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Note No.6

小説置場

武なり


 部屋の中の彼らは、静貴に示された計画を見つめている。無謀とまでは言わないが、無茶の部類であることは間違いない。絶対に出来ない、というわけではないものの、積極的に動こう、とは思えない。
 何せ今まで自分たちが培ってきたもののほとんどを、無に帰さねばならないのだ。さらにそれだけでは済まず、いかに己たちの損害が大きいことか。決して口答えなど出来ないが、それでも諸手を挙げて賛同したい内容でないことは確かだった。否の答えなど、あるはずがないと知っていても。
「返事は聞いてねぇけど、出来ないなんて言わねーよな?」
 満面の笑みを浮かべてはいるが、空気が重くのしかかってくる。圧倒的な質量で持って、押しつぶそうとするように、明らかな制圧だ。彼らとてそんな場面には何度も出くわしてきたし、上手く交わしてきたからこそこの場所にいるのだが。
 そんなものは児戯でしかなかったのだと、まざまざと思い知る。目の前の少年が発する、ただ強さだけで構成される圧力に比べれば、今までのものは単なる空気でしかない。裏にある意志を読み、腹の底の思惑から推察した決意など。紫紺の少年から放たれる、命そのものを脅かす空気に比べれば。
「まぁ無理だっつーなら別にいいけどな」
 あっさりとした言葉に、彼らは一瞬たじろいだ。まさかそんなに簡単に矛を収める気ではあるまい、という気持ちと共に、未だに甘えの残る思考回路が頭をもたげたからだ。何のかんのと言いながら、やはり抜け道があるのではないか? 足下に跪いて請えば、わずかながら己の領域を守ることが出来るのではないか? 一瞬の内によぎった思慮を、静貴は決して逃さなかった。
 傍らの士音へ視線をやったのは、瞬きするほどの短い時間。意志を伝える様子もなく、ただ視線を動かした、それだけだ。この事実に気づいた人間がいたかどうか、それすらもわかないほどのわずかな時間。次の瞬間、一陣の風が吹き抜けた。
 風だ、と思った次の瞬間、違和感を覚えた。はらり、と腿あたりに何かが落ちる感触があり、ふと視線をやって気づく。己のネクタイが根元から切断され、下に落ちている。首元に手をやれば、結び目だけが残されたネクタイがあった。どうやら真っ二つに切り裂かれたらしい、という事実だけを把握するが、一体何が起きたのかとんと理解出来なかった。
 彼らは出来の悪い生徒が、教師へ答えを求めるような表情で静貴を見た。当の本人はいたって涼しい顔をして、隣の士音を促した。彼らは黒髪の少年へいぶかしげな視線を向ける。
 静貴と共に入ってきた少年の内、士音はほとんど目立つことがなかった。何せ結人の美しさに全ての人間が目を奪われていたため、士音のことなど頭からすっかり抜け落ちていたのだ。目敏い人間であれば、音のしない歩き方や無駄のない体の運びに気づいたのかもしれないが、いかんせん頭だけ大きくなった人間には通じなかった。
 士音は無言で一歩前へ進み出ると、腕を突き出した。ぱっと手を開けば、そこにあるのは色とりどりの布の群れ。よく見ればそれは、今まさに切り裂かれたネクタイの一部のようだった。柄や形状から確認しても、ほぼ間違いがない。一点もののネクタイを着用している彼らのこと、それが己のネクタイであることは一目瞭然だった。
「これがどういうことか、わかんねぇわけねーよなぁ?」
 人の悪い笑みを浮かべた静貴は、面白そうに言葉を紡ぐ。姿勢悪くふんぞり返ったまま、喉元に指を突きつけた。
「テメエたちが気づかない内に、喉元すっぱり切り裂けるってことだぜ?」
 静貴は淡々と言葉を告げた。今の行いはコイツがやったことだ、と士音を示すが、言われた本人はぼんやりした顔をしているだけだった。彼らは半信半疑といった顔で士音を見つめる。士音の様子は俊敏な動作とはまるでかけ離れているし、何よりさっきの瞬間にこの少年が何かを行えたとは思えない。何せただ風が吹いたのだという認識しかないのだから。
 その様子を即座に感じ取った静貴は、「仕方ねーなぁ」と言いながら士音を手招いた。とことこと歩いて来た士音に耳打ちをすればこくり、とうなずく。次の瞬間士音が現れたのは、彼らの内の一人の背後。
 軍人畑の人間で、齢を重ねても体力には自信のある人間だ。人の気配にも敏感で、背後を取られることなど有りえないと言ってよかった。しかし今、目の前で士音は後ろに立っている。さらに、その手には小さなナイフが光っている。
「うごいたら、さす」
 舌足らずな言葉で告げると、手に力を込める。首すじに赤い線が浮き、垂れ落ちる。言葉を失ってその様子を眺めているのは、何を言えばいいかわからなかったからだ。よりによって、背後を取られるとは思えない人間が後ろから刃物を当てられている。何よりも、一番恐ろしいのは、動きが一つも見えなかったことだ。瞬きをした次の瞬間には背後に下り立っていた。それが意味するものは何か?
 常人ならば有りえない速度で移動することが出来るのだ、目の前の少年は。常識外と言っていい。普通の概念から大きく外れた身体能力を、この少年は持っている。それはつまり、化け物じみたような。
「つーわけだから。無理だなんぞ言おうものなら処分な」
 別に代えなんていくらでも利くし、とさらりと言い切った。そこでやっと彼らは悟る。「無理ならいい」という言葉はつまり、無理だと言おうものなら即座に処分する、ということだ。
「まあ? もちろん生易しく死ねるとは思うなよ? 表に出たら指差されて家族から爪弾きにされて、そんでもって汚名ひっかぶらせて社会的に抹殺してから死んでもらうから」
 殺し方は俺の気分で、ときっぱり言い放つ静貴には、悪びれる様子などもちろんない。当たり前の顔で「這いつくばって靴でも嘗めてもらっても嬉しくねーし、一番嫌な死に方させて楽しむから」と呑気に告げる。そこにはもちろん、目の前の彼らに対して尊厳など欠片もなかった。
「死にたくなきゃ、精々尻尾振って俺の期待に応えるんだな」
 そうでなければどうなるかなど、答えは簡単だった。目の前で見せつけられた、少年の動き。それが人間離れしたものであることなど、一目瞭然だ。普通の人間が太刀打ち出来るはずがない。どれだけ屈強な人間を取り揃えた所で意味がない。瞬きした次の瞬間、別の場所へ立っている人間など、最早別次元の存在なのだから。