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Note No.6

小説置場

Usual oddity

「紫夜の皇帝」

 久しぶりに表の世界へ出てきた。いろいろ立て込んでいたからちょっとした息抜きに、というわけではもちろんなく、仕事の一環だった。しかし、表の世界は常に気を張っている必要はないので、楽と言えば楽だし、護衛も士音一人で充分である。
 訪れた先は、国営の研究施設だ。管轄は政府になっており、表側の施設ではあるもの、新薬開発に力を注ぐこの施設では人体臨床実験もあり、裏の人間が引っかかることも多々あった。そのために、たまにここへ顔を見せることもあり、静貴たちの存在は周知となっている。それもまた、三人がいささか心安らぐ理由の一端になっていた。一般人のふりをする必要がないというのは、とりわけ演技が面倒くさい静貴にとっては気楽なのだ。
 それに、人体臨床実験とは言っても、間違っても結人や士音が捕まっていた裏の組織ではない。一つの町を形成していると言っても過言ではない広大な敷地と建築物に、国家技術の粋を集められた様々な機械、億単位の金が動いている場所、というのが一般的ではないことくらいはわかっていた。それでも、決して人格を無視した実験や、やたらと動物を犠牲にするような話も聞かない。研究員にマニアックな人間が多すぎるきらいはあったが、精々それくらいだ。静貴がどういう人物なのかわかっていても、態度を変えない点も快かった。
「…というわけですが、いかがでしょう。御影使様」
 背広を着込んだ、ぱんぱんの風船のようなオジサンが、もみ手をせんばかりの勢いで静貴に話しかける。確かに、ここで御影使の支援が得られたらいっそう潤沢な資金が入ってくることは間違いない。力が入ってしまうのも致し方ない。
「こういった研究は、当施設でしか行えません。成功したなら、苦しむ人間にとって正に希望の光となりましょう」
 新しい薬を作るための機械は、やたらと大きくて立派だった。背が高くて横にも広くて、空間いっぱいにあって圧倒された。設計上のことで、娯楽のためではないのだが、どこか巨大戦闘ロボットを思い出させる造形だったので、静貴は確かにテンションがあがったものである。これが、相手を気持ちよくその気にさせ、よくわからないけれどとりあえずすごいらしい、ということを理解させる手だということくらいわかっていた。聞き及んでいた相手が精々十四、五のガキで、しかも連れもそれくらいの人間だとわかって、これなら楽にやりすごせると思ったのだろう。
「確かに。この研究は有意義なものでしょう」
 だからってそんな簡単に騙されてやるかっつーんだよばーか、と内心で舌を出しながら、笑顔でうなずいた。相手も、たるんだ顎を揺らしてうなずく。だから金を寄こせ、という意志が透けて見えるような気がした。
「結人」
 笑顔を消し去り、傍らで気のない素振りをしつつ――というか実際どうでもいいのだろうけれど、話は耳に入ってしまっているであろう――結人の名を呼ぶ。一応顔を隠して、せめて舐められないようにしたいというわけでかけていた眼鏡越しに、結人は相手を見る。眼鏡をした所で素顔を隠すなど、土台無理な話なのだ。色々な意味で突き抜けた造作が眼鏡で覆い隠せるものではないことを、いい加減自覚したらどうかと思いながら静貴はやり取りを眺めている。相手は、まだ幼いながらも溢れ出すような美貌を持つ人間にたじろぎながら受け答えをする。眼鏡をかけたところで、知的美女にしか見えていないことに気がつかないんだから、全くこいつはよくわからん。
「こちら、アメリカのボルドーイ社製のものと思われますが…同じ型でしたらドイツのイヴィハルト社の方が3000万ほど安価ですよね。それに、解析のためでしたら、むしろスイスのフィルッタラース社の方が向いているとは思われませんか」
