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Note No.6

小説置場

慧眼

「紫夜の皇帝」


 後ろから静貴を見ていた二人は、つくづく思っていた。本当に楽しそうだなぁ、と。
 元々静貴という少年は、血の気が多い。基本的に直情径行、思い立ったらすぐ行動。物事の裏を読むくらいなら実力行使でかいくぐる、いささか思慮と冷静さを欠いている、というのが周囲からの評だ。それでも決定的な失態を犯さなかったのは、周囲の人間の協力と、ひとえに静貴という人間の特異性だろう。
 生まれた時から静貴は正しく自分の立場を理解していた。絶対的な力を持ち、他者の命さえも己が手中にあると知っていた。同時に、それが自分自身の功績ではないことを、徹底的に叩き込まれていた。
 この世界における絶対的権力を動かせるのは己だけ。しかし、そこには己の介在する余地は一つもない。自分自身が成した功績など、積み上げた結果など、何一つ反映されてはいない。だからこそ、強く決意していた。しかと心に決めていた。
 自分自身が手にした権力を使うのは、自分以外の誰かのためであると。私利私欲のためではなく、自分以外の誰かのためにこの力を捧げるのだと。
 静貴ほど己の意志を律することに長けた人間はいなかった。自分自身の意志や欲を誰より理解して、望むものを間違えることはなかった。同時に、それを抑える術を他の誰より強く熟知していた。自信の心に素直になるべき時と、押し殺す場面を、明確に線引きし、確実に行動へ移し、そうして過ごして来た。
 たった14年しか生きていない少年はしかし、生まれた時から公人としての宿命を受け入れて生きていた。
「っつーわけで、この計画通りに従ってもらうから。出来ないなんて言わねぇよな?」
 心底うきうきとした調子なのは、初めて己の意志とやるべき行いが合致したからだろうな、と結人と士音は考える。ずっとずっと思っていた。後ろから歯痒い思いで見ているしか出来なかった。
 しかし、今はもう全力で挑めるのだ。この国を守るために、この国に生きる全ての人々を侮辱した相手を、徹底的に叩きのめす口実が出来たのだから。
「お前らが現在抱えてる案件、運用中含めた財産全て、現在かかってる病院に主治医の名前と薬の種類、最近した高い買い物上位3件、近所における評判その他諸々――ついでに姻戚関係の揉め事まで全部把握した上で、これやれっつってるから」
 さらりと言ってのけられた言葉に、彼らは静貴へ視線を向けた。ハッタリにしてもいささか度が過ぎているではないか、という視線と、しかしこの少年ならばあるいは、という疑念が入り混じっている。静貴は傍らに立つ結人へ顔を向けた。
 それだけで自分の行いを結人は理解し、今まで調べた情報をとうとうと読み上げる。この中では、静貴に次いで最も高い地位を持つ人間。そう易々と、外部へ情報が漏れるはずがないのだが。よどみなく口から流れる情報の一つ一つが、決してハッタリではないことを、すぐさま当人は理解した。現在己が取り組んでいる仕事内容、秘書に任せた案件、運用会社に任せている国債ファンドの額から、最近切り替えたばかりの新薬やら画廊から買い入れた絵、その他近所の住民や、孫娘が不登校気味であることまで、結人の述べた言葉に偽りは一つもなかった。
「それ以外にも、お孫さんの不登校の原因や曾孫さんの最新試験結果などもありますが」
 祖父でさえも知らない不登校の理由や、まだ通知されていないはずの試験結果までも入手しているらしかった。そんなものは嘘だ、と言い張ることも出来た。しかしそれが出来ないのは、今まで述べられた情報に微塵も偽りがなかったためだ。もしも、些細でも誤謬があればそこを突くことが出来た。それ見たことか、そんなものは嘘っぱちだと言い切れた。しかし実態はどうだ。傷一つなく、ほころび一つなく、結人の調べ上げた情報は完璧だった。完全なる事実のみを、さも当たり前の顔で言い切った。
 一体目の前の人間は何者だ、と部屋の人間は思う。話に一段落してから部屋に入ってきたのは、静貴と同じくらいの年頃の人間が二人。その一人が結人であり、もう一人は士音である。彼らは、子どもの入室にいささか眉をしかめたが、それが感嘆に変わったのは、ひとえに結人の美貌に目を留めたからだろう。
 真珠のような白い肌に、青みがかった髪と瞳を持ったその人物は、滴るような美しさを備えていた。立っているだけで光を放ち、瑞々しいきらめきを周囲に投げかける。一個の芸術品だと言っても差し支えないほどに、ただ目の前にあるのは「美」そのものであった。
 もしも静貴を前にしていなければ、どうにか己のものにしようと画策していたであろう。生きる芸術品のような存在を、手中に収めようと尽力しただろう。行動に移さなかったのは、静貴の眼前であったからに他ならない。静貴とつながる人物を、当人の前で自分の元へ来い、などという度胸はなかった。そんなことをすれば、八つ裂きにされるのでは、と恐れたのだ。美しき人間は恐らく、静貴の持ち物であろうと判断していたために。
 それが叶わなかったのは、今になれば幸いである。持ち物などという暴言を口にせずに済んだことももちろん、何より、結人の情報収集能力の高さをまざまざと見せつけられたがゆえに。
 類稀なる能力と言っていい。情報は彼らにとっても重要で、何ものにも代えがたい武器となる。そうであるからこそ、結人の存在は喉から手が出るほどに欲しても問題はないはずだった。しかし、彼らは知ってしまった。目の前の人間の能力は、"使える"だとか"武器になる"だとか、そういった次元ではないことに。ありとあらゆる所に情報網を広げ、血肉と融合するかのようにして、様々な情報を入手する。本能のように。生存欲求のように。飢えや渇きをしのぐことと同じように、ただ結人は希求する。冀い、手を伸ばす。
 もはやそれは、重宝を通り越して畏怖さえ感じるレベルの情報欲求であった。
 彼らは理解してしまった。目の前の、感情を揺さぶられるほどの美しさを持つ人間。それはもはや、人智を越えた某かだ。決して触れてはならないほどに、遠い場所の存在だ。近づいてはならない。手を伸ばしてはならない。
 そう、彼らは知っていたのだ。あるいは神のような存在に近づきすぎた人間は、ただ地に墜とされるしかないのだと。