Note No.6

小説置場

つなぐ

 どうして、と問いかけるのはもう止めだ。理不尽なこの世界で、泣くことすら出来ずに立ち尽くすしかない人たちがいるのならば。喩えようもない恐怖の中、ただ苦しみだけを抱え込んだ人がいるならば。一つだって理由なんかないのに奪われるしかなかった人たちを知っているならば。
 俺はもう、誰かに向けて問いかけたりなんてしない。叫んだり喚いたりなんてするものか。意味も理由もなくていい、ただ俺の出来る全ての力を懸けて、些細でもいいから小さくてもいいから、その不安や恐怖や後悔を、ほんの少しだけでも引き受ける。
 この小さなぬくもりを返してあげることが出来たらどんなにいいかと思ったのだけれど。俺にはそんな力がなくて、こんなことしか出来ない。思い上がりでいい。最後に見るのが笑顔でよかったと、いつか思う日が来ると阿呆みたいに信じているから、それでいいんだ。
「…可愛いじゃん」
 つないだ手を揺らした先にいるのは、俺の腰くらいに頭のある女の子。お姫様みたいな服を着て、とっておきの靴で跳ねるように歩いている。彼女は鼻歌を口ずさみながら「おかあさんが作ってくれたんだもん」と答える。可愛いなんて当たり前、という顔。
「そりゃ悪かった」
 肩をすくめて答えると、弾けるような笑みを浮かべた。あったかくてやわらかで、現実はとても遠い。永久に、こんな風に笑顔を見ていられるんじゃないかなんて思ってしまうほど、彼女が浮かべた笑みはいたって自然で心地よかった。
 すっかり冷えきって、泥だらけだった体なんて嘘みたいだ。もう二度と目も開けない、笑うこともないなんて、冗談みたいだ。
「おにいちゃんは、魔法使いなの?」
「…どーかなー?」
 おどけて返すと、否定しないことを答えとして受け取ったらしい。「やっぱりそうなのね!」と、まぶしいほどの輝きを散らしている。俺は何て言えばいいかわからなくて、曖昧に頭をかいている。
「えいってしたら、綺麗な服になったもん。それに、おかあさんに会いに行ける」
 やっぱりお兄ちゃんは魔法使いなのね、と興奮しきりに結論を下す。俺はその横顔を見ながら、そうだったらいいのに、と思った。
 魔法使いだったなら。彼女が言うように、えいっと杖を一振りしたら全ての願いが叶うような、そんな存在だったらよかった。もしも俺にそんな力があったら、迷うことなく願うのに。考える暇もなく、単純に祈るのに。
 俺の半分も生きていないあの子たちを、どうか生き返らせてください。お母さんやお父さんの所へ戻してください。俺の出番なんてなくていいから、俺のことなんて知らなくていいから。この子たちを、もっともっと長生きさせてください。
 だけど俺にはそんな力がなくて、目の前のこの子を生き返らせることなんて出来なかった。一瞬で奪われてしまった、幼い命をよみがえらせるような力なんて持っていなかった。
 俺に出来ることはただこれだけだ。苦しみも恐怖もない場所へ連れて行くこと。俺が出来るたった一つ、絶対忘れちゃ行けない使命で俺の仕事。父さんから譲り受けた、俺の出来る全て。
 その途中で寄り道をして、笑顔でさようならが出来るようにって、ちょっとだけ手助けすることくらいしか俺には出来ない。それでも、俺は決めたのだ。嘆くのも喚くのも、俺がすることじゃない。嗚咽を漏らすのも、不幸に涙するのも、俺が今選ぶことじゃない。涙の一つでもこぼしている暇があるなら、一人でも多く送り届けよう。迷っているなら導こう。恐怖は全て打ち払おう。笑顔だけを、幸せだけを、永遠の安らぎだけを贈るのだ。
 俺にだけわかる道を歩いていくと、辺りがぼうとした光に包まれていく。ほとんど差異のない光だけれど、わかりにくいつなぎ目を発見して、そっちの方へ歩いていく。空気がどんよりしているのは、現実に触れていることと何よりも苦しい胸の内をあらわしているのかもしれない。俺ごときでは計り知れないほどの、心の中みたいに。
 数歩進んでいくと、俺の手から指が離れた。真っ直ぐと、遠くにいる女性まで駆けていく。会いたくてたまらなかったであろう、大好きで仕方ない人。俺はその様子をぼんやり後ろで眺めている。
 こんな時間なんてなかったらいいのに。奇跡を見たような、至上の幸いを身に受けているような、こんな風景なくていい。叶わないとわかっているのに、何度だって俺は思う。胸が締め付けられるほどの幸福な風景を目にするたび、いつも思う。ただこうして出会えることが、この上もない幸せだったなんて、わかる日が永遠に来なかったらよかったのに。
 それでも今、この瞬間は世界中で一番幸せな時間であることは間違いなかった。悲しいほど、真っ直ぐと幸せな時間だった。俺はその様子をただ見ているのだけれど、不意に彼女がこちらを示す。恐らく俺のことを話しているんだろう。魔法使いのお兄ちゃん、とか言っているんだろうか。
 女性が真っ直ぐと俺を見た。不審そうな、どういう態度を取ったらいいかわからない、といった顔。至極真っ当な反応だと思うし、予想はしていた。だから俺はずっと取っておいた言葉を口に出す。
 今ここに必要なことは一つだけだ。この女性にとって何よりも愛おしい、狂おしく大切な宝物を、きちんと送り届けると伝えること。それだけのために、俺はここにいるのだから。
「必ず、送り届けますから」
 きっぱりと口にした。俺の心はしんと落ち着いて、波風一つ立ってはいない。この言葉を口にする時は、いつもそうだ。熱意など要らない。大袈裟な感情は要らない。息を吸って吐き出して、また吸って、朝を迎えて夜が来るように、俺の体は知っている。
「俺がこの道を守ります。怖いことも苦しいことも、二度とありません」
 たった一つの使命。憂いなく、懼れなく、全てを蹴散らし、何もかもを抑えつけよう。怖いものなど何一つない。苦しみなど全て払おう。この道を歩く人が、迷いなく進めるように。真っ直ぐと歩めるように。先頭に立ち道を示し、永遠の安らぎを齎す場所まで導くのだ。それだけが俺の使命。俺がここにいる意味。生きている、たった一つの意味。
「…俺は、俺の大事なものをきちんと大事にするのが苦手だから」
 大事なものはたくさんあった。だけど、どうやって手伸ばせばいいかもわからなかったし、わかった頃には触れてはならないのだと知った。ただ遠くで、距離を保って見つめていることしか出来ない。大事なものは降るようにある。だけど、俺はこの手でそれを抱きしめることも、大事なのだと言うことさえしてはいけなかった。
 それは寂しいことじゃないかと、問われたことがある。俺は心から、寂しくなんてないと答えた。嘘でも強がりでもなく、本気で言った。だって、俺は知っている。
「あなたの大事な宝物を、いっとう大事にさせてください」
 俺の大事なものを大事に出来ないなら、俺じゃない誰かの大事なものを、心の限りに慈しもう。何よりも大切に守り抱えて、苦しみや悲しみを遠ざけよう。笑顔だけしか知らないみたいに、ずっと笑っていられるように努めよう。
 何かを大事に出来るなら。心を砕いて、気持ちを寄せてもいいのなら。慈しんで、愛することが許されるならば。それだけで充分だと、俺は知っていた。それだけで、俺はどこにでもつながっていられるんだと知っていた。