Note No.6

小説置場

Time Cake

 寮に戻ると、班長である志摩あやめが唇を尖らせていた。居間のソファでクッションを握りしめながら、同じ学年で3年間同寮である宝谷紀和子へ向けて「酷いよね」と力説していた。
 頼人はどうしたらいいかわからず、とりあえず玄関の扉を丁寧に閉めた。何だ、他の二人はまだ帰ってないのかそれとも部屋に戻ってるのか。どぎまぎしつつ靴を脱ぎ、周囲に目を走らせる。自分のを含めても靴が三足しかない所を見ると、どうやら帰っていないようだ。
 ゆっくり手洗いうがいをしてからおずおずと居間へ入ると、そこでようやく二人は頼人に気がついたらしい。あやめが「よりりん、お帰りー」と声をかければ、紀和子も「お帰りなさい」と続けた。こういう場合どうしたらいいんだ、爺ちゃん相手なら「ただいま」だけどただいまの丁寧形って何だ!
「ええと、あの、ただいま、です」
 いやですじゃねーだろ、と思ったが出てしまったものは仕方ない。せめて丁寧語にしようとした努力だけ伝わればマシだ、と思っていたらあやめが大きな笑い声を立てた。
「ただいまです、かー! 別に普通に『ただいま』でいいんだけど――丁寧にしたいなら、『ただいま戻りました』とかでいいと思うよ」
 どうやら「ただいま」とは「ただいま戻りました」の後ろが省略された形らしかった。一つ賢くなったな、と思った頼人は「ありがとうございます」と頭を下げた。明日からはこれでいこう。
「あ、そだよりりん」
 思い出した顔であやめが名前を呼ぶ。最初に自己紹介した時から呼ばれている名前は奇抜だが、ずっと連呼されているので慣れてしまった。何だろう、と顔を上げれば、思いの外あやめは真剣な顔をしていた。
「よりりん、時間割見せて!」
「へ」
 時間割? と思いつつ、鞄の中を探った。この場合時間割が指すものは一つしかないだろうし、ついさっきもらってきたばっかりのあれだろう、と察しはつく。知ってはいたものの、一日7時間授業(火曜日は8時間)を目の当たりにすると、思ったよりダメージは大きかった。封筒を取り出し、さらに中から時間割を抜いた頼人は、あやめへと差し出す。受け取ったあやめはやたら真剣な顔で時間割を見ていた。
「…えーと…?」
 あれは一体どういうことだ、という気持ちで傍らの紀和子を見る。さらさらの黒髪をなびかせて、長い足を組んで座る紀和子はスタイルも抜群で、見惚れてしまいそうになる。ただ、惚けていては話が進まないので、自分を律しつつあやめを示して尋ねた。
「何かあるんでしょうか」
 実は俺が知らないだけで、時間割に何か仕込まれているんだろうか、という面持ちで質問を投げる。紀和子はあっさり答えた。
「演習授業の時間が気に入らないだけよ」
 凛とした涼やかな声で、紀和子は言葉を並べる。何でも、金曜日の1時間目と2時間目に演習が入っている、ということが許せないらしかった。紀和子はほう、とため息をついた。
「あやめもわたしも、朝早いのって苦手なのよね。起きられるかしら」
 眉を寄せて憂いを含んだ表情は、何らかの絵の題材になってもおかしくなさそうな風情だった。ただ、言っていることはどこまでも酷い。ただの怠惰な生活の報告である。
「何かの間違いだといいのに、と思ってたんだけど。間違いじゃないみたいね」
 もしも違っていたら鬼の首を取ったように叫ぶに決まってるから、と続く。確かに、頼人の時間割を見つめるあやめの表情は厳しい。希望通りにはならないことを、つくづく感じているからだろう。
「頼人、あなた朝は強い方?」
「え、いや普通だと思いますけど…何で先輩たちそんな朝弱いんですか?」
 低血圧とか? と思って尋ねてみる。単純に朝は眠いから、とかだと思ってたけど。もしかして体の調子が悪いとか、体質的な問題とかそういうことなんだろうか。紀和子は頼人の言葉に淡々と答える。
「夜の方が頭って冴えるのよね、午前2時くらいから」
「寝てください」
 完全にただの睡眠不足による眠気だろう。解決方法は簡単で、早く寝るということだけに尽きるのだ。紀和子は肩をすくめて「善みたいなこと言うのね」とつぶやくので、頼人は無口な2年の先輩を思い浮かべる。あ、何かちゃんと話が出来そうな予感がしてきた…!
「うーん…これはもう確定っぽいなぁ」
 いくら見つめても結果は変わらないので、ようやく時間割から目を離したあやめがつぶやく。「絶対先生たちの陰謀だ…」とぶつくさ言っている。
「中々寝ないの知ってるから組んだんだよ、これたぶん」
「可能性はあるわよね」
 先生たちにチェックされてるレベルって、この二人どんだけ夜寝ないんだよ。頼人はこっそり思ったが、とりあえず黙っておく。あやめはしばらくぶぅぶぅ文句を言っていたが、ふと思い出した、という表情を浮かべる。
「そういえばよりりん、金曜日死にそう」
 爽やかにとんでもないことを言い出した。頼人は「え?」という顔をしてあやめを見つめ、当のあやめは紀和子に向けて頼人の時間割を見せている。紀和子は指差された場所を確認して「あら」と口を開けた。
「中々過酷ね」
「でしょ。演習終わって片付けした後体育ってだけで移動面倒だし、大体演習で体力削り取られてるのに体育とかねー! 応用じゃないだけマシだけど、ひたすらトレーニングだし」
 大笑いしながらあやめは言う。私が1年の時なんか、演習終わったら次の授業で寝て回復だったもん、と続ける。ひどい時はぶっ倒れてそのままだったし! と笑顔で言われるが頼人は笑えない。
「間に古研と政経が入ってるのはいいけれど……戦闘訓練もあるんだものね」
 殴り合いやら銃の実射やら、気力と体力が充実していないと辛いらしい。演習でぼろぼろになって体育でさらにいためつけられ、ふらふらになっている所に戦闘訓練とは、止めを刺すようなものね、と言われる。頼人は黙った。
「まあその内慣れると思うけど! それまで頑張ってねー」
 呑気な顔であやめが言う。慣れれば授業中でも寝てられるし平気だよ、と言われるが、ふと気づく。神世学園では実技が有名だが、一般的な科目も手を抜かない。それ所か、高レベルな授業が展開されているのだ。あやめは頭脳明晰で有名であり、授業は聞かなくてもあまり問題はないだろうが、頼人は違う。授業を聞かないと、あっという間に落第する。
「……」
 要するに、座学の授業も手は抜けないということだ。あれ、何これ俺どこで体力回復すればいいの。思わず現実逃避しそうになるが、授業は明日にでも始まるわけで、逃避することも出来やしない。
「…先輩方、チーズケーキとか好きですか」
 全力で逃げ出したい衝動に駆られるが、それが無理なことはわかっている。それならもはや、好きなことでもやって心を静めるしかないじゃないか! さっさと結論を出した頼人は、精一杯の現実逃避としてお菓子作りを開始することにした。