Note No.6

小説置場

頂の君主

 びりびりと空気が震えていた。抑え込もうと努力しているし、実際別のことを考えて気を散らしている。だからどうにか、漏れ出す程度で済んでいる。それでも完全に消し去ることは難しく、明らかに異質な雰囲気を放出していた。
 もっとも、気づく人間は多くない。さすがに失神者が続出しては事態が一向に進まないので、あれこれと手を打ったのだ。もっともそんなものは大した意味など持たない。静貴を前にすれば、対処などどれもが焼け石に水でしかない。精々家庭内での応急処置、本格的な対策としては不十分だ。そうであるにも関わらず、気づく人間がほとんどいないのは、簡単な理由による。
 己の利権と保身だけを目的として邁進し、他を省みることなど疾うに忘れたのだろう。ぶくぶくと肥え太り、感覚全てが磨耗したように愚鈍な彼らには、今目の前にある脅威をしかと認識出来ない。わずかながらの不快感や焦燥感――そういったものを、ぎりぎりの場所で感じているかもしれない。しかしそれも、ここに至るまでの過程を思えば当然だ。
 培ってきた特権的待遇や、湯水のように湧いて出てくるはずだった金の卵が、消し飛んでしまうかという瀬戸際なのだから。額に薄っすらと汗をかき、必死で頭を回転させ、どうにか譲歩を引きずり出そうと熱弁をふるう。彼らの奥底、かろうじて生き残っているであろう本能は、恐らく悲鳴を上げている。遠い昔に置き忘れてきた、自分自身が体験する前から知っていた、動物的本能は懸命に叫んでいるだろう。
 しかし、自分こそが唯一無二の存在であると履き違えた人間は、とっくに忘れていた。捕食者に献上されるまでの間、生き延びることを許されていただけなどということを。
「あのさぁ」
 一言も口を挟まず、静貴は話を聞いていた。途中で声を荒げることもなければ、矛盾点をつつくこともなく。静かな目をして、脂ぎった人間たちを眺めながら、彼らの言葉を耳に流し込んでいた。
 その場にいる全員が話終えたのを確認してから数分間、静貴は黙った。自分たちの説得が上手くいったのではないか、しょせんただの14歳の子どもでしかないのだ――戦々恐々としていた彼らは、静貴の沈黙に自信を取り戻し始めていたのだが。
「手遅れだって、わかってねぇんだよな」
 吐き出された言葉は、侮蔑や憤怒ではなかった。荒々しさなど一つもなく、そこにあったのはただ穏やかで静かな、どこまでも透き通った、純然たる憐れみだけ。一種の慈愛さえ感じさせるほどに、ただ静貴は哀れんでいた。目の前にいる、自分より倍以上生きてきたにも関わらず、何一つ成長することのなかった大人たちを。
「テメエらの言い訳聞くためにここにいるんじゃねぇよ。もう決まってんだぜ、俺がやることは。謝罪の一つくらいは聞いてやってもいいかと思って、顔出してるだけだ。それが何だ? 仕方なかった? 予想していなかった? 未来のためにここは我慢を? 急いて国益を損なうな? テメエら、どこまで頭腐ってんだ?」
 強い言葉ではあったが、やはりそれは侮蔑ではなかった。どこまでも、ただ哀れんでいるのだ。この14歳の少年は。国家中枢まで登り詰め、国を動かす大人たちを相手にして。
「仕方なかった? 仕方ねえわけあるか。お前が無能だって話だろ。予想出来なかった? あんなもん続けてりゃこうなることくらい、ガキでもわかるわ。それだけの能力がなかったってだけだろ。馬鹿じゃねーの。我慢なんざ今までどれだけしてきたよ。そっくりそのまま言葉を返すぜ、テメエが我慢しろ。そんなことも出来ねぇ相手との未来なんて要るか。安心しろよ、急いてねぇから。ずっと前から考えてたに決まってるだろ」
 一息に言い終えると、静貴は集う大人たちを見渡した。14歳の少年は、半世紀以上を生きてきた老獪たち、一人一人と視線を合わせる。彼らは、戸惑いはしたものの、そんな素振りは欠片も見せない。絡まった視線をほぐしもせず、強いまなざしを注ぐ。
 目の前の少年がどのような人物であるかを、彼らはよく知っていた。何も知らなかった青年時代から、次第に力をつけていくにつれ教えられた存在。当初こそ信じていなかったが、実際にその存在と引き合わされてしまえば信じるしかなかった。何もかもを知っていると思った。しかしそれはまやかしに過ぎなかった。何もかもを手に入れたと思っていた。しかし本当は、世界の半分も知らなかったのだ。
 だが、彼らが知るのは目の前の少年そのものではなかった。たった14歳の少年とは、代替わりの際に顔を合わせた程度であり、彼らに世界の裏側を知らしめた張本人たちはすでに鬼籍に入っている。
 だからこそ、静貴という14歳の少年に対して思う所があったのは否めない。たった14年しか生きていないのだ、この若造は。自分たちが生きてきた歳月の半分も生きていない。己が国のために捧げた年月を知りもせず、それだけの労力も提供せず、何を言うのか。そうだ、こんな小僧に自分たちの決定をとやかく言われる筋合いなどない。今まで捧げた物を思えば、見返りなどあって当然、これからも保証されねばならない――。
 純粋な哀れみだからだろう。それ以外の何物もない、混じり気のない憐れみであった。だからこそ、彼らは履き違えた。捕食者を前にして、楯突く権利があるなどと。弱肉強食の理は人間社会に通用しないなどと。
「勘違いしてんじゃねぇよ」
 わずかな剣を感じ取った静貴は、笑った。おかしくてたまらない、といった顔で。紫紺の瞳を揺らめかせて、そうして笑んだだけだった。
 しかし、その途端彼らは己の間違いを悟った。14歳の少年から撒き散らされるのは、悪意でもなければ害意でもなかった。愚鈍に緩み切った生存本能に、真っ直ぐと突き刺さる。そこにあるのは、純粋な殺意。悪気一つなく、害を成すつもりもなく、ただその命を跡形なく握り潰す決意。
 生まれた時から決まっていたのだ。最初から何もかもは決まっていた。生きた年月など関係がない。生まれついた瞬間から、目の前の少年は絶対的に違っていた。肉食獣が草食動物を前にした時、喉笛に牙を突き立てることに、特別な決意など必要がないように。
 静貴という少年は、生まれた時から彼らの生殺与奪を握っていた。