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Note No.6

小説置場

夜明け前

 行き倒れの子どもを連れて行ったのは、気まぐれだとか何か展望があったからではない。単純に、食事の時間に遅れそうだったからだ。年端も行かないあの子は、何より食事が遅れることに癇癪を起こすのだと、ジクロはよく知っていた。
 もっとも、同年代(に限らず子ども)との接触がない彼のことを心配していた、という側面がまったくなかったとも言い切れないのだが。
「…なに、ソレ」
 食材をつめ込んだバスケットを受け取って一通り歓喜してから、腕の中にいるもう一人にようやく気づいたらしい。純粋な疑問を持った目で、気を失った子どもを見つめている。
「食べもん?」
「違います」
 恐らく、彼の中ではほとんどの物体が「食べられるか否か」に二分されている。最近ではようやく、「作る人」という分類が出来たようだけれど。
「ここへ来る途中で、倒れているのを発見しました」
「食うの?」
「違いますよ」
 やんわりと否定を続けていると、どうやら「食べ物ではない」ということは飲み込んだらしい。同時に興味もなくしたらしく、完全に眼中からなくなってしまった。ジクロはそっと溜め息を吐いた。もしかしたら同じ年頃の子どもに興味を持つかもしれない、と思ったけれど、どうやら駄目だったようだ。
 だからと言って世話を放棄するつもりは毛頭ないので、部屋を借りる旨だけを申し出て、ベッドへと寝かせた。部屋だけは数多くあるので、どこを使っても構わないのは有難かった。簡単な診察の結果では、特別な外傷は見られなかったし、心臓の鼓動も正常だ。随分痩せ細っているので、行き倒れていたのは空腹が大きな原因かもしれない、と判断している。
 ジクロは一通り部屋を整えてから、食堂へ戻る。今か今かと食事を心待ちにして、スプーンとフォークを握りしめている姿が目に入り、そっと息を吐いた。食材を分け与える、という選択肢など恐らく彼にはないのだろうけれど。
「ライッデルトニーヴェ」
「ん?」
 正式な名前を呼ばれて、幼い少年は顔を上げる。足をぶらぶらさせながら、そんなトコ突っ立ってないで早く飯作ってくれよ、という目でジクロを見ている。気づかないふりで続きを口にした。
「あなたの食事は充分に作りますが、あの子のためにいくらかの食材を使いますよ」
 何も言わずに勝手に作ってしまえばいいのだが、彼の嗅覚はすぐにそれを嗅ぎつけるし、どういうわけか食材に関してだけの記憶力はいいのである。勝手に作ってもバレてしまうのが落ちだろう。
「嫌だと言うならもうここには来ませんし、食材も持っては来ません」
 それはつまり、これまでの食生活に戻れ、ということだ。食材などなくても死にはしないことは知っているが、彼がそれを好んではいないことも充分知っていた。だからこそ、ジクロはこうして歓迎されているのだ。
 彼は何かを言おうとしたようだが、言葉に詰まって唇を結んだ。食事を分けるなんて嫌だ、だけど前の食事の方がもっと嫌だ――そんな所だろう。
「……やっぱ、食うの?」
 数十秒間むっつり黙り込んだ後、口を開いた。かと思ったら吐き出されたのはそんな言葉で、ジクロは思わず耳を疑った。一体どこをどうしたらそんな結論になるというのか。この子の思考回路はよくわからない。
「太らせて食うの?」
「食べません」
 否定しつつ、なるほど、と思った。恐らく彼は家畜を太らせてから屠るように、あの子を手厚く看護するのかと思っているのだろう。そうでなければ、どうしてそこまでして助けようとするのか理解出来ないのだ。
 それは悲しいことなのかもしれない、とジクロは思う。彼にとって他の誰かはそんな意味しか見出せない。真実の意味で、一人で生きていくことが出来るからこそ、誰の手も必要としない。だから誰かを助ける必要など感じたこともないし、意味もない。打算的な理由さえ持たない彼には、純粋な人助けの精神も恐らく理解出来ない。困っているなら切り捨てればいい。足手まといなら置いていけばいい。邪魔になったら捨てればいい。それが当然の世界で生きてきたのだから。
「……元気になれば、あなたの遊び相手になるかもしれませんし」
 唯一、彼が反応を示す点を挙げてみる。一人で生きていくことが出来る彼だけれど、それは全てが薔薇色ではないのだ。彼はまだそれを不幸だとは呼ばないけれど、ただ退屈だと零している。案の定、ぱっと顔を輝かせて尋ねた。期待に満ちた目で、輝きを撒き散らすように。
「あいつも、きゅうけつき?」
「人間でしょう」
 答えると、唇を尖らせた。それはきっと同じではないからだ。決して同じ位置で、同じ世界で物を見てくれないのだとわかってしまうからだ。この世界にほとんど現存しない吸血種の生き残りの少年と、世界を分かち合うのは難しい。人間には持ち得ない、圧倒的な力を持った彼らは最初から、領域が違いすぎる。
 ジクロはなるべく理解したいと思うし、努めているつもりではある。だけれど、決して彼の満足するものではないのだということもわかっていた。だからもどかしい。一人で生きていける少年は、同時に一人で生きていく世界の味気なさを、嫌というほど知っている。
「それでも遊び相手にはならないとは限りません」
 ただもうジクロには、望みをかけるしかない。だからこんな風に、気休めのような言葉を紡ぐしか出来ない。どうかこの子に、もしかしたら世界で一番孤独なこの子に、隣で歩いてくれる人が出来ますようにと。あの子がそうであったらいいと。願うしか出来ない。