 とうとうと並べられる言葉に、ええだとかああだとか唸り声を上げている。まさかそこまで、納入機械に詳しいとは思っていなかったのだろう。静貴だって、そんなことは知らなかった。別段事前に予習していたわけでもないし、現地で検索をかけたわけではない。それなのに、当たり前のように納入されているマシンの性能や価格を理解している辺りが、目の前の冗談のように整った顔をした友人の恐ろしい所だった。
「…かしせんせい」
 いつの間にか形成逆転されていた対話に気をとられていたら、今まで眠そうな(というより寝かかっていた)士音が覚醒したことに気づかなかった。静貴と結人が士音の視線の先を見ると、白衣を着た研究員が歩いてくる所だった。とてとて、とよろよろした足取りで士音が向かい、腰に抱きつく。
「おお、来てたのか三人とも」
 あ、所長もどうもっす、と会釈をする樫は三人がどういう人間かをよく知っていたが「子どもは子どもじゃん?」と言って、特に何も変わらなかった人間の一人だ。
「そういや静貴、お前、この前血液検査断ったんだって?」
 腰にまとわりついた士音の頭をなで、結人くんは相変わらず綺麗だなーと笑ってから、静貴に言葉を投げる。
「え、何で知ってんの樫センセイ。ここじゃねえよ検査受けたの」
「俺顔広いんだもーん。何? 注射怖いの?」
「怖いってか、あれ痛いじゃん。毎月、二桁血ぃ抜かれてみろって。ぜって、嫌になるぜ?」
 毎月精密な健康診断を受けることが義務になっている静貴だが、毎回どうして注射器で10本だか20本も血液を抜かれなければいけないのか、未だに理解出来なかった。一体どれだけ検査されているのか。
「あれじゃね。お前血の気多いから」
「そんな理由かよ」
 ありえそうだろ、と言って樫は快活に笑う。先ほどまで静貴から融資を取り付けることに熱心だった所長は、笑いあう四人にいたたまれなくなったのか、研究員が呼びに来たのを幸いとしていなくなってしまった。樫は白い歯を出して笑っている。お追従の笑みではなく、楽しくて仕方ないと笑っているこの人間のことが、静貴も士音も結人も好きだった。
「だから断ってんのか。何ならここで取っておくか? 注射器あるし、無理やりやったろーか」
 にしし、と冗談で言っているのだとわかった。しかし、何だかんだで体育会系のこの人間のことだから、冗談がてらやってしまうことも考えられたので、静貴は口を開く。医師免許を持ったこの男のことだから、的確に血管を探せることを知っていたとしても。
「あーそれは駄目。俺の体に傷つけんのって、何だっけ。総理大臣の許可要るから」
 淡々と、当たり前のように言うのは、紛れもなくそれが真実で、嘘偽りのない当然だったからだ。
「緊急時以外で俺に傷つけると、後で面倒だから止めといた方がいいよ。始末書? とかで済むの?」
「血を抜くくらいなら始末書と減俸くらいかな。でも下手すると、収監で再教育という名の洗脳ですよ」
 いまいちわからなかったので、結人に尋ねてみれば、やはり当たり前の顔をして、罰則を答えた。士音も、ゆっくり口を開くとぽつぽつ言葉を落とす。
「あと、さいあく、しんじゃうよ」
 ぐりぐりと頭を押し付けながら言われた言葉にしては物騒だった。樫は笑顔のままで固まったけれど、強張りを解くとはあっと息を吐く。
「…注射して死ぬのか俺は」
「樫センセイは大丈夫だけど」
 俺がちゃんと言うからーと続ける静貴は、いたって普通の十四歳の顔をしているというのに。
「まあでも、俺を狙った暗殺犯とかは、問答無用で死刑」
 にこ、と笑って言う顔が明らかに凶悪面だった。罪を犯した人間よりもっと根源的な、獲物を喰らう肉食獣の目だ。人が作った法律など超越して、絶対的な断罪権を持つものの言葉だった。
 もしかして、静貴を狙った人間は三審制とかまるっと無視して即効死刑なんだろうか、と思った。思ったが、聞いたら即答されそうだったので、樫はそれを聞かずに、食堂で飯はどうかと誘った。やった! と喜ぶ三人は、まるで普通の中学生だ。