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Note No.6

小説置場

The sport of fortune

 その日の朝、いつものように半分寝ぼけたままの状態でベッドから起き出した静貴は、緩慢な動作で居間へと入った。ワンフロアぶち抜きで自宅としているため、居間は冗談のように広い。ダブルベッドくらいはあるのではというソファに横たわり、引き続き惰眠を貪ろうか、それとも覚醒して朝食を食べるべきか…などということをぼんやりした頭で考えていると、背後で人の気配がした。
「起きたのか、静貴」
 いつも自分より早起きしている人間の声に、静貴は薄ら目を開く。ぼやけた視界の中に、見慣れた顔が映る。
「…あれ、何か締切り近いんだっけ、お前」
 あくびをしながら体を起こし、声の主をまじまじと見た。結人はどういうわけか白衣を着ていて、はて、何か取り掛かっている論文でもあったろうか、と考える。結人は自分で淹れたコーヒーをすすりながら、静貴が座るソファを迂回して、別のソファに座る。一つが大きいため、ずいぶん遠い。
「…いや、そういうわけじゃなくて」
 何ていうか必要に迫られてっていうか…という口調は、普段に似ず曖昧だ。はっきりと、物事を口にする結人にしては珍しい。
「…困り事か」
 しゃっきりと意識を覚醒させてから、目の前の友人に言葉を投げる。眉を下げて笑う顔はどういうわけか、やたらと弱々しく見えた。普段から細いと思っている体の線が、いつもよりさらに細く見えるし、一回りくらい体も小さくなったような錯覚すら覚える。知らない間に、厄介な揉め事でも抱え込んでいたのだろうかと、結人の言葉の続きを待とうとする。しかしそこで、もう一つの人影が部屋へ入ってきた。
 真っ黒い髪をてんでばらばらの方向に跳ねさせながら、くしくしと瞼をこすって入ってくるのは士音だ。明らかに覚醒しておらず、ほぼ習慣でここまで辿り着いたのだろう。コーヒーの匂いに誘われるようにふらふらと結人の方へやって来る。途中で静貴に気づいて、寝言のように「おはよう」といってから、結人の方へ体を傾ける。静貴にやろうものなら殴られるのがオチだが、結人なら怒らないことをしっかりと学習しているのだ。士音はいつものように、ぬいぐるみを抱きかかえるようにして倒れ込もうとしたが――体に触れた瞬間、一気に飛びのいて距離を取った。
「…ゆいと…?」
 先ほどまでとは打って変わった表情で、瞳には強い光を宿している。明らかな警戒を滲ませた態度に、静貴も身構える。野生動物並みに感覚が発達している士音の危機察知能力を、静貴は誰より信用していた。
「…むね…」
 呆然とつぶやく士音の言葉を理解しようと努めながら、静貴は目の前の人間へ目を向ける。セキュリティも万全で、国家技術の粋を集められて侵入者を排していると言えるこの家で、不審者が我が物顔でいられる可能性は低い。しかし、それよりもあの士音が懐いている結人に対してこんな態度を取る方がありえない、と静貴の頭は結論した。信じられないとしても、可能性はないわけではないのだ。一体この目の前の人間は何なんだ。結人でないとするなら、結人はどこにいるのか―。静貴がめまぐるしく演算を開始しようとする中、士音は警戒を解かないながらも、何かを決めかねているようだった。目の前の人間が別人であるというなら、即効で突っ込んでいくに違いない人物だけに、そういえば――と、静貴は違和感に気づいて士音を見た。
 士音は珍しく、しっかりとした表情を浮かべていた。茫洋としてどこを見ているのか分からない普段とは違い、そこに浮かべられている表情は明らかな戸惑いだ。困っているような混乱しているような、どうしたらいいのかわからない、そんな顔だった。
「…ゆい、と?」
「うん、間違いなく本人だ。…不自然だろうけど」
 困ったように眉を下げて笑うと、白い八重歯がきらりとのぞいた。それは間違いなく結人のものであるように見えたけれど。
「静貴、どうしよう?」
 二人の会話の意味が理解出来ない静貴が、説明を求めようと士音を見ると、反対に質問をされた。どうしようも何も、一体何のことなのかわかんねえよ、と言おうとすると、士音が言葉を落とした。
「…結人なんだけど…あれ、結人なんだけど…、…おっぱいがあるよ?」
 爆弾を頭の中で爆発させたらこんな気分だろうと、静貴は思った。実際それくらいの威力はあった。頭の中身が消し飛んで、いろいろ真っ白だ。さらに、目の前の「結人」は眉を下げたままで、さらなる衝撃的事実を披露してくれる。
「あー…やっぱり、他人にもそう見えるのか…」
 言いながらぷちぷちと、シャツの前ボタンを外していく。同性の裸なんてどうでもいいし、大体結人の裸なんて風呂とか泳ぐ時に飽きるほど見ている。それなのに。真っ白いシャツを外して顕わになった胸は、見慣れたものではなかった。平らであるはずのそこには、小さいながらも明らかな膨らみが二つついていた。
 くらり、と眩暈がしたのに失神しなかった己を褒め称えながらも、いっそ失神した方が楽だったんじゃねえの、と静貴はぼんやり考えた。