Note No.6

小説置場

ハロー、フレンズ!

 朝起きると、何やら甘い匂いに家中が満たされていた。まさか久々にカレンダー通りの休日がもらえた娘のために、張り切っているわけでもないだろう。はたして今日は何があったっけ、と思いつつ降りて行ったら、リビングを開けたとたん甘い匂いにふわん、と包まれた。
「おはよー、お母さん。今日何かあったっけ? 誰かの誕生日?」
 誕生日くらい覚えているけれど、実はうっかり記念日でも忘れているのだろうか、と問いかけた。すると母親は鼻歌交じりに答える。
「違うわよー」
 オーブンからケーキを取り出しながらの台詞だったので、非常に説得力がなかった。じゃあ一体何なんだ。
 思いながら部屋を見渡すと、心なしか綺麗になっている。掃除機でもかけたのかほこりはないし、窓までぴかぴかしていた。思い立って大掃除? それにしては、庭から切ってきたらしい花まで飾ってある。
「お客さんでも来るの?」
 そう考えれば理解できる。おもてなし用のお菓子に、綺麗になった部屋、飾るための花。…それにしても、クッキーにドーナツにケーキって多すぎないかお菓子。
「そーなのよ!」
 不審げな私には目もくれず、母親は叫んだ。そーなの、お客さんなの! どっかのスターでも来訪するのか、と思うくらいの興奮ぶりだ。一体誰が来るんだよ、と思ったのだけれど。
「弘光の友達が来るのよ!」
「うそっ!」
 叫ばれた台詞に、私も思いっきり叫んだ。あの弘光に、訪ねてくるような友達がいたのか!

 弘光は私の弟である。ただ今中学二年生で、わりと年が離れているのは、間にもう一人妹がいるからだ。
 この弟は現在中学生だけれど反抗期を迎えることもなく、大変素直だ。母親や父、姉の私にもよくなついているし、くるくるの巻き毛も大きな目も、天使みたいだ。有り体に言って大変可愛い。家族の欲目を抜きにしても、弘光は大変かわいらしい顔立ちをしていると思う。センスだって悪くないし、性格だって素直だし、一点を除けば軽くアイドル並みの弟だと思う。
 ただ唯一の難点というのは弘光がいつも携帯しているうさぎのあみぐるみにある。ピンク色をしたそれを、弘光は「メノウ様」と称して崇め奉っている。嘘偽りなく、本気で、心底信仰していた。その容姿から女の子のファンは多かったが、寄ってくる女の子たちに「メノウ様」の話を延々しゃべり続けて、恋心を片っ端から叩き落としたのは有名な話らしい。自分の弟ながら変ってるとは確かに思う。
 性格に難があるわけではないので、積極的にいじめられているというわけではないらしいが、消極的にはハブられている。どうにかしなくては、と私たち家族が思ったのも当然ではある。だけれど、私たちはあまり強く出られなかったのだ。その「メノウ様」の持ち主を、知っていたから。
 弘光がいつも持っている、ピンク色のうさぎのあみぐるみ。本来の持ち主は、私の妹だ。弘光が小学校へ入る前に、両親の離婚に伴って別れ別れになってしまった私の妹。今どこで何をしているのかはわからない。たった一人の私の妹。
 両親が離婚した際、私はある程度大きくなっていたからどうにか折り合いは付けられた。弘光はまだ小さかったから、きっとすぐに忘れるだろうと思っていたのだ。だから、あまり触れないようにしてきた。それが間違いだったのだと気づいたのは、「メノウ様」にすがるしか出来なかった弘光を前にした時だった。きっと、弘光は小さいながらもいろんなことを考えていた。いつか忘れるからと、蓋をしてはいけなかった。小さな胸の内は張り裂けそうで、それを救ったのがメノウ様だと、わかってしまった。
 そんなメノウ様を蔑にすることなどできるわけもなく、弘光が言うのであればそれでいいじゃないか、と私たちは結論した。だから、弘光の言動はとどまることを知らず、結果として友達が一人もいないという事態になった。まあ、本人が気にしていないからいいんだけれども、友達がいたらいいのにね、と思うことは思っていた。
 そんなこと、中学に入ったあたりから諦めていたっていうのに、それなのに!

「…どんな子なの? え、実は遠い所から来る人とか?」
 メル友だろうとネットの友達だろうと何だっていいのだけれど、まさかこの辺の人間ではないだろう。弘光の噂は隣町まで轟いているらしいし。
「それがねー、同じクラスの子なんだって!」
「ええ!」
 マジですか。そんな勇者いたのか。ていうか、転校生とかそういうオチだろうか…。思ったのに、母親はあっさりそれを打ち砕いた。
「ずっと瑞原の子らしいのよねー」
 マジで勇者だ、と思った。今までの弘光の噂を知っているだろうに、それでも家まで遊びに来ちゃうとは。一体どんな子なんだろう。
「ってことは、本当に弘光の諸々知ってて来るんだ」
「そういうことよね」
 一瞬、笑いに来るんじゃあるまいな、と思った。しかし、弘光はそういうことを見抜く力はあると思うし、メノウ様も一緒ならそんな人間寄せ付けないだろう。だから却下。
「…弘光に友達がねぇ…」
 そういう母の目の端に、きらりと光るものがあった。弘光の友達を奪ったきっかけが自分にあると、痛いほど思っていたのだろう。口に出しはしなかったけれど、そう思っていたのは間違いない。
「あ、男の子ってこれくらいで足りる? もっと食べる?」
 しかし、私の視線に気づいたらしく明るい声で言った。私はため息を吐くふりをしつつ「甘いもの以外もあった方がいいんじゃない?」と答えるにとどめておく。
 身支度をしながら、友達を迎えに行った弘光の帰りを、母親と心待ちにしている。