読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Note No.6

小説置場

少年少女飛行倶楽部

「世界で一番大きな丸を」

 訓練学校生のよく聞かれる質問ナンバーワンは「どうやって飛んでいるの?」だと思う。家族や友人しかり、学校へ行くことを知った近所の人から、学園都市在住の方々、店の人に至るまで。
 要するに飛ばない人たち全員の疑問なのだ。まあそれもそうだろうな、とは思う。私だって、もしも水中で呼吸出来る人間がいたら「どうやって息してるの?」と尋ねるだろうから。
 そんなことを漏らせば、クレッセル先輩が「確かに」と笑った。きらきらと光を撒き散らして、ファンが見れば卒倒しそうな類の。しかし、シュウゴはいつもと変わらない表情で「聞かれたことねーな」と言い切る。
「嘘。いくらシュウゴでも昔は聞かれてたでしょう」
「いくら俺でもってのはどういう意味だよ」
「いくら人と接点の少ないシュウゴでも」
「律儀に言い直さなくていいっつーの」
 シュウゴはぶつくさ文句を言ってたけど、最終的には「…まあ、入る前には多少言われたかもしんねー」と渋々認めた。最初からそう言えばいいのに、と思っていたらクレッセル先輩がにやにやしているのに気づく。
「…どうしたんですか、先輩」
「いやー? ノノト・シュウゴも随分人らしくなったな、と」
 軽口の応酬が出来るとは成長したもんだ、と続ける。シュウゴが苦虫を噛み潰したような顔をしつつも文句を言わないのは、クレッセル先輩がシュウゴの親友(というかお兄ちゃんみたいな)フリーツをよく知る人間だから、だろう。それから、フリーツが一人きりを苦にしないシュウゴを心配してたから、らしい。
「…でも、俺も気になってるんだよね」
 ふと思い出した顔で言うと、先輩はシュウゴと私を交互に見渡した。「何が」と代表してシュウゴが尋ねると、先輩は満面の笑みで答えた。ファンが見たら黄色い声援が飛びそうだった。
「みんなさ、どうやって飛んでんの?」
 あっけらかんと放たれた質問だったけど、私とシュウゴは口をつぐむ。しんとした空気が流れて音が消えた。こうやって先輩の疑問に黙り込んでしまうのは、それがとても根本的な質問だったからだ。
 私たちのほとんど――というか、この学校の生徒はほぼ全員、ある日突然気づくのだ。自分が飛べることに、何の前触れもなく突然。ある日いきなり才能が目覚めるとかそういうことじゃなくて、生まれた時から持っていたことに気がつく。たとえば、自分には走れる足があったのだとようやく思い至るみたいに。言葉を紡ぐ喉や唇があったのだと、やっと理解したみたいに。
 才能や素質とは少し違うのだと、私たちは思っている。鳥には羽があるように、魚には鱗があるように、私たちは飛べるだけなのだ。天性のものだとか、生まれついての某とかじゃなくて、ほとんど単純に機能の問題なんだろう。ただ、それがどこにあるかわからないだけで。
「――それって、わりと初級科でよく言われますよね」
「あ、そうそう。自分の飛ぶ姿をイメージしましょうっていう」
「飛行想像訓練な」
 口々に言い合うのは、入学当初行われた授業の話。曰く、自分が飛ぶ過程をきちんとイメージしましょう。どうやって飛び立って、どうやって高度を上げて、どうやって進んでいくのか。きちんと頭に描いてイメージしましょう。
 ほぼ無意識でやっていることだから、改めて意識するのはわりと難しかった。自分がどうやって息をしているのか、を意識すると呼吸の仕方が変になってしまうように、新たに考え直すと何だかぎこちなくなってしまうのだ。まあ、そういう部分を経ることで、無意識による飛行から意識的な飛行へと変化させるための授業だったのだろうけど。
「イチイは早いよな、飛ぶの。昔からそんななのか」
 強い目をして言われるけど、別に怒っているわけじゃないことは知っている。いつだって真剣なだけなのだ、目の前の人間は。だから私もきちんと記憶を辿って返事をする。
