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Note No.6

小説置場

戊夜

「いろは」

(ひと殺しとして生きてゆきます)

 


 闇に沈む建物を眺めていた潤居は、背後に現れた気配へ声をかけた。
「情報のほどは如何か」
「上々。隅々まで流布している。事前入手の情報とも寸分違わない」
 気配は簡潔に答え、泰然としている。木の上という場所でも重心はぶれないのだろう。潤居と同じように、目の前の建物へ視線を向けた。
 隅々にまで意匠をこらした流麗な門構え、瓦の一枚まで細工を施された豪邸と呼ぶにふさわしい家屋。私情を抜きにしても、これだけの家を作るのに費やされた金子を思うとため息が出る。商いで財を成したならいざ知らず、血税で暮らすはずの公人がこれでは、依頼もしたくなるだろう。
 そこまで考えて、潤居は居住まいを正す。普段はこんなことを考えないというのに、やはり調子は狂っているのかもしれなかった。
 突如、背後でさらに気配が増える。潤居ともう一つの気配は、毛ほども動じずに現れた気配の答えを待つ。それが誰の気配であるかなど、現れた瞬間から察知していた。敵であったなら既に動いていなければやられている。
「細工は流々、首尾は上々。標的のもとへ近づく経路は確保した」
「了解した。定刻どおりに参る」
 潤居がはっきりとつぶやけば、現れた気配は当初の人間と同じように泰然と、木の上でたたずむ。それを確認して、月の様子を見計らい、決行時刻までの猶予を見た潤居は言葉を発した。
「相部屋だったよな? この前照斗を見たぞ」
 今までとは打って変わってくだけた調子で声をかけたのは、最初に現れた気配に対してである。気配は驚く様子もなく、答えを返す。
「元気ならいいよ」
「元気も元気、総大将やってた。相手の首取ってたし、本当にあいつは同期で一番の出世頭だ」
 当然でしょ、とつぶやく声には先ほどまでのものと変わって明らかな感情が表れている。潤居は苦笑しながら、変わらないなぁと思った。
「ほんっと、お前は照斗のことになると人が変わるよな、小雨」
「悪い?」
「いや別に」
 おどけるように笑うと、歯がこぼれて若々しい表情になる。至って普通の、目立たない人間だった照斗を誰より高く評価していたのがこの小雨だったと知らない人間はきっといないだろう。小雨はそういえば、と最後に現れた気配へ声を投げる。
「この前、蔓を見たよ」
 茶屋で働いていたけれど、あれは潜入だよね? とささやかれた言葉に、尋ねられた気配はあっさり答える。
「そうだろう。茶屋への潜入は得意らしいと聞いた」
「確か君の相部屋だったね、寒菊」
 うなずく寒菊とは別に、潤居は潤居で小雨の言葉に感嘆をの声を漏らす。
「…小雨、蔓のこと覚えてたんだな」
 木組自体あまり目立つような組ではなかったし、中でも蔓は取り立てて何かあるという生徒ではなかったのに。そんなことを思いながら発せられた潤居の言葉に、小雨は淡々と返す。
「心外だな。現に、君たちの顔だって覚えてたでしょう」
 学年全員、部屋割り含めて覚えてるよ、と言えば潤居はおどけてのけぞる恰好をした。寒菊は平坦な声でそれはすごい、と返した。
「それに、蔓はよく効く薬をくれたし。馬鈴薯作るのも上手かったしね」
 おいしかったよ、と笑えば寒菊が頭をかいた。困るような仕草に、潤居も低い声で笑った。恐らく、木組の連中に仕込まれた料理の数々を指しているのだろう。他の組には知らせられないが、時折木組による薬物混入実習が行われるので、自然と感覚は鋭くなるし、耐性もついた。
「実際、普通のは本当においしかったけど。さすがに、蔓のいる茶店でお茶は飲めなかったよ」
 笑うでもなく述懐する小雨に、何となく寒菊は謝ってしまう。別にそんな義理はないと二人ともわかっているのだけれど、それは遠い昔に置いてきた遺物の所為なのかもしれない。
「…奏波はこの前密書の使者だったな」
 ひとり言に近い寒菊の言葉を、二人の耳は拾い上げる。潤居は相部屋だった人物を思い出して、ほころぶように笑った。元気か、などと尋ねる必要もなかった。自己管理は誰よりしっかり出来ていた人間だ。任務をこなしているなら、元気でいるに違いない。
 それにしても、と潤居は言葉を落とす。夜に染み入るような声だけれど、決して紛れてしまうことはない。
「まさかここで出会うことになるとは」
 小雨は肩をすくめ、寒菊は少し笑ったようだった。卒業して、学校を出て、それぞれの道を歩む時。別れの言葉を口にして、自分の道へ進んできた。それでも、同じ世界にいる限り接触が皆無ではないとは思っていたけれど。
「恨まれる自覚はあるみたいだから、腕っ節の強い用心棒を取り揃えているからね」
「対抗するには、これだけの人間が必要だと踏んだのだろう」
 二人から同じ調子で返された言葉に、潤居はうなずく。ここに三人が集まったのは何の意味もなく、戦力をそろえた結果こうなっただけだろう。
 それぞれの道を歩き、極めてきた。十三歳のあの時、もう決めてしまったのだ。この道を歩くと、この道で生きていくと、決定してしまった。誰かに強制されたわけでもなく、ただ一つ自分の意志で。選ばない道もあったのに、この道を選んでしまった。決まってしまった。その時から、迷うことなどなかった。
「少し早い同窓会だ」
 潤居がつぶやけば、小雨が「同期会でしょう」と答え、「場所が違うな」と寒菊が言う。それは、連綿と伝わる合言葉だ。卒業した時交わされる戯言でしかないけれど、誰もが本能で理解していたから、きっと誰もが伝えてきた。同じ世界で生きている限り出会うこともあるだろう。それでも、今までのように笑いあっていられるわけがない。もしも、再びまみえることがあるというなら。それはきっと、ここではない。
「…そろそろだな」
 時刻を察知して、三人はすっかりと顔を塗り替える。今までの会話が嘘だったかのように、気配も途端に薄くなってすぐに闇へと消えていく。
 もしも出会うことがあるなら、同じように笑える日が来るとしたら、それはきっと真っ赤に彩られた世界だ。阿鼻叫喚の血まみれの世界で、きっと再び笑顔で出会う。同窓会はそれまでお預けだ。潤居は、飛び出す前の二人へ声をかける。全てが終わったらきっとこんな風に語らわない。だから、あの時と同じように。少しだけ先に延びた再会の言葉をかける。
「地獄で、また会おう」