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Note No.6

小説置場

春眠

 目が覚めると、教室には誰もいなかった。遠山静は机に突っ伏していた顔をあげると、がらんとした部屋を見渡す。その顔には表情の欠片一つない。人によっては驚く場面ではあったが、静にとっては大したことではなかったからだ。むしろ、起きてもまだ外が明るかっただけよしとしよう、というくらいである。
 静は大きくあくびをして、さてここでもう一眠りしようか、それとも場所を変えようか、と考える。十中八九、クラスメイトたちは移動教室でいないのだろうし、取り立てて騒ぐことでもない。一体何の授業中かはわからないけれど、それも問題ではなかった。ただ――、とぼんやりした頭でわずかに思案を重ねるのは、教師たちの行動が予測出来ないからだ。
 去年からの担任である教師を筆頭として、中学の教師たちはお節介な人間が多い、と静は感じている。小学校でもことごとく注意を受けて世話もされていたものの、それは小学生であるがゆえのものだったろうと、静は思っていた。現に、自分以外にも世話をされていた生徒は複数いた。しかし、中学に入ってからはその干渉も少なくなり、これなら快適な安眠生活が手に入る、と思っていたというのに。
 どうやら、中学校に入っても教師たちは静を放っておくつもりはなかったらしい。件の担任がいい例で、提出物を怠ると家まで押しかけてくるし、登校が億劫で休み続ければ、毎日放課後顔を出す。尚且つ朝っぱらから迎えに来るという始末だ。これは学校に行っていた方がよほど楽だ、と判断した静は早々に学校へ復帰した。
 そういうわけで、静ははっきりしない頭で考えていた。このままここで眠るのもいいけれど、そうすると誰かが自分を連れ出そうとするのではないか? 授業中の教師かもしれないし、授業のない誰かに連絡をして合流させようとするかもしれない。この学校の教師ならそれくらいやりかねない、と身を持って知っている静は、教室を抜け出すことに決めた。
 裏庭にでも行って眠っていればいいのだ。町をうろうろするのも面倒だし、かといって家に帰ると自営業ゆえに家族と顔を鉢合わせる。両親としょっちゅう顔を合わせたいわけでもないし、それなら学校内で昼寝でもしているのが一番いい。
 それに、と静は考える。お節介な教師のことだ、とんでもない方法を思いつく可能性も否定しきれない。たとえば、クラスメイトの誰かを教室まで寄越して、授業へ来るよう差し向けるとか。
 以前、理科か何かの授業でそんなことがあったのを覚えている。教師相手であれば、寝るか無視するかしていれば諦める。諦めなくても、キレて生活指導室まで連れていかれる。しかし、生徒ではそうも行かない。恐らく「遠山を連れて来い」とだけしか聞かされていない生徒は、無視して眠り続ける静にどう対処すればいいのかわからないのだ。諦めて帰ることも、キレて叩き起こすことも出来ず、傍らに立ち続ける。
 正直それが一番面倒だった。その点、教師であれば自分で考えてくれるので楽といえば楽なのだ。居眠りを決め込んだ自分の傍で、ひたすら沈黙を流して立っている同級生。恐らく何を言っても(寝たいから放っといてほしいとか、帰っていいよとか)、先生に言われたから連れて行かなくちゃいけない、というわけで諦めてくれないのだ。言われたことを遂行しようと躍起になり、決して退かない人間の相手などするつもりはさらさらない。何を言っても言葉が通じない相手など、口を開くだけ無駄だ。
 そういうわけで、席から立ち上がった静はのろのろと教室を出て行こうとする。しかし、扉へ手をかける前に、あちらからからがらりと開いた。
「……遠山?」
 目の前にいたのは、小柄な少年。ふわふわの髪の毛に、大きな目。周囲に関心のない静でも、有名人である目の前の人間のことは知っていた。ついて回る噂と名前くらいのものだったが。
 静はぼんやりと、目の前の人間を見る。体操服を着ていることから、どうやら体育中だったんだな、と思うけれどそれくらいだ。噂と名前しかわからないが、一体何をしに来たのか。まさか自分を迎えに来たわけではないだろうけれど。
 思っていると、目の前の少年―成島は、静の横をすり抜けて教室に入る。歌うような調子で、聞いてもいないのに教室へ来た訳を口にする。
「メノウ様のリボン、汚れちゃうから教室に置きに来たんだよ」
 にこにこ、笑みを浮かべながら自分の机に辿り着く。ズボンから噂の中心であるぴんく色をしたうさぎのあみぐるみ―メノウ様―を取り出すと、丁寧に首に巻かれたリボンを外している。
「ちゃんとしまっておかないと」
 きっちりたたむ姿をぼんやり見ていたけれど、付き合う義理はない、と教室を抜け出した。案の定、追ってくる言葉はない。授業中だとか、どこへ行くのかとか、そんなことは言わなかった。他のクラスメイトであれば口に出しそうな台詞を、吐き出す気配すらなかった。
 きっと彼にとっては、静が授業に出ようと出まいと、どこへ行こうと関係ないのだろう。もしかしたら、自分と出会ったことすら忘れているかもしれない。そうだったらいい。その方がずっといい。
 思いながら、静はひっそりした廊下をはっきりしない足取りで進む。