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Note No.6

小説置場

Come out of a dream early!

 頭で考えることが好きだった。体を動かすことは嫌いではなかったし、頭をすっきりさせるにはある程度体を使った方がいいことは知っていたから、運動をしないわけではない。だけれど、体で考えるより頭で考えること―混沌の所在を見極め、整理して筋道を立てて、詳らかにして―が好きだったのは紛れもない事実だ。そういうわけで、体への意識がおろそかになっていたのも本当だけれど、と結人は鏡の前で考えた。
 だからって、一体どうしてこんなことになったんだろう?
 鏡に映るのは見慣れた自分の顔だった。確かに、男らしい顔立ちとはかけ離れている。というより、十中八九女性に間違われることは百も承知している。成長途中の体は男性にしては小柄で線が細い。睫毛は無駄に長いし、目も大きい。唇はやや肉厚で、耳や鼻も小ぶりだ。しかし、女性に特有の丸みがあるわけでもないし、いずれ成長したらそれなりに男らしくなる、と結人は信じているのだけれども。
 大きく息を吐いて、もう一度鏡を見た。姿見の前で立ったまま自分の体をまじまじと観察して、先ほどから何も変わらないことを確認して、何だか泣きたいような気分になった。
 いつもの朝のはずだった。セットした時刻通りに鳴った目覚まし時計によって起床し、いつもの習慣で洗面所へ行った。口を濯いで顔を洗った時に自分の顔は見たけれど、あまり違和感がなかったという事実も、後から考えると結人をやるせない気持ちにさせる。
 思えばこれが士音であったら多少は違っていたのだろうか、と結人は考える。野生動物と同じレベルの、研ぎ澄まされた感覚を有する友人を頭に思い浮かべる。起床した時点で、体の違和感に気づいてもおかしくはない。一回りほど華奢になった体や、以前とは明らかに違う肉付き。そういうことに、士音なら気がついたかもしれなかった。結人は、そんな微細な違いを(はっきりと自覚はなくとも、無意識の内に)察知していたとしても、知覚は出来なかった。
 いつもの習慣で、洗面所からトイレへ向かって初めて理解した。あるはずのものがない。用を足すにはなくてはならないものが、なかった。その事実を理解はしたが、事態を理解するまでにはさすがの結人も十数秒を要した。夢の可能性を考えてみたが、夢だと認識している夢もあるし現実と違わない夢もあるだろうし、と二秒でその考えを放棄した。
 風呂場に急行し、姿見の前で来ている服を脱ぎ捨てた結人は、知りたくなかった現実を直視する羽目になる。
 元々がっしりした体つきや、筋肉とは縁遠かった。腕も足も細いし、横から見ると肉がついていないようだ、と何度も言われた。ちゃんと食えよ、と心配されたことも記憶に新しい。しかし、今目の前の鏡に映し出された体は、微妙に違っている。確かに腕も足も細くはあったが、例えば胸や尻周りが明らかに丸みを帯びている。胸から腰にかけてはすとんとした板のようであったはずが、確かな括れが存在しているし、何より股間にあるはずだった性器が欠片も見えない。同時に、胸には確かな膨らみが存在していた。
 医学書や専門書を持ち出すまでもなく、目の前の鏡に映し出されているのは紛れもない女性の体だった。
 それからいくら自分の体を点検してみても、事実は事実として横たわったままである。今ここにある自分の体は間違いなく女性のもので、男性器も見当たらないし変わりに存在する女性器は、きちんとした機能を果たしていることも確認済みだ。乳房を触ってみても感触はしっかりしたものだし、夢であろうと現実であろうと、女性の体へと変化したことは間違いがない。
 嘘だったらいいのに、と願いながらも理性はしっかりと残っていたようで、これからのことを考えた。いつまでも裸でいるのも寒いので、脱いだ服を身につけながら、結人は大きく息を吐いた。
 仕方ない。なってしまったものはどうしようもないのだから、対処を考えるしかない。まずは遺伝子検査だな、と思いながら研究室へ向かいつつ、これが夢ならいいのになぁ、と思わずにはいられない結人だった。