依頼されているからだろう。そこで知った名前を見つけても、事情を理解しても、おかしくはない。沙羅先輩はうん、とうなずいた。
(わたしはもう上がってたから、善から連絡があって。頼を連れて来いって)
 仕事の合間に連絡してきたんだろう。本来なら許されないし、善先輩が規律を破ることなんてほとんどない。だけど、そうしてまで連絡を取ってくれた。そうしなければならないと、思ってくれた。
 唇を噛む沙羅先輩を見ている。心はひどく穏やかで、思い描くたった一人に語りかけている。もう苦しくはないならいいんだ。痛くも辛くもなければいんだ。きっと笑っていると思う。申し訳なさそうにしていると思う。何を言うかなんてわかっている。そうだな。沙羅先輩にその役目を負わせちゃいけない。そうだろう、晴乃。
(――晴乃ですね)
 沙羅先輩の肩が震えた。にらみつけるように見開いた目が数度まばたきしたかと思うと、次の瞬間には見る間に涙が溢れていく。沙羅先輩は慌てて目をこすり、それからはっきりとうなずいた。
(ナンバー22は、最前線の中でも最も隣接した区域だった。だから、部隊長には晴乃ちゃんが適任だろうと)
 ロボットとの遭遇率が高い所はもちろん、最も人間と近い場所で睨み合うのが晴乃の常だった。人間を相手にした一対一の勝負では、圧倒的な強さを誇る人間だからそれも当然だろう。相手に気づかれることなく背後に忍び寄る技術に、的確に急所を見抜く目、寸分違わず攻撃可能な身体能力を持っている。それがもちろん無敵ではないことは、よく知っていた。
 深夜の道路は比較的空いていて、スムーズに進んでいく。向かう先は、本部別館地下にある遺体安置所に違いなかった。戦地から回収され、解剖も済んでいるんだろう。シートに深く体を沈めて、目を閉じた。いつか来ると思っていた。やがて訪れるその日は、今日だったんだ。