Note No.6

小説置場

たまゆらの

 ほんの一瞬の隙が命取りになるのだと、嫌というほど叩き込まれた。実戦形式の模擬戦で、密書の奪還に成功したことを知らせる烽火があがったもんだから、ほう、と息を吐いた。それだけ。たったそれだけだったのに、次の瞬間には真上から人間が降ってきてとっさに避けたら枝に張り巡らされていた糸を切ってしまって、気づいたら真っ逆さまに吊られていた。
 敵に捕らえられたことがわかって、私はため息を吐く。案の定、どこからか様子を見ていたらしい先生が「熾、死亡!」と告げてくる。せっかく奪還まではちゃんと生き残ってたのに、無事帰還出来なければ意味がない。先生は帳簿に印をつけていて、私はさかさまになりながらそんな先生を見ていた。先生はしかめっ面をして、気ぃ抜いただろ? なんて問いかけてくる。
「ちょっとだけ、ですよ」
 本当に、少しだけだ。いつもの呼吸よりわずかに深く息を吐いた、それだけだったのに。先生は「それがいけない」と言った。時間なんて問題じゃないんだよ、気を抜いたのが間違いだ、と続ける。ほんの一瞬、たった一瞬。それだけで充分な命取りになるんだ、と言う。
 実際問題その結果としてこの事態なので、何も言うことが出来ない。上手く逃れられていたなら、そんなことないですよって言えたのに。吊られた足首を眺めつつ、ぐるぐると回らないよう重心を調整する。まったく、こんな所に仕掛けを作ったのは誰だ。っていうかそもそも。
「…火縫の野郎…」
 先生の隣で涼しい顔をしている火縫に視線を投げる。敵組の先陣らしき火縫は、二言三言先生と会話をしてから、すぐに森の中に姿を消してしまったので、どんな顔をしていたのかはわからない。口を覆う覆面で目しか見えないので、表情なんてただでさえ読めないのだけれど。
 仕掛けがあったこと自体は仕方ない。というより、演習場である森なんだから、引っかかったことは大変不本意で腹立たしいことに変わりはないが、まあ仕方ないと言える。先輩たちがこの前使ったばかりだというし、仕掛けなんてまだゴロゴロしているだろう。だから百歩譲ってそれはいい。それよりも、一瞬の隙をついて襲いかかってくる火縫の方がどうだろう、だ。あの急襲でこの事態だ。
「…くっそー」
 そんなことを思うのはお門違いだってわかっている。罠にかかったのは他でもない自分自身の技量の所為で、しかるべき対処をしていたらきちんと抜けられた。もう少し注意深く着地点を見極めていれば糸は切らなかっただろうし、空間を把握していれば恐らく、糸は切れても吊られはしなかった。そもそも、あの息を吐いた一瞬において気の緩みを察知されるようではいけないのだ。だから、火縫に文句を言うのは、自分との確かな実力差に目を背けて責任を転嫁しているだけなのだ。同じ年で、相部屋の火縫とこんなに差があることを認めたくなくて。
(…懐かしいな)
 くすり、と笑みが浮かんだ。皮肉な笑みではなく、相手を挑発するためのものでもない。久しぶりに浮かんだ、純粋に心から楽しくなってしまった笑顔だ。昔のことを思い出すなんて、本当に私って最期が近いのかも、なんて思ってみたけど笑えない。
(火縫なら、上手くやれたかな)
 後悔とも少し違って、単純にそう思った。ここにいたのが私ではなくて火縫だったら、もっと上手くやれたんじゃないだろうか。きっとあいつのことだから、日々鍛錬は欠かしていないはずだから。きっとあの頃よりずっと、嗅覚は鋭くなっているはずなのだ。だからきっと、こんなことになる前に対処が出来たんじゃないかな、なんて。
「ああ、くそっ」
 今そんなこと思ってみても仕方ない。私はただ全力で、持てる力の全てを使って前へ走る。ただ遠く、ほんのわずかでも距離を取ろうと。足に力を入れて、持てる限りのばねを使って、高く遠くへ走り抜ける。
 炎の走る速度は速い。あの導火線に火がついて、火薬に引火するのなんてほんのまばたきほどの一瞬だ。その一瞬で、導火線を伝った火は、密封されていた火薬に点火され、その瞬間に火薬は化学反応を引き起こし、一気に高熱と爆風を発生させる。
 敵がそんなものを持っているなんて、収集した情報にはなかった。こっちが情報戦で負けただけの話だけれど、それにしたってこの武器の調達の早さは一体どういうことだ。裏に誰かがついているに違いない。
 後悔なんていくつもあった。職業が職業だから、後悔しないように生きていこうと思ったけれど、後悔なんていつでもしている。いつだって私は、後のことを悔やんでばっかりだ。だから今も、私は思うよ。ああしていればこうしていれば、と何度も思う。
 だけど今強く思うのは、脳裏に浮かぶのは、どういうわけかあの頃の話ばかり。実習戦に負けて悔しかった、徹夜で勉強した試験前、みんなで町におりたこと、喧嘩してぼろぼろになったこと、熱を出して看病してもらったこと、笑う顔、怒る顔、泣いたこと、怯えたこと、あの日のこと、最初の日に顔を合わせたこと、文句言いながら、ずっとずっと、一緒に暮らしていたこと。
(火縫、お前に言えば良かったよ)
 ちかり、と視界の端が光った気がした。空が、空気が、視界が、凶暴な光に包まれていく。
(わたしはね、おまえのことが、だいすきだったよ)
 意地を張ってばっかりで言ったことはなかったけど。同じ部屋でずっと過ごしてきて、同じ組で暮らしてきた、わたしのだいじな、ともだち。誰より努力していて、追いつけなくて悔しくて、強く凛とたたずむ背中を、おぼえている。爆風と熱波を背中で感じる。辺り一面が、光に蝕まれる。ああ、おまえのわらったかおが、みえるよ。

 

 瞬きをしている間に、
 世界なんて終わってしまうよ!