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Note No.6

小説置場

塵芥

「Crossing Game」

 あれだけが、僕の唯一の後悔だ。

 部屋の錠前は、定期的に配列が変わる11桁の数字の羅列だ。メインシステムに侵入して、その配列の順番を割り出すことは容易かった。何せ、彼らが自らそういう能力を伸ばせるよう、最大限の環境を与えてくれたのだから。
 部屋の前を行き来する研究員の動向や、警備員のシフトタイム等を照らし合わせ、どの間隙を突けばいいのかを割り出す頭脳も彼らが与えた。元々知識を溜めることが好きだったし、何よりそれを実践として使用することが一番の喜びだった。彼らもそれを大いに奨励し、僕が勤しめば勤しむほど、褒めたたえた。だから、きっとこれから行うことは彼らにとって最大限有意義なことなのだろう。
 皮肉に満ちてそんなことを思いながら、人気のない廊下を歩く。全ての監視カメラの位置と、画面が切り替わるまでのタイミングは頭に入っている。いざという時どんな行動を取ればいいのか、僕の頭は何種類もの答えを用意していた。
 遠くから足音が聞こえた。数秒それを聞いていたけど、緩慢な足取りから音の主を推察して、このまま進む方が得策だと判断する。案の定、角を曲がった先にいたのは研究所主任だった。機械類のことにはあまり詳しくない、生理学寄りの人間。恐らく解除コードのことなど、何一つ知らされていないし理解する気もない。
「…おお、一陽くん。どこへ行くんだね」
 君の授業はもう無いはずだけれど――と言いながら捲りあげるファイルには、恐らく全員の予定が詰まっている。それは、僕個人だけのものではなく、全ての"一陽"の。
「ええ、暇が出来たので図書室へ行こうかと。…父にも時間があれば読書へ励むように、と言われていますし」
 頭を掻くふりをしながら、腕時計をしっかりと見せ付けた。この時間に暇な「一陽」の番号を見ておいてもらわなくては困るのだ。今、団体授業を受けている誰か別の「一陽」が抜け出して来たなどと思われては困るから。
 研究所主任は、何でもないふりをしつつ僕の腕時計を確かめる。そこに刻まれた、固体番号をしかと見届けろ。父からの贈り物として、肌身離さず持つよう言われている代物だ。固体番号を記し、恐らく発信機の一つでもついているだろう腕時計。個人的には即座に叩き壊したいけれど、それをやるのは今ではない。
「……ふむ、勉強熱心なのはいいことだ。父上も鼻が高いだろう」
 どうやら僕が、本当に空き時間を持った「一陽」であると確認したらしい。主任はそれだけ言って、朗らかに「頑張るんだよ」と言った。「みんな君には期待しているからね」とも。僕は「ありがとうございます」と笑みを返してから、主任とすれ違った。
 誰もいなくなったのを確認し、適当に貼り付けておいた笑顔を剥ぎ取る。外面だけは良くしておいたのは正解だったのだろう。こういう時、わりとあっさり通してもらえるのだから。
 さっきの台詞も、一ヵ月前の僕ならもう少し素直に受け止めただろう。頑張るのは他の誰でもない自分のためだし、期待するのは勝手だけどまあわからなくはない、くらいには。誰かのために知識を溜めて、頭脳を磨いているわけじゃないし、"みんな"の期待など知ったことかと思っていた。だけど、自分の頭脳が優秀なことも知っていたので、期待をかけられるのも当然だと受け止めていたのだ。
 一ヶ月前、自分と同じように期待をかけられた、たくさんの"一陽"がいるのだと知るまでは。
 暇つぶしと興味本位のためにのぞいた、メインシステムだった。一番好きだった情報技術の授業内容は、あくびが出るほど簡単なものだったけど、あまり腕を知られていない方が遊びやすいだろう、というくらいの理由で、僕は能力をかなり下げていた。ボロが出ないよう、誰もがその程度だと納得出来るくらいに。だから、彼らはまさかメインシステムに侵入する一陽がいるなんて思わなかっただろうし、痕跡すらも残さず立ち去ることなど有りえないと思っていたに違いない。
 だけれど現にそれは起こり、僕は全てを知ってしまった。
 広い屋敷のあちこちに散らばる、たくさんの一陽たち。みな同じ名前を持ち、同じ顔をして、同じようにただ一つの期待だけをかけられて育てられていた。たった一つ、優秀な頭脳と完璧な肉体と、麗しい容姿を持った、完璧な後継者・日野神一陽になるように、と。
 集団で育てられている者もいたし、一人ずつ異なる環境下で育てられている者もいた。環境の違いで、外見には多少なりとも違いは生まれていたが、元々の素材は同じなのだから、どことなく全員が似通っているのは仕方ないだろう。
 僕は全ての情報に目を通し、自分が一陽候補の一人でしかないのだと知ってしまった。嘘だと思ったし、壮大なペテンにでもかかっているのじゃないかと疑ったけれど、誰もネタばらしをする気配もない。何より実際に自分の目で、自分と同じ顔をした集団を見てしまえば、疑う余地などない。
 鏡張りの廊下に足を踏み入れた。そこに映るのは、とてもよく見慣れた僕自身の顔だ。この広い敷地内にいる、たくさんの他の誰かと同じ顔。抜けるように白い肌、影が出来るほど長くふっさりした睫毛、形のよい眉、鼻筋、紅をさしたような唇、薔薇色の頬。思いつく限りの美しさをつめ込んで、細心の注意で配置したような顔は、きっと誰もが美しいと言う。
(…くそ)
 僕は自分の顔が嫌いではない。女性に寄りすぎているとは思うが、美しいものは美しいのだから構わなかった。だけれど、それよりも僕自身を好ましく思っていた理由は、それだけじゃなかった。
 髪質はやわらかい方だから、手を入れるとさらさらとこぼれていく。よくこの髪に手を差し伸べて言っていた。僕はそれを覚えていた。嫌になるくらい細かく、何もかも。
(絶ッ対に髪伸ばしてやる)
 胸中で決意を固めた僕は、足早に廊下を進む。ここを出て、一陽ではない僕自身になってやる。そしたら絶対に短髪になどするものか。長髪にして、前髪だって伸ばしてやる。
 僕の髪に手を差し伸べて、頬を撫でて、瞳をのぞきこんで言っていた。僕はたった一人の僕なのだと、疑いもなく信じていたあの頃。アイツは、憂いを含んだまなざしで言っていた。
『お前の瞳は、亡くなった母親にそっくりだ。だからどうか、よく見えるようにしていておくれ』
 その言葉を忠実に守っていただなんて。顔も知らない母とのつながりが嬉しかったなんて。父にそう言われることが誇らしかっただなんて。
 思っていたことが、僕の唯一の後悔だ。