Note No.6

小説置場

遠い声

 いつかこの子は、私を恨むだろう。

 戦場で見つけた子どもを家へ連れ帰ったのは完全な気まぐれだった。大した意味はなくて、このまま捨て置いてもまったく問題はなかっただろう。突如慈悲の心に目覚めたわけでもないし、某かの罪滅ぼしがあったわけじゃない。ほんの思いつきでしかなかった。
「父さん」
 幼い声が私の名前を呼ぶ。囲炉裏に目をやっていた視線をずらせば、鼻の頭を赤くしたカバネがこちらを見つめていた。どうやら外から帰ってきた所らしい。藁沓のままで框に上がり、黒い目をきらきらとさせながら「雪がふってきたよ」と告げる。
「積もる?」
「…まだそう多くは降らないだろうな」
 この時期の雪はまだ、薄らと降りかかる程度だ。しんしんと、辺りを閉じ込めるような積雪には時期が早い。カバネは唇を尖らせて「ちぇっ、まだなのか」と不満そうだった。
「早く積もった方がいいかい」
 問えば、当たり前の顔をして答える。「おっきい雪だるま作るんだから!」と、拳を握りしめて決意を固めている。
「父さんも協力してね」
「ああ。とびきり大きいものを作ろう」
 言って頭を撫でれば、くしゃくしゃと顔いっぱいに笑みを広げる。心底嬉しそうな顔に、私の胸には言いようのない気持が膨れ上がっていく。物心ついた頃からここに住んでいる子だ。荒々しい猛吹雪も、全ての音を奪い去るような静けさも知っている。決してこの雪が楽しみだけを連れてくるものではないことを理解しているはずだけれど。それでも、幼いこの子にとっては、雪が降ることは某かの遊びの延長であるらしい。
 今年も冷たい季節に閉じ込められる。冬の底に取り残されるのだ。そんな思いしか持たなくなって久しい私の身には、何とも不思議な光景だった。とびきりの使者でも訪れたような、祭りでも始まる前のような、わくわくとした顔つきは。
「こちらへ上がっておいで。体が冷えたろう」
 風邪を引いては元も子もないぞ、と言えば藁沓を蹴散らして囲炉裏の傍へやって来る。きちんと揃えるよう促してから、専用の湯飲みへ枇杷茶を注ぐ。カバネはふうふう、と熱を冷ましながら湯飲みへ口をつけた。
 小さな喉が動いて、こくりとお茶を飲み下す。焼けるような熱さに目を白黒させながら、それでもきちんと体の内へと熱を送る。二口、三口とお茶を飲むカバネを、ゆっくりと見つめている。
 幼子を抱えて家に戻った私に目を丸くしたのは、他でもない村長だった。そんな子どもを抱えてどうするのだと非難し、一人きりで育てられるわけがないとまくし立てた。強硬に言われれば言われるほど、私は意固地になっていた。絶対にこの子を育ててみせる。必ず一人前にしてみせよう。とやかく言われる筋合いなどないではないか。何を言われても耳を貸さず、この子を手放すまいと決意してしまったのだ。反論されればされるほど、無茶は止せとたしなめられるたび。今ならば、頑なだったその理由がわかるのだけれど。
「父さん」
 頬を赤くしながら、明日はどうするの、とカバネが尋ねる。畑の整備? 薪を取りに行く? それともお酒を漬けるの? 薔薇色の唇からこぼれ出る言葉を聞きながら、心から噛み締める。あの時、この子を拾った時、ここへ連れ帰った時。どうして私は村長の言うことへ耳を貸さなかったのだろう。素直にこの子を預けてしまわなかったのだろう。
「そうだな――そろそろ、冬支度を終えてしまおうか」
 答えればカバネは、了解! と笑った。冬の迫るこの場所で、太陽にも負けないほどの強さを放つ。触れれば火傷してしまいそうなほどの強さだ。泣きたいような気持ちで、ただそれを見ている。
 手放してしまえばよかった。こんな光を知る前に。離れてしまえばよかった。こんな気持ちを知る前に。ほんの気まぐれで始まったのだと思っていた。理由など存在せず、ただの思いつきでしかないんだと信じていた。
「父さん?」
 視線を感じたカバネが、不思議そうに問い返す。私は「何でもないよ」と答えて、頭を撫でた。やわらかい髪の毛。掌から伝わる、じんわりとした温もり。それら全てが何事にも代え難く、狂おしいほどに離れ難い。
 いつの日か、この子が大きくなった時、きっと私を恨むだろう。この場所で育てられたことを、他の何より憎むだろう。
 頭を撫でながら、私とはまるで似ていない幼い子どもを見つめている。血のつながりなんてない。私とカバネをつなげるものなんて、何一つ存在しない。それでも私にとってはたった一人の息子に違いない。世界中で、どんな宝物よりも尊い、私の子ども。
 不思議そうな顔をしていたカバネは、やがてくすぐったくなったらしい。「父さん、止めてよ」と、溢れ出してくる笑みを抑えもせずに転がるような声をこぼす。
「すまない」
 手を放して、もう一度つぶやいた。心の中で、声にならない声で、「すまない」と繰り返す。これは私の自分勝手な願いだった。気まぐれはなく、ましてや思いつきですらなかった。望んでいたことにも気づかないほど、心の奥底でずっと望んでいた。無意識に欲していた。自分勝手で脆弱な、たった一人で生きることも出来なかった。永遠のような孤独に耐え切れなくなった。だから私は、この手を掴んでしまったのだ。
 すまない、と繰り返す。お前の手を放せなかったんだ。あたたかな掌を、やわらかな温もりを、もう二度と失いたくなかったんだ。自分勝手な私の願いでしかないことはわかっている。
 だからカバネ。お前が大きくなった時、全ての事実を知った時、いくらでも私のことを恨んでくれて構わないんだよ。