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Note No.6

小説置場

埋む

「ここにも花が咲いたねぇ」
 茶屋で喉を潤していたカバネの隣に座った老婦人が、ほう、と息を吐くのと同時につぶやく。身体の中心からほっこりと、吐き出された言葉だった。隣にいたカバネにも、聞こえるか聞こえないかギリギリの声だったから、誰かに話しかけたわけではないのだろう。思わず漏れてしまった感嘆かもしれない。
 だからカバネは何も言わない。ただ心の中でそっと相槌を打つに留める。そうですね。こんな場所でも、再び花は咲くんですね。
 緋毛氈の敷かれた腰掛けに座り、湯飲みを持つ。峠の途中にある茶屋は、休憩にはもってこいの場所だ。そのため、休んでいる人間は多い。小さな女の子が母親らしき女性にまとわりついていて、少し離れた場所では男の子たちがもみくちゃになって騒いでいる。年の頃は精々十に届くくらい。もしかしたらもう少し小さいかもしれなかった。どちらにせよ、彼女や彼らにあの頃の記憶はそう鮮烈ではないだろう、とカバネは思いたかった。楽観過ぎる、と言われるかもしれないけれど。
 湯飲みに口をつけて、茶を流し込む。独特の苦みとかぐわしい葉の味を楽しみつつ、視線を前に転じる。茶屋の前にあるやや開けた場所に咲く花や、背の低い草は様々な色を宿していて、口元がほころんだ。何事もなかったような顔をして、こうやって植物は育つ。いとも簡単に手折ってしまえるけれど、その実何より強く育まれていく。
 転げまわるように跳ねている子どもたち。太陽の光をきらきらと浴びて、弾けるように笑っている。あの子たちの歩む道が、これからもあんな風に笑えるものであったらいい。悲しいことも辛いことも、苦しいこともたくさんあるだろうけれど。笑えることや楽しいことがあるって、忘れてしまわないでいてほしい。
 花は開く。植物は育つ。どんなに血に塗れた大地でも、屍を累々と積み上げた土の上でも。全てを覆い隠して、何事もなかった顔をして、花は開く。
 ここにも花が咲いたねぇ、という老婦人の言葉が持つ意味を、カバネはよく知っていた。そう遠くはない昔、ここで起こった出来事を充分承知していた。恐らく、ある程度の年齢であれば大体のことは理解しているだろう。
(あの木の根元に)(森の奥に)(この平地に)
 目を閉じればよみがえる。当たり前のように瞼の裏に映し出される。ほんの数年前、この場所には山のように死体が積み上げられていた。
 国境に近い里だった。軍事の中心地である府が傍だったこともあるのだろう。内地戦における激戦区に該当していた里では、日々死体が生まれていた。一時従軍を解かれていたカバネは役目を果たすべく国中を飛び回り、中でも死体の多いこの場所では長く滞在した。峠は死体を埋めるのに最適だと、死んだ人間はどんどん運び込まれてきた。しかし人手は足りなくて、埋葬を待つ死体は山のようになっていった。
 すぐに場所は足りなくなって、どんどん上へと登った。ひたすら穴を掘り死体を埋めた。いくら埋めてもキリがなくて、死体の山は高くなるばかりだった。若い男が多かったけれど、壮年の男性もいれば頑強な老人もいた。若い女性もいた。老婦人も、母親らしき女性も、子どももいた。死に行く人間に別はなく、どんな人間でも平等に死んでいった。貧しいものも富めるものも、やさしい人も卑しい人も、全て。カバネはひたすら埋葬を繰り返した。腐っていく体を前にして、ただひたすら穴を掘った。たとえばあの木の根元に、森の奥に、この平地に。穴を掘って死体を埋めた。
 鼻は一日で麻痺してしまったから腐臭を防ぐ口布なんて意味がなかった。元々綺麗とは言い難かった着物はとっくにただの襤褸切れになってしまったけれど、土と体液と肉片まみれになってしまうから、気にしても意味はない。死体の山に取り囲まれながら、一人ずつ、少しずつ、埋葬を繰り返していった。
 朝も昼も夜もない。死肉を狙う鴉を追い払うのも追いつかなくて、上の方の死体は段々原型を留めなくなってしまう。誰のものかもわからない、食べ残された眼球だけが転がっていた。つつかれて飛び出した内蔵が、ばらばらになって降り注いでくる。蛆虫のわいた体を抱えてそっと地面に横たえた。腐り始めて骨が見えかかっていた体も、五体が引き千切られてどこが何なのかすらわからない体も、みんな埋めた。
 一心不乱に埋葬を繰り返して、それでも知っていた。全ての人間をきちんと送ってやるなんて無理だってことを、本当は知っていた。死んでいく人に対して、自分の手は少なすぎるのだと、わかっていた。無理なんだ。ここにいる人たちを全員、一人残らず葬ることなんて、出来やしない。痛いほどに理解してしまった。たった一つ、一つだけ出来ることだったのに、それすら満足に出来ないでいる。
 それからさらに辞令が下り、カバネは違う里へと向かった。そうして、再び召集されるまで国中を転々と回ったのだ。終戦後しばらくはドタバタしていたものの、落ち着いてからこうして同じ場所を訪れている。村長は長期間村を空けることを渋っていたけれど、どうにか頼み込んだ。
 老婦人は、ここが死体置き場だったことを知っているのだろう。もしかしたら、手伝いとして借り出されていたのかもしれない。カバネに会った記憶はないが、里の世話係が麓の方なら手配したとも考えられる。血と体液と泥と内臓にまみれて、鴉が頭上を旋回して、獣たちが暗がりから目を光らせていた。そんな場所でも、花は開く。
 埋められた死体の数だけ花が咲いたらいい、とカバネは思う。ここに染み込んだ血の跡や死体は消えやしない。己の無力さもどうしようもないくらい知っている。それでもあんな光景は、もう二度と現れなければいい。ここで遊ぶ子どもたちが、そんなものを知らずに一生過ごせたらいい。咲いた花が、埋められなかった人たちの一時の慰めになったらいい。大地に積み上げられていた死体が花でいっぱいになったらいい。何があったかなんてわからないくらい、花に埋め尽くされてしまったらいいと、カバネは夢見ている。

 


(死体に咲く!)