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Note No.6

小説置場

貴方

 あなたほどずるい人を、俺は知らないのです。

 今日も一人きりの一日が始まっていく。朝起きて外へ出ると、刺すような空気が纏わりつく。吐き出した息は白く、もう冬になるんだな、とおぼろげに思った。頭の中で算段するのは、冬支度のあれこれだ。保存食はどれくらいあるだろう。薪の貯蔵は足りているだろうか。そういうものは全部、幼い頃の記憶に繋がっている。
 いつだってやさしい目をして、俺を見ていた。穏やかな声で、冬へ向かう毎日の過ごし方を教えてくれた。必要なものはどこで取れるのか、どういう風に加工して、どんな風に蓄えておけばいいのか。みんな覚えている。ひとつだって忘れていない。だから俺は、こうして今年も冬を越せるのだろう。
「…やたら色々知ってたからなー…」
 井戸から水をくみ上げて、たらいに入れる。必要な分量を持って家の中に引き返しながら思っている。冬はほとんど外に出ないから、家にこもりきりでいることがほとんどだった。その間の暇つぶしと言ったら本を読むか話を聞くか、後は寝るかくらいしかないわけで、俺は色んな話を聞いたものだ。あんまり自分で読むのは好きじゃなかったし。
 決して大袈裟な話しぶりじゃなかった。それなのに、いつの間にか引き込まれてしまって、続きを何度もせがんだ。遠い国の剣士の話、どこかにあるという不思議な世界や、見たこともない生物のこと。目の前で繰り広げられるように活き活きとしていた。物語りだけじゃなく、豊かな知識もそうして与えられた。水場の見つけ方、国の成り立ち、道具を持たない場所で方角を知る方法、社会の仕組みと生活する術、食べられる野草の見分け方――。ありとあらゆる物事は、繰り返した冬の日々に教えられたのだろう。
「ずるいよなぁ…」
 ぽつりとつぶやきながら、手際よく朝食を作り終える。雑穀米に、野草の味噌汁。温かいものを食べると一日の元気が沸いてくる、というのは知識の賜物かそれとも俺の実体験か。わからないけど、囲炉裏に膳を持っていく。
「いただきます」
 手を合わせて食事を始める。咀嚼しながら、人っ子一人もいない部屋をぼんやりと眺めていた。
 俺の頭には与えられた知識が山のように詰まっていて、大概のことは何だって出来る。食事だって作れるし、どうやって野菜を育てればいいかもわかる。猟場の見つけ方も、弓の引き方だって知っている。雨漏りがしたら屋根だって直せるし、火を起こすことだって出来る。それ以外にも、色んなことを知っているし、俺はそうして生きてきた。
 だけど、だけどねえ、たった一つだけわからないことがあるんだ。どうしたって答えが見つからないんだ。
 部屋の隅に置かれている箱へ視線を向けた。ひっそりと、部屋の中に隠れるように置かれているその箱に入っているものが何なのかなんて、嫌というほど知っていた。俺がここにいる意味で、何よりも強く受け継がれたもの。俺が死なずに長らえることを許された理由で、膨大なものの中から、恐らくどんな物よりも強い意味を持って遺された。
「――ずるいよなぁ」
 先ほどの言葉をもう一度口にした。思い出せばくっきりと頭に浮かぶのは、やさしい瞳だ。ゆるやかに弧を描く唇は、何よりもやわらかかった。手をつないだ温もりや、耳に残る声だって、一つも色褪せやしないのに。いつだって思い出せるのに。
「ホント、質が悪いよ」
 ぶつくさと愚痴っぽくなってしまうのは仕方ない。たった一人残された。この家に、この場所に、意味と共に遺された。理由もわからないまま、何一つ理解出来ないまま、気づいたら始まっていた。俺の意志など無関係に。
 どうして、と心の内で言葉がこぼれた。どうして、俺に残したの。どうして俺をこの場所で生かしたの。どうして俺を、ここで生かしたの。どうして――俺を葬礼司として生かしたの。
 死穢を一手に引き受ける存在なのだと知ったのはいつ頃だろう。知った頃にはもう逃れることなど出来なくて、ただここで俺はその役目を全うしなくてはならなかった。他の選択肢など存在するはずがなかったのだ。拒否すれば野垂れ死ぬだけだ。そうなれば、俺は葬礼司として生きていくしかないではないか?
「ずるい人だ」
 親のない俺を連れ帰って、ここで育てた。その意味がどこにあったのかは、永遠にわからずじまいだ。確かに、放っておかれたら遅かれ早かれ死んでいただろう。だから、俺がこの年まで生きていられるのは、拾われたからに他ならない。それはわかっているんだけど。
 それでも、同じくらいに思ってしまう。そうまでして、ここで生きていく意味はあるのだろうか。たった一人、誰と言葉を交わすこともなく。死穢を身にまとい、災いを招き寄せてまで。そうして生きていく意味なんて、俺にはあるんだろうか。
「まあ、そんなの知ってたけど」
 頭にうずまく言葉を振り払った。だって本当はそんな問い、意味がない。何よりも思っていることは別にあるんだ。やさしい目をして、いつだって俺を見守っていた。手を伸ばしたら掴んでくれた。怖い夢を見たら抱きしめてくれた。全身全霊で、どんなことからも守ってくれた。
 ねえ、悪人にすらなってくれないだなんて、あなたは本当にずるい。