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Note No.6

小説置場

Let me make the later talk

「紫夜の皇帝」

 ぐっぐっと親指に力を入れると、わずかながら筋肉が沈む。しなびたじじいのくせに、未だ筋肉に多少ながらの弾力がある事実に、静貴は内心で舌を巻く。本人は「あー」とか言いながら身悶えていて、何だか見ていてあんまり気持ちよくないので、もっと力入れてやろうか、と思った。
「もっと強くしてもいいぞー」
 うつ伏せになったままのくぐもった声がそう言うので、強めても喜ばせるだけだと察知した静貴は今まで通りの力で指圧を加える。しょっちゅう腰が痛い、と言っているけれど、いつもぴんぴんしているし腰が曲がっているわけでもない。仮病なんじゃなかろうか、と密かに疑っている静貴である。
「…よかったじゃろ」
 ハッキリしない声がそう言って、静貴はじいさんを見た。顔はタオルに押し付けているので表情が見えない。
「結人が、元に戻って、安心しとるだろ」
「……そりゃな」
 電灯が映り込んでぴかぴかと光る禿頭を眺めながらうなずく。原因は良くわからないながらも、どういうわけか性別が変化してしまった友人のことを思い浮かべるが、元に戻ってよかったと思っているのは本当なので、正直に答えた。
「ほんとに、お前さんの理性がのこっとるうちでよかったなー」
 やたらと楽しげな声で言われた台詞に、静貴は思いっきり咳き込んだ。いきなり何を言うかこのジジイ! といきり立ったのに、罵倒する言葉がうまく口から出てこなかった。
「な、じじい…っ、何、何言ってんだ、よっ!」
 それ所か思いっきり口ごもってしまって、狼狽ぶりを露呈する羽目になってしまった。これでは、図星を指されてうろたえているとしか思われない。案の定じいさんは、くるりと顔を静貴の方へ向けると、人の悪い微笑を浮かべていた。
「いやー? だって結人って、そん所そこらの女より綺麗じゃろー?」
 体を起こして、うつ伏せでも着用していたサングラスのつるを直しつつ、静貴に向き直った。口元に浮かぶ笑みが、静貴の本能に警戒を訴える。
「その辺、あいつら疎いっつーか使い物にならんからなー。お前くらいだろ、正常な反応するのって」
 じいさんの言う「あいつら」が誰なのか、痛いほどに静貴は知っている。結人と士音は、幸か不幸か性的なことに関しては奇跡的なまでに反応が薄かった。裸体を見ても人体構造に考えが直結するだけだというのは、奇跡というかいっそ阿呆だとも思う。
「まあ、十四の男なんていつでも下半身持て余してるだけだかんな、仕方ないて」
 ぽん、と肩に手を置かれた。言葉だけを聞くと慰めているようにも聞こえるが、それだけで済まないことなど静貴はよく知っている。じいさんは殊勝な顔をしていたかと思うと、喜色満面、と言った表情を浮かべた。
「で? お前さん、どこまで想像したの? ていうか実際どこまでやったの? このじじいに教えてみなさい」
 ぐい、と肩を抱かれて耳元でささやかれ、静貴は絶叫した。相手が老体であることなど全く意に介さず突き飛ばし、ずざざざと後ずさると思いっきり距離を取る。じいさんは、高齢者だとは思えない身軽さで着地して、青いのぉ、とか笑っている。
「断じて! 絶対に! 俺は結人で変な想像とかしてねえからなっっ!!」
 顔を真っ赤にして涙目になりながら叫ぶ姿を、サングラスの奥の目が面白そうに眺めている。実際問題として、十代後半の男の生理としてはいくら友人だと言っても、いくら元男だと言っても、顔が綺麗で胸もあってふっくらしててやわらかくて、性格も穏やかでよく気がつく聡明な女性が傍にいれば、多少ぐらっと来ても責められた話ではない、とじいさんは思っている。思ってはいるが、つつくとおもしろいので止められないだけだった。
「っつってもなー、結人って、ホントどうかと思うくらい完璧じゃろ? 顔はもちろん、性格とか内面含めて。『綺麗』ってこういうこと言うんだなーってくらい整った顔しとるし、あれはもはや天の意思とか感じるね。どんな優秀な職人でもあの顔は作れんよ。お前さんもそう思うじゃろ」
「それはまあ…」
 実際、結人の造作は突き抜けたレベルをしていると、静貴も思っている。女優やモデルに見られるような、その人から滲み出る個性や立ち居振る舞いから来る美しさとはまるで違って、単純な顔の作り、それだけで結人は美しかった。それも、人工的なものをまるで感じさせない。生まれた瞬間から輝きを放つようであったろうと、誰もを納得させてしまうような妙な力があった。それでいて決して毒々しくもならず、かといって吹けば飛んでしまいそうな儚さだけを備えているのでもない。自然の中にあって繊細さと強さを兼ね備えた風貌をしていた。薔薇色の唇も、玉のような肌も、絹糸のような髪も、宝石をはめ込んだような瞳も、絶対的な何ものかが手塩をかけて生み出した結晶のようだった。
 加えて結人には最神の頭脳があった。記憶力にかけては比類なく、そこから必要なものを取り出していくらでも展開出来る。世の全てに通じているといっても過言ではなく、実際多くの問題に直面しても、類型をすぐさま取り出して解決策を講じることが出来た。高みに立って全てを見渡し、的確な道標を示す一族であったのだ。その頭脳を誇るとしても、決して傲慢になることもなかった。誰よりも礼節を重んじ、謙虚であることを美徳とし、驕りたかぶって他を見下すことを何より嫌い、戒めていた。動作一つ一つも、優美で洗練されており、一族そのものが何らかの奇跡のようでさえあったのだ。その一族の最後の当主であり、至高と謳われた父を持つのが、静貴の知る結人だった。
「…結人が女だったら大変だったろうなぁ」
 しみじみとじいさんが言うので、静貴も同意した。完璧な頭脳を持ち、完成された美貌を兼ね備えた結人が男であることを嘆いた輩は数多い。神様は結人の性別を間違えたに違いない、と言う人間もいる。
「でも、結人は男でよかったと思うぜ」
 つーか、もしカミサマってやつがいるとしたらうまいことやったって思う、と続けるとじいさんが「お前さんの理性の問題で?」と言う。違うわ! と突っ込んでから答えた。
「だって、あいつが男だからっていろいろ諦めたやつっているだろ? 女だったら、女って理由だけで実力行使に出るやついそうだし」
 だからあいつは男でよかったよ。男だからって余計なモンだいぶ減ってると思うぜ? 当たり前の顔をして言う静貴に、じいさんは口の中でこっそりと笑った。思春期真っ盛りの男子の性として、冗談のように綺麗な顔をした、たおやかな女性が傍にいればいくら理屈をつけても、反応してしまうこともあるだろう。それが悪いことではないと思ってはいるけれど、からかってはいるけれど、じいさんはとっくに確信していたのだ。静貴が、結人相手にそんなことを欠片も思ったことがないことなど。
「結人は、男であることで自分自身を守っておるからの」
 誰よりも強靭な精神力を持ち、何よりも真っ直ぐな目の前の男の子は、一度決めたら貫き通す強さがあった。自身の生理など、恐らく完全に制御できる。本人が気づいていないとしても。
「だろ?」
 楽しそうに、どこか嬉しそうに笑う静貴を見えない目で笑いながら、にやりと口元を歪ませた。
「でも、多少ぐらっと来たじゃろ?」
 言えば、静貴が思いっきり顔を歪めて絶叫した。