Note No.6

小説置場

Out of tune!

 お前に泣かれると困る。


 端的に言うと、驚いた。それからものすごく慌てた。柄にもなく本気で慌てふためいて、飲んでた紅茶を噴き出す所だった。ただ、当の本人が俺より驚いているもんだから少し落ち着いた。
「うお、何だこれ」
「…こっちの台詞だ、馬鹿野郎」
 心臓がどっど、どっど、といつになくせわしない。だけれど俺以外の人間にはわからないだろうから、何でもない顔をしておく。
「あー…ごめん」
「謝ってほしいわけじゃねぇよ」
 ごしごし、袖で目をこするもんだから途端に赤くなる。舌打ちをして鞄を探ると、びくびくしているのが目に入る。それを横目で眺めながら、ハンカチを探し当てたので投げてやった。
「ありがと」
 受け取ると、控え目に目元を押さえる。しかし、どうもあまり意味がないようだった。後から後から涙が出て来るらしく、収まる気配がゼロだった。俺は出来るだけ何でもない口調で、内心の動揺を押し殺して尋ねる。
「…そんなに泣くことじゃねえだろ」
 園田は無言でハンカチを目に当てていたが、俺の質問に律儀に答えようとしたらしい。ハンカチを取ってこっちを見る。濡れた瞳に見据えられてひやり、とした。
「いや、うん、ごめん。でも何か…考えたら、ちょっと、うわ」
 ゆらゆらと揺れていた瞳から、ぼろり、と大粒の涙が零れる。涙の筋を通って、とめどなくあふれ出していく。どきん、と心臓が一際大きく音を立てたのが自分でもわかって顔をしかめてしまう。園田はそれをどう読み取ったのか、涙をこぼしながら笑った。
「うわ、ごめん、ほんと」
 笑う顔はしているけれど、それが無理しているものだというのは一目瞭然だ。そんな風にボロボロ涙をこぼしながら、笑ってほしいわけじゃない。泣きたいのなら泣けばいいし、楽しい時や嬉しい時に笑えばいい。そんな顔を、させたいわけじゃないのに。
「悪い、止まんない」
「……」
 くそ、と思った。盛大に舌打ちをしたかったし、五分前の自分を殴り飛ばしに行きたかった。こんな風に泣かせるつもりじゃなかったし、こんな顔を見たいわけじゃなかったのに。笑っていてほしいとは思うけど、泣かせたいわけじゃない。こんな顔見たいもんか。
 舌打ちをすると自分に向けられているものだと思うだろう、と考えるくらいの理性は残っていたから呑み込む。しかし、凶悪な顔をしているのはぼやけていてもわかるらしく、すっかりしょげている。
 違う、そんな顔をさせたいんじゃない。お前に怒ってるわけじゃない。腹が立って仕方ないのは考え無しの自分自身だ。
「…ごめん、仁羽」
「謝んじゃねえ」
 強く言った。言いたいことの十分の一も伝わらないってわかるくらい、硬い声だった。こんな責めるみたいに言うつもりじゃないのに。もっと、もっとやさしく、おだやかに言ってやりたいのに。そんなこと全然してこなかったから今になって困るんだ。自分自身に苛立ちが募る。
「すぐ謝んな」
 ぐす、と鼻を鳴らす園田をきちんと見られない。
 泣いていると思ったら、それだけで落ち着かなくなってしまう。心臓がどくどくと、普段より速い拍動を伝える。喉がからからだ。酸素が薄くなってしまった気がする。
 いつだって阿呆みたいに笑ってる奴だと思っていた。笑っているのが当たり前だと思ってた。泣くなんて、涙を流すなんて想像出来ないくらいいつだって笑ってばかりだ。だから、俺はきっとすぐに忘れてしまう。目の前のこいつが笑っているのは当たり前なんかじゃなくて、そうしていようとしてるからだってことを、俺はすぐに忘れるんだ。
「…園田」
 言いたいことは山ほどあるのに、伝え方がわからない。どうしたら、どうしたらお前が笑えるのかさえ、俺には全然わからない。どうでもいいことはもっとよくわかるのに、肝心なことは何一つわからない自分の頭が恨めしかった。
「好きなだけ泣いてろ」
 ひく、と息を飲んだのがわかった。きっと、俺の言いたいことなんて一つも伝わってない。それだけは伝わる反応。舌打ちをしたいのは俺自身に対してなのに、こいつのことだから勘違いしている気がする。
「…いくらでも付き合ってやるから、枯れるまで泣いてろ」
 涙を止める方法なんて何一つ分からない。泣かせることなら出来るのに、きっと俺はこいつを笑わせてやることなんて出来ない。それなら、俺は、付き合ってやるしかねえじゃねえか。
「泣き尽くして、もう泣けないってくらい泣いたら」
 笑っている顔を思い出す。どんな言葉を使えばいいかわからないが、あいつは笑っている顔が一番似合う。それが一番自然だ。無理してるんじゃなくて、阿呆みたいに何も悩み事なんてないみたいに、あっけらかんと笑っていればいい。だから。
「…そしたら、ちゃんと笑ってろ」
 ふ、と園田を見る。涙で濡れた目をして俺を見る、園田を見ている。黒い瞳が濡れていて深い色をしているな、と思った。きっと滑らかなんだろうな、と思った。園田がじっと俺を見ていて、どんな顔をすればいいかわからない。
「…にわ」
 だけど、名前を呼ばれる。へにゃり、と笑う阿呆面が目に入る。無理しているわけじゃなくて、恐らく思わず出てしまったみたいな、崩れた笑顔。まるで完全に気を許したみたいな顔で、ありがと、なんて言うから。俺は益々、どんな顔をすればいいかわからない。
「…なんか仁羽がやさしい」
「ウルセエ」
 カッと熱が顔中に集まるのが分かって、顔をそらした。耳まで赤くなっている気がするが気のせいということにしておく。きっと園田も気づいていない、そういうことにしておく。
「…お前に泣かれると調子が狂うんだよ」
 頬杖をついたままでぶつくさつぶやくと、園田がくすり、と笑ったのがわかる。なんだよ、と出来るだけ凶悪な顔をして言ったけれど、本当は少し安堵していたなんて、絶対教えてやらない。