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Note No.6

小説置場

ひかりさす

「世界で一番大きな丸を」

 痛ましいほどの、その背中。

 嗚咽のようだと思った。声は乱れることなく、それ所か強ささえ感じるほど真っ直ぐとしていた。はっきりと耳に届いた。それなのに、嗚咽のようだった。実際それは、ほとんど悲鳴に近かったのかもしれない。
 声にならなくとも。言葉にならなくとも。こんなに悲しい決意を、こんなに胸を塞がれるような思いを、私は他に知らないから。
「俺は、俺を認める」
 きっぱりと放たれる言葉は、宣誓なのだろう。ここにはいない誰かに向けて、たった一人の親友に向けて。
「俺は俺の能力を、俺自身を、この上なく誇りに思う」
 拳を握り、深く息を吸い込み、熱い言葉を乗せる。凛として勇ましく、他の何者も寄せ付けないほどの気高さを備えている。古の伝説に登場するような、崇高な賢者が発する言葉に勝るとも劣らない。ひざまずきたくなるような、崇めたくなるような、そんな雰囲気が辺りに満ちる。
 きっと強い目をしているのだろう。何もかもを見透かして、どんな嘘も許さないような。揺るがない意志を乗せて、どんな物にも打ち勝つほどの、強靭な決意を込めている。
 誰もがきっと、ひざまずく。誰もがきっとその意志に触れて、震える。あまりに強く、凛とした背中を讃えようとするだろう。
 それなのに、私は叫び出したくてたまらない。大声で泣きたくて仕方がない。叫ぶことも泣くことも選ばないその背中に、もういいのだと言いたい。もういいのに。そんな風に言わなくていい。強く美しい決意など、揺るがぬ強靭な意志など。そんなもの、抱えていなくたっていい。
 だけどうなずきやしないことを、私は恐らく知っていた。だからこんなにも、この背中は痛ましい。強くてやさしい、その背にのしかかるものの重さが、どうしようもなく痛かった。
「俺は誰にも負けやしない」
 優秀な能力を有しているのだと、声高に宣言する。誰もが羨むほどの功績を持ち、秀でた記録を収めている。世界中で一番優れているのが自分自身なんだと言ってはばからない。
 強がりのようにも聞こえるだろう。世界一だなんて自惚れでしかないと思う人間もいるだろう。それでも、言うしかないのだ。臆するわけにはいかないのだ。他の誰がそれを笑っても、有りえないと嘲っても、世界中でただ独り、疑ってはならない。心から信じていなければならない。
 それこそが、課された使命。背くことの出来ない絶対命題。誰かに強制されたわけでもなく、そうであるように作られたわけでもない。ただ選んでしまったのだ。誰よりもやさしくて、強く真っ直ぐな少年は、選んでしまった。
 もういいのに。そんなこと、言わなくていいのに。誰も強いてなんかいないのに、誰も責めたりなんてしないのに。それなのに、世界中で何より誰より一番、自分自身が許さなかった。
「シュウゴ」
 名前を呼んだ。揺るがない背中に向けて、微塵もぶれない人に向けて、名前を呼ぶ。シュウゴは返事をしない。わかっているけど、呼ぶしかなかった。だってもう知っている。傲岸不遜の意味を、生意気な態度の理由を、誰よりも何よりも自分自身を誇ることの、どうしようもない訳を。
「シュウゴ」
 いつの頃からかわかってしまったのだ。自分自身を決して卑下することがないのは、なぜなのか。己の能力を、過信とも言えるほど絶対的に信頼しているのはどうしてか。それは決して嘘ではなかった。本当に心から思っていて、偽りは微塵もなかった。だけど、その理由を知ってしまった。
 後ろからそっと手を触れる。硬く握りしめられた拳に、わずかに触れる。振り払われはしなかった。ただ真っ直ぐと前を見て、変わらず強い視線を注いでいる。きっとシュウゴは選ばない。泣き喚くことも、投げ出してしまうことも、もう終わりにしてしまうことも。
 それなら、ただここで触れた手からつながっていられたらいい。飲み込んでしまった悲しみも、隠してしまった苦しみも、この手から分けてもらえたらいい。それしか出来ない。
「…シュウゴ」
 答えはないけど、触れた手に力が込められる。握り返してくれたのだとわかって、強く力を返した。伝わりますように。届きますように。決して表には現れない、それでも確かに響く慟哭を拾い上げたのだと、その痛みも苦しみも、わずかでも引き受けると。
 シュウゴは決して、自分をへりくだったりしない。力は全て誇示し、謙遜することもない。功績は大々的に発表するし、業績を隠すこともせず、自慢げに語ることも厭わない。理由は一つだった。一つしか意味がなかった。
 命を賭して助けられた自分が、くだらないものでいるわけにはいかなかったから。
 本当は、誰より自分を許せなかった。本当は、誰よりも自分自身を罵っていた。いなくなればいいと思っていたし、消えてしまえと呪いを吐いていた。だけれどシュウゴはそれを許さなかった。自分自身を憎みきることに甘んじてしまえば楽だったのに。自分を許せないと思っていれば簡単だったのに。
 シュウゴは選んだ。助けられた命に意味はあるのだと、これだけの価値があったのだと、ただひたすらに声高に叫ぶ道を選んだ。何より憎んだ己自身を、世界中で一等の存在であると喧伝することを選んだ。
 許すことの出来ない存在を、手放しで讃えると決めた。世界中で一番憎い人間を、尊い存在へするための努力を惜しまなかった。痛ましいほど真っ直ぐで、やさしいその決意を、行動を、意志を。知った日から、私はきっとどうしようもなく、目の前の人間を愛して止まない。