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Note No.6

小説置場

雪晴


 辺り一面雪に覆われて、青白い世界だった。音を吸い込んでしまった中、ぎゅ、ぎゅ、と雪を踏みしめる感触だけが足裏から伝わってくる。幸い降りやんでいたから、視界ははっきりとしている。時折木々から落ちる雪が降りかかってくるけれどそれくらいで、行くべき方向は見えている。
 息を吐くと、白くなって立ち昇っていった。遠くに見える山の稜線は、空をくっきりと区切っている。笠を少しだけ押し上げて上を見ると、太陽が輝いている。二、三日は晴れだと聞いている。この分なら、里や村の方は豪雪にならなくて済むだろう。畑や田に被害が少なければいいけれど――と思いながら、足を進めていく。指先や足先はかじかんでいたけれど、ゆるやかな傾斜を歩き続けているためか、体の内側から熱が生まれているのをはっきりと感じる。青白い世界の中、常緑の杉は雪を落としていて、はっとするほどあざやかな緑をのぞかせていた。緑。青。白。太陽。画用紙にぽつぽつと落とした染みのように、己は見えているのだろうと思う。ぼんやりとそんな情景を思い浮かべながら歩いていると、画用紙の中に新たに大きな染みが現れる。ひっそりと、平地と森の狭間に立つような家だ。あまり大きくはない粗末なつくりだから、小屋と呼ぶ方が正しいのかもしれない。知らず息を詰めていたのか、帰るべき場所を目に止めると、思わず息を吐いていた。辺りを検分して出かける前と変わりがないかを確認すると、扉に手をかける。
 蓑と笠を脱いでばさばさと雪を落としてから、家へ入る。戸口に引っかけてから上がりかまちに腰掛け、藁沓を脱いで囲炉裏に火をくべる。板張りの床は冷たいままだが、雪の中を歩いてきた足にはいまいち感触がなくて、寒さはよくわからなかった。
 囲炉裏の火に当たる前に、一通り室内を見て回った。米はまだあるし、野菜もある。干し大根も蓄えは充分だ。ああ、でも水が足りないな。まだ身体が温まらない内に外へ出て、井戸から水を汲んだ。二度三度、釣瓶を引けば桶には充分水がたまる。
 これで食事の支度は済んだ、とばかりに家へ帰ると戸口に形ばかりの鍵をかける。こんな場所に忍び込んでくる人間など見たことがないし、いた所で盗るものなどない。だから鍵なんてあってもなくても意味はないのだけれど、とりあえずの措置である。
 火に手のひらをかざして暖を取っていると、外で羽音がした。外には出ないで部屋の奥に入っていくと、暗がりの中ためらうこともなく左に折れる。三段ほどの小さい階段を上がり、板の隙間から漏れる光の中で引き戸を開けると、途端にむっとするような生物の匂いが迫ってくる。しかし、気にすることなく壁際まで歩いてくると、つまみを持ち上げて手を突っ込む。動き回ることもなく、すんなりと手に収まったのは、雪景色と見紛うような白い鳩だった。足首につけられた筒を取り出し、鳩を小脇に抱えたままで部屋へ戻る。だいぶ温まった部屋の中に鳩を放してやると、旋回してから梁に止まった。
「こんな日にご苦労さん。あったまれよ」
 鳩に声をかけてから、筒の中の紙を取り出して文面を読んだ。差出人など高が知れているし、案の定の人物だったので驚きはない。
「ふーん…五日後か…」
 都に住む、知人よりは友人寄りの人物からの手紙には、手紙を投函した日に出立したと書かれている。余裕を見ても五日後には到着するだろうし、もしかしたらもっと早いかもしれない。一通り読み終えると手紙を綺麗に折りたたみ、袂に放り込んだ。
「てことは…そろそろ仕上げないとマズイ、か」
 天井を見つめながら結論づけると、ゆっくりと立ち上がる。部屋の奥に入り、先ほど鳩舎へ行くために左に折れた道を、今度は折れずに真っ直ぐ進んでいく。ゆるやかに下る傾斜を辿っていくと、次第に空気が冷えていくことがわかる。土の地面から石畳に変化する頃には、吐く息が白くなっていた。
 鍵もついていない引き戸を開けると、刺すように冷たい空気が流れ込んでくる。手袋をはめ、かけてある口布をつけ、提灯に火を入れる。右手で提げたまま、左手には戸口に置いてある箱を握る。そのまま真っ直ぐと進んでいくと部屋の奥まで辿り着く。しゃがみこみ、提灯を置いた。かけられている筵をめくり上げると現れたのは人間の遺体だった。
 冷気によって保存された体は血が通っていないことが一目でわかるほど、真っ白だった。瞳は閉じられていて表情はわからない。左側頭部に出来た裂傷は傷口がふさがり、血液も凝固しているために生々しさはなかった。ぱっくりと割れた石榴の実が張り付いているようにも見える。それらを一瞥してから、箱の中から道具を取り出すと、遺体の修復へと取り掛かる。