Note No.6

小説置場

Scene

 入学式が終わって学校にも慣れ始めた頃。始めてのちゃんとした飛行の授業があって、自分たちが訓練生である、という自覚が薄ら芽生え始めた辺りだ。
 授業が終わって開放された俺たちは、散り散りに寮へと帰った。しかし、俺は学校紹介の時にだけしか見たことのない図書館へ行ってみよう、と思い立っていたので、クラスメイトたちと別方向へ歩いていた。学園は広く、あまり高い建物がないせいで空が広い。クァラ=イクスで作られたドーム型の天井に覆われているとは言っても、透明に磨きこまれた鉱石は、覆いがあることに気づかせないほど透明だった。
 確かこの道であっていたはず、と図書館へつながる角を曲がった時だ。頭上から、声が降ってきた。反射的に首を上げても、誰もいない。飛行中の人間に声をかけられたのだろうか、と思ったのだけれどそんな影はどこにもなかった。だから、空耳だろうと思って通り過ぎようとした。しかし。
「ああ、ちょっと待って、待ってってば!」
 先ほどより強い響き。俺は足を止めて、後ろへ視線をめぐらせた。一体どこからこの声は聞こえているんだ。周りの建物から人の顔は出ていないし、飛行中の人間もいない。何なんだ一体、と思っていたら、再び声が言う。
「ちょっと、根元にある鞄取ってくれないかな」
「……」
 角を曲がった所にある大木の、根元へ視線を移す。そこには学校指定の茶色い鞄が転がっており、そのまま視線を上へ向けていくと、なるほど木のてっぺんから人の靴らしきものがのぞいている。ほとんど同化していて、目を凝らさなければわからないけれども。
 どうしようか、と思っていると声は続けた。「その中にあるものが必要なんだ、お願いだよ」と言うけれど、声にはあまり真剣さがなかった。それ所か、楽しんでいるような空気さえある。どうしようか、と転がった鞄と樹上の靴を見比べた。別に放っておいても、この学園の生徒なら飛行出来るはずで問題はない。今は飛べなくとも、その内教師が見つけるだろう。
 そう結論付けて、8割方見捨てる方向に傾いていた意志を覆したのは、他ならぬ声の主だった。軽い声で、まったくもって当たり前の顔で、言ったのだ。
「飛べないなら、登ってでもいいからさ」
 目の前の樹木は、精々高さは10メートル程度だろう。これくらいの高さすら飛行出来ないと思われているのか。いくら入学したてだと言ってもその言い草はないだろう。要するにカチンと来て、俺は鞄を引っ掴むと意識を集中させて、木の上まで飛んだ。
 やや高くまで飛びすぎた所為で、ゆっくり下降していく形になる。目に入ったのは、尻から木の上に落ちたような格好で俺を見つめる人間の姿だった。仰向けの状態で空を見上げ、何だか呆けたような顔をしている。このまま鞄を投げつけて帰ってやろうと思ったのだが、そうはしなかった。
 どういうわけかこの人間は、満面の笑みを浮かべたからだ。ぼけっと俺を見ていたくせに、数十秒してからにっこりと笑った。まるで、昔からの知り合いを見つけたような顔で。会いたくてたまらなかった人間を前にしたような顔で。
 あんまりそれが間抜けだったもんだから、毒気を抜かれてしまったのだろう。投げつけるのは止めにして、近くまで行ってやって鞄を手渡した。そいつは「ありがとう!」なんて溌剌とした笑顔で言うと、鞄に手を入れる。何を出すのかは知らないが、これで用はないだろう。このまま図書館まで飛んでいくか、学園内なら一応飛んでもいいらしいし、とか思っていたら「待った!」と叫ばれた。
 何だ、と見れば「ちょっと待ってて!」と言われる。そいつは鞄から取り出したらしき青い小瓶を一気飲みすると、深く深呼吸した。何か用でもあるのか、とそれを見守っていたら、もぞもぞと体を起こした。
「ごめん、ええと、僕はフリーツ。ウィステン・フリーツだ」
 顔いっぱいに笑みを広げると、そんなことを言われた。まさか名乗られるとは思っていなかったので、反射的に「ノノト・シュウゴ」と答えてしまった。習慣というヤツは恐ろしい。
「わお、ノノト? いいね、ノノって呼んでもいい?」
「勝手にしてくれ」
 特に自分の呼び方にこだわりはないので、そう答えた。フリーツは至極満足そうな顔で、口の中で俺の名前を転がしている。唇に馴染ませようとしているみたいだ。
「ああノノ、そんな所で浮いてないで。ほら、隣にどうぞ」
 ぽすぽす、と空いた場所を手で叩く。さわさわと揺れるけど、木はまるで微動だにせずたたずんでいる。
「ノノはもしかして、新入生?」
「…そーだけど」
 どうしようか、と悩んでいることにも気づかない顔で、フリーツは言葉を投げる。制服の色を見れば、新入生だなんてことは一目瞭然なわけで、嘘を吐く必要もないから答えただけなのだが。フリーツは取って置きの秘密でも聞いたみたいに、鼻歌なんて歌っている。
「僕は3年生なんだけど、ノノは飛ぶのが上手いだろう」
 尋ねてはいるけれど、ほとんど断定に近かった。しかし、まだ授業が始まったばかりの俺には、イマイチ自分の飛行能力がどんなものかはわからない。だから答えようがなかったのだが、フリーツはそんなことに構わなかった。
「うん。まだわからないって思ってるかもしれないけど、ノノは上手いよ。今の飛び方を見ればわかる」
 自信たっぷりに言うと、再び自分の隣を示した。俺は数秒考えてから、フリーツの隣へ腰かける。木の上というのは安定性が悪い上に、枝の先がちくちくとしていて座り心地がよくない。しかし、苦もなく腰かけているフリーツにそんなことは言いたくないので、黙っていた。
「ぶれることなく、真っ直ぐに飛んでた。僕の隣にも来られたし、何より一定時間空中に浮いていることが出来る。新入生でこれだけのことが出来るんだ、ノノの飛行能力はかなり高いね」
 自信たっぷりに言い切る。得体の知れない人間にそんなことを言われても半信半疑ではあったが、褒められて悪い気もしないので、ただ聞いている。するとフリーツは、「だから」と続けた。
「これからもっと飛べるようになるからさ。その時一緒に遊んでね。予約だよ!」
 鼻息荒く言われて、何言ってるんだこいつは、と思ったのだが。自分のクラスや寮番号、連絡先まで書いて渡すもんだから、どうやら本気らしいと悟る。この時はまだ、単なる変な人間だとしか思っていなかった。だから、後々こいつが学園の有名人であり、桁外れな力を備えているのだと知った時は本気で驚いた。