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Note No.6

小説置場

砂塵の月

 風が舞って、砂を空へと連れてゆく。覆った口布がはためいて、口の中に砂が入る。ぽたりと汗が滴って砂地に染みを作った所で、息が上がっていたことに気づいた。ぼんやりと砂の行方を眺めていたら、ぽっかりと出ていた満月が目に入る。
 日が沈んでもじりじりとした熱を孕む空気。からからに乾いて乾涸びてしまいそうなこの場所では、昇る月さえ真っ赤だった。大地に流れた血を吸い上げたような月。故郷で見る青く冴え冴えとしたものとはまるで違っている。
 風が空へ舞い上がる。高く、遠い空を砂が流れる。真っ赤な月が口を開く。遠い空。空が高い。首が痛くなるほど空を見上げ、滲むような赤い月を眺めながら、帰りたい、と思った。
 青白い世界へ、凍てつく月の出るあの場所へ、帰りたいと思った。
 口布を巻き直して、汗をぬぐう。持っていたスコップを地面に刺し、足で深くまで突き刺して砂をすくう。月が出る時分になっても、気温は一向に下がらない。黙々と地面を掘り返しても、流動物は厄介だ。すぐに埋まってしまうから、十分な穴を掘ることが難しい。それでも、これは俺の仕事だった。
 ひたすらに砂地を掘っていく。頭が真っ白になって、地面にスコップを刺し、足で深く押し、梃子の原理ですくいあげ、砂を外に出し、再びスッコプを突き刺す、という動作をただ機械的に繰り返す。他には何も考えず、穴を掘ることだけに専念していた。
 気がつけば、どうにか人間一人分くらいは埋まるだろう、という穴が出来ていた。この地質でこれだけ掘れれば充分だろう。汗を拭いながら、少し離れた場所で同じように穴を掘っていたアサゴの元へ向かった。アサゴはとっくに二つの穴を掘り終えて、スコップを体の真正面に置いて真っ直ぐ立っていた。
「…カバネ、どうすればいい?」
「…埋める」
 簡潔に答えると、アサゴは何も言い返さずに傍らにある物言わぬ体を担ぎ上げる。俺も重い体を引き摺って、自分が掘った穴まで連れて行こうとしたら思い出したように、アサゴが言った。
「しかし、ここで埋めてもいずれ風で掘り返されてしまうんじゃないか」
「掘り返されるね。この辺りは埋葬しないで風葬、もしくは鳥葬が普通」
 それでもやらなくてはならない。なぜならこれが俺の仕事だ。
「だとしても、きちんと埋めることで安らぎを得られるというなら、やるよ。いくら無駄なことだとしても、いずれ鳥や獣に食われてしまうとしても。望んだように送るのが俺の仕事」
 他には何も知らない。これだけしか知らない。父さんが俺に遺した、唯一で絶対の、たった一つの俺が誰かにしてやれること。無駄だろうと何にならなくても。死の恐怖を和らげることなど俺には出来ないけれど、それでも、望んだ通りに送ると決めた。
「立派だね。僕たちの鑑となるべき精神だ」
 口の端で笑いを浮かべて言うと、アサゴは何もなかったように死体を担いで穴へと埋め始める。馬鹿にするような言動だけれど、そうではないことくらい知っていた。そうでないことがわかってしまうくらい、ずっと一緒にいた。
 腐臭の漂い始めた死体を穴へ横たえる。袈裟切りにされた致命傷は縫い合わせておいたし、顔の血はどうにか取れたから、こんな場所で亡くなったにしてはきれいな死体だ。認識票と肌身離さず持っていたというお守りは、外しておいたしヤツカさんに渡したから大丈夫だろう。穴のそばに膝をつき、詞を捧げてから砂をかけてゆく。本職ではない俺の言葉にどんな意味があるのかはわからないけれど、最期の姿を見届けた人間がいることだけで、何かは変わるのかもしれない。そうだったらいい。
「カバネ」
 アサゴがスコップをひきずりながら歩いてくる。きっとアサゴは何の言葉もかけていないだろうけれど、それで構わないと思った。それぞれがそれぞれのやり方で、最期の姿を見届ける。
「そろそろ行こう。しんがりのしんがりだ、大丈夫だとは思うけれど」
「うん、行こうか」
 鞄を背負い、先に行った部隊と合流するべく足を進める。スコップは折りたたんで、鞄に入れた。アサゴはぶつぶつとつぶやきながら、迷いのない足取りで進んでいく。
「ああ、まったく。砂だらけだ。風呂に入りたいよ」
 帰ったら思う存分風呂に入ろう、絶対そうしよう、と言うアサゴが昔は風呂嫌いだったというのだから信じられない。本人曰く、なくしてはじめてわかったんだ、らしい。
「カバネは帰ったらどうする?」
 帰ったらどうするかなんて、最高の娯楽のような最高に空しいような質問を、アサゴは何のためらいもなく口にする。
「…月が見たいな」
「……ああ」
 アサゴは一言うなずくと、頭上を見上げる。見たことのないような、真っ赤な月を見ている。
「そうだね。青い月を見ながら酒でも飲みたいよ」
 帰りたいと、思った。
 砂の大地を歩きながら、雪を踏みしめて歩いた毎日を思い出す。ぴりぴりと突き刺すような空気を、澄んだ空を、青い月を思い出す。
 こんな所まで来てしまった。国境を越えて敵対国の奥地まで、死体を埋めるためだけにやって来た。帰る日など微塵も見えない。毎日必ず誰かが死んで、毎日死体を埋めてきた。帰りたかった。していることはほとんど変わらないとわかっているけれど、それでも、あの場所へ。死ぬことすらも零れていく毎日から、手を伸ばして触れられるあの日々へ。
 帰りたいと思った。