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Note No.6

小説置場

送る

「凛乎葬送」


 一歩足を踏み出す。大地を突いて、錫杖が鳴り響く。空気を震わせ、辺りの全てを打ち払う。吐き出した息は白く、吸い込めば肺まで凍りつきそうだ。それでも背筋を伸ばし、真っ直ぐと歩いた。前だけを見ていた。後ろは決して振り向かない。俺はただ一心に前を見つめている。
(大丈夫)
 心の中で語りかけた。どんな顔をしているかはまるでわからないけど、繰り返して語りかける。どんな声で話していたのか、どんなふうに笑っていたのか、俺は何一つ知らないけど。大丈夫、ついておいで。大丈夫、必ず俺が送り届けるから。
 力強く足を進める。響くのは鈴の音だけで、人の気配はない。今ここで呼吸をしているのは俺だけなのかもしれない。それでいい。みんな家の中で、通り過ぎるのを待っていてほしい。それが俺の役目だ。全部引き受けて、きちんと送り届ける。冷たい空気の中、ただ真っ直ぐと進む。幾重にも張り巡らされた迷路のような道を、俺だけが知っている確かな地図を頼りに歩く。しゃらしゃら、響く錫杖の音。ざくざくと、雪を踏みしめる足音。小さい呼吸。空は青く澄み渡っている。
(大丈夫)
 杖の先で地面を突いて、穢れを打ち払う。剥がれた穢れは瘴気となり漂うけれど、繋ぎとめて進んだ。こうして作った道のりを、後からきちんとついておいで。俺の出来る精一杯で、出来なくたって精一杯で、送り届けるからね。
 安心していいだなんて言えなかった。悲しみの一つも背負えやしなかった。深い慟哭はいつまでも響き続け、俺にはそれを癒す術がない。失くした痛みに寄り添うことも出来なかった。
 本当なら、俺の出番なんてない方がよかった。俺のことなんか忘れてしまって、そんな奴もいたなぁって思いだすくらいが丁度よかった。俺の仕事なんて、俺の出番なんて、永遠になければよかったのに。
(大丈夫)
 それでも、待ってはくれないなら。否応もなく奪い去っていくと言うなら、俺は俺の仕事をする。罵倒されても、蔑まれても、迷ったままでいるよりよっぽどいい。大丈夫、俺が先に立って歩くよ。君の知らない道を、俺はほんの少し人よりよく知っているんだ。だから、俺の後をついておいで。
(大丈夫)
 淡い太陽に、ゆるく照らされた雪道を歩く。踏み固められた雪は滑るけれど、一歩ずつ確かめながら歩いた。鈴の音、規則的な呼吸音。鳥さえも鳴かない。静寂に支配された空間。俺はただ前を見て歩く。歩調を緩めることなく、これから進む人たちのために道を作る。
 俺の仕事なんてなくてよかった。仕事道具なんて錆ついてしまえばよかった。ほこりをかぶってしまえばよかった。だけど叶わなかった。小さな命が、たくさんの命が、いともたやすく消えていく。掌に落ちた淡雪みたいに、簡単に溶けてなくなってしまったんだ。悲しみに打ち震える姿を知っている。泣くことすら出来ない人を知っている。ぽっかりと空いた穴を抱えて、失くしたことを受け入れられないで、それでも気丈に立っている人を知っている。やさしくて強くて、ちっぽけで愛おしい人を知っている。
 それなら俺は、この道を歩くから。
 錫杖を鳴らした。一歩ずつ進んだ。後ろは振り返らない。魑魅魍魎を抑えつけ、穢れを引き受け、後から来るであろう人たちを迎え入れる。大丈夫、怖いものなんて何にもない。この道を歩いておいで。きちんと君を送り届けるよ。
 息を吸った。冷えた空気が体を巡り、一つ一つの神経を目覚めさせる。俺は気合いを入れなおして、冴えた目で辺りを見渡す。俺には何一つ見えないけれど、それでもこれは単なる儀式じゃない。父さんが築いてきた道の上に、確かな一歩を刻んでいく。間違いなく送り届けるために。間違いなく、安らかな場所へ辿り着くために。
(大丈夫、だから)
 錫杖を握る手に力を込めた。村の人たちの顔が浮かんだ。俺はあなたの痛みに寄り添うことも、悲しみを埋めることも、傷を癒すことも出来ない。あなたを笑顔にする方法一つ知らない。だけれどそれでも、たった一つこれだけは絶対にやり遂げるから。あなたの大事な人たちを、決して迷わせたりなんてしない。あなたたちの愛した命を、必ず送り届ける。
 それが俺の仕事だ。俺の出来る精一杯で、父さんから譲り受けた、たった一つの俺の役目。どれだけ罵倒されても、疎まれてもいい。だけど一つ、これだけ覚えておいて。必ず送り届けるよ。決して迷うことなく、目的の場所へ連れて行くよ。痛みも苦しみもない、永遠の安寧の世界へ、必ず辿り着く。それが俺の仕事だ。それが俺の誇りだ。全てを打ち払い、迷うことなく進めるよう道を示す。怖いことからも苦しいことからもきみを守る。そうして最期の場所へ行けるよう、送るよ。きちんときみを、送るよ。