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Note No.6

小説置場

彼というひと。

 何の他意もなかったのだけれど、彼らの会話を立ち聞きしてしまったことがある。教室に入ろうとしたら声が聞こえてきて、話題の中心人物が自分だったりしたら、立ち止まって聞き耳を立ててしまうのも致し方ないだろう。
 最初に話題にのぼったのは、天使のようなかわいらしい少年の話。悪意があるというわけではなかったけれど、恐る恐るといった雰囲気がありありと伝わってくる。確かにあいつはわりと話せるし、別に何かをされたってわけでもない。だけど、怖くね? という声。立ち聞き中の二人は、件の少年をうかがうけれど当の本人は気にしていないようだった。そんな質問に対して、明るく答えたのは教室の中にいた彼だ。
「ばっかだなーお前ら。まあ、仕方ないけどっ」
 からっとした笑い声。馬鹿とは言っているけれど、それが蔑みからくるものでないことくらい、目の前の人間がわからないはずはない。教室の外にいる三人でさえ、まぶしい笑顔を浮かべているのがわかるくらいなのだ。
「成島ほど頼りになるヤツ、いないよ? 緊急事態には絶対一番頼りになるに決まってる」
 俺だったら助けてもらいに行っちゃうね、メノウ様もいるし。続けられた言葉は茶化すようではあるが、からかいの響きはない。本当に心底思っていることがわかり、当の本人は手の中のあみぐるみを握りしめた。信じてくれる人がいないことを、不可思議とは思ったけれど寂しいと思ったことはない。それでも、信じてくれる人のいる心地よさを知らなかったのも本当だった。
 教室の中の声は、再び問いかける。今度はいつでも無口な眠そうな少年の話だった。あいつって、何考えてるかわかんねーじゃん? ある意味、こっちの方が怖くねえか、と言う声。いきなりキレて何かやらかしそうだし、と続く。話題の中心人物がどこ吹く風、という顔で聞いているのは本気でどうでもいいからだろう。
「ないない。それは絶対ない」
 再び、彼は笑いながら明るく否定する。持っていたブリックパックを飲み干す音がして、しばし間が空いてから再び続ける。
「遠山がそんな無駄なことしないって。やるとしたらそれ、お前らに理由あるんだよ」
 まあ、ちゃっかりしてて腹黒いからいろいろ精神的に怖いかもしれないけどっという言葉が果たしてフォローなのかはわかりかねる。それでも、当の本人の唇には確かな笑みが刻まれていた。学校なんてどうでもいいことばかりだし、誰かと話すことなんて、勝手な憶測が飛び交ってしまって、面倒なことこの上なかった。同じ歩調で歩いて同じ場所で話す人間がいるだなんてことを知るまでは。
 納得したのかしていないのか、教室の声は続く。それじゃあ、と問いかけるのは、最早誰もが予想していた人物だ。頭がよくて短気な、眼鏡の少年の話を声は続ける。いつも苛々してて自分が一番正しいって顔して俺らのこと馬鹿にしてるし、あいつムカつかね? その言葉に当の本人以外の二名が忍び笑いを漏らす。本人は不機嫌そうな顔をしているだけだ。
「ムカつくよなー!」
 彼は爆笑しそうな勢いのままで肯定した。お前何様だって思うよな、俺も思う! と続ければ、教室では我が意を得たりと言わんばかりの歓声があがった。彼はそれを聞きながら、でも、と続けた。マジで頭いいもんな、と静かに言うと、声はおさまる。確かにその通りだと、残念ながら誰もが知っていたからだ。静まり返ったメンバーの前で、彼は言った。だけどそういうんじゃなくて、と言った。
「仁羽は面白いよ? 絶対見捨てないし、投げないし。ムカつくほど責任感あるし」
 笑いを含んだ言葉を、当の本人は苦虫をかみつぶしたように聞いているしかない。面白い、というのが何を指しているの言外に察知してしまったということもあるだろう。しかし何よりも、ここまで真っ直ぐな感情を向けられることを知ってしまっては、緩んでしまう顔を引き締めていなければならなかったからだ。
 教室の声は彼の言葉を噛み締めているようだった。本当にそうなのか、信じられないけれど。だけど目の前のこいつが言うなら、そういうこともあるんじゃないか? という沈黙だ。
 立ち聞きをしていた三人も同じように無言だったけれど、考えていることは大体同じだった。明るい顔をして、弾けるように笑う。人を笑わせて楽しませて、何も考えていないように見えて、人の心に敏感だ。だから、こいつが言うならそうなのかな? なんてことを思わせてしまう。別に、馴染めない人間をクラスの輪にいれてやろうだとか、そういうおせっかいから来ているわけではない。ただ単純に、彼にとっての事実を告げているだけだ。ただそれだけで、三人がまるで魅力的な人物に聞こえてしまう。眩しいほどの笑みを浮かべて、まっさらな好意を向ける。くすぐったくなるほど純粋に、当たり前の事実のように、信じているって声にならない声で伝えてしまう、彼というひと。