「うん…そうだね。わりと早い方だったかな」
 周りには色んな人間がいて、飛び立ち方も様々だった。助走をつけて空中へ飛び出すもの、高い場所から飛び降りるもの、その場でひたすらジャンプを繰り返すもの、しゃがみこんでひたすらじっとしているもの――。そんな中で、私の飛び方は至ってシンプルだったのだ。
「ほぼタイムラグなしで飛べるって反則に近いよな」
 反則と言いつつも楽しそうな顔で、クレッセル先輩は言う。そうなのだ。周りの友人たちが何かしらの儀式を行ってから飛び立つのに対し、私がすべきことはたった一つだけ。「飛べ」と頭で思うこと。その瞬間、私は空へと上れた。
「あれってさ、どーなの。本当にただ思うだけ?」
 心底不思議そうな顔だった。シュウゴも首を捻っていて、「こういうタイプはいまいちわかんねーんだよな」と言えば、クレッセル先輩も大きくうなずいた。
「そうそ。俺は助走タイプだけど、何となくわかるだろ。こう…透明な階段を駆け上がってく感じなんだよ」
 指で空中にじぐざぐを示した。恐らく、学校で一番多いのがこの助走タイプだろう。弾みをつけて空に上がり、そのまま空中へ登っていく感じ。クレッセル先輩みたいな階段と、魔法の絨毯に喩える2タイプあり。
「ああ。それはまあ、わかるな」
「だろ。シュウゴは――念じる方だっけ」
「そうだ。何ていうか、精神統一して自分の浮力上げるっつーか。体ごと浮かすっつーか」
 自分自身に精神を集中させて、体ごと上に持っていくというのがシュウゴのスタイルで、学校にも一定人数が存在する。精神統一タイプと呼ばれている。その他にも、特殊な道具を使ったり言葉をきっかけにする儀式タイプとか、高い場所から落ちてから浮上する落下傘タイプとか色々ある。
 どれも言えることは、飛び立つまでには時間がかかる、というもの。訓練を重ねれば時間は短くなるから、助走が必要だったり精神統一しなくちゃいけなくても、数秒くらいのものなのだけど。
「数秒で結構差はつくからな」
「うん。だからイチイのスタートの速さは目を見張るものがあるよ」
 確かに、飛び出しの速さだけは誰にも負けなかった。最初の授業で一斉に飛んでみた時、誰もいないから本気で慌てたし、最後には私だけ一番遅い人間に合わせるように言われていた。
「あれは、本当に思うだけ? 何か唱えたりもせず?」
「基本的には思うだけ、ですけど。…まばたきした時、スイッチを入れる感じ、ですかね」
 クレッセル先輩に尋ねられて、慎重に思い出しながら答えた。飛べ、と思ってまばたきをする。そのわずかな瞬間に、恐らく私の体にはスイッチが入るのだ。どこにあるかもわからない、私でさえも知らないスイッチ。心で思うのと同じ速度で呼応する。
 言えば、二人は笑った。たぶん二人も知っている。この学校の生徒はみんな知っている。自分の中にある、自分だけのスイッチ。それを点火する手段が、助走だったり精神統一だったりするわけで、誰もがみんなスイッチを持っているのだ。
「まあつまり――俺たちは、飛ぶためのスイッチを持って生まれてきたんだよな」
 まとめるようにクレッセル先輩が言って、シュウゴとうなずいた。天性のものでも類まれな才能でもない。ただ私たちは気まぐれに、飛ぶためのスイッチを持たされて生まれた。きっとそれだけで、スイッチがどこにあるかもわからない。
 でもただ一つだけ確かなことがある。揺るがない絶対の事実を知っている。
「どうやって飛んでいるの?」と聞かれたなら、スイッチを押している、というのが正しいんだろう。だけど、本当はもっと根本的なことがある。いくらスイッチを持っていても、いくら機能を備えていたとしても。飛ぼうと思わなければ、飛ぶのだと決意しなければ。この心が望まなければ、空を飛ぶことなんて出来やしないのだ。

 

Title:加納朋子『少年少女飛行倶楽部』