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Note No.6

小説置場

動き出す世界

 最初に見たのは柔和な老人で、次に目を醒ました時に見たのは同じくらいの年頃の少年だった。
「…お?」
 明るい茶色の髪に、同じ色の瞳。小さな鼻、健康的に光る頬、大きな口。尖った八重歯が見える。ぼんやりとそんなものを眺めていたら、眼の前の少年が満面の笑みを浮かべた。
「起きた!」
 耳元で弾けるような声だった。首を動かすと、枕元の椅子に座っているのだとわかる。全体像が目に入り、僕の頭は素早く情報を叩き込む。簡素な作りではあるけど、繻子のブラウスに貝ボタンがあしらわれている。一つ一つに細工が施されているし、かなりの値がするだろう。履いているズボンはどうやらビロードだし、金ボタンがついている。ぶらぶらと揺らす脚には、子ども用の磨きこまれた革靴。全体的な装いから考えて、本物の革だろう。結論、かなり裕福な家の子どものようだ。
 簡単に辺りを見回しただけでも、推測は裏付けられる。僕が寝ているこのベッドは、しっかりと体重を支えた上で、深くやわらかだ。かなり上等なバネが入っているのだろうし、かけられた布団は確かな質量があるようだけれど、重さを感じさせない。高級な羽毛が使われている可能性が高い。それ以外にも、ぼんやりと見える壁紙は刺繍入りだし、天上に取り付けられた照明にまで、緻密な細工がされている。要するに、部屋中の全てに職人の手が入っているわけで、贅を尽くしている。
「…ここはどこ、」
 声がかすれて上手く言葉にならなかった。だけど、少年の耳には届いたらしい。きらきらとした笑みで言い切る。
「俺の家!」
「……そうじゃなくて」
 他人の家だとは思っていない。というか、彼の家だろうということはほぼ確信しているのに。
「住所は」
 僕が聞きたいのは、ここが大陸内の何という町で、誰の家なのか、ということだった。自分の居場所が分からなくては、これからの身動きが取れない。少年は不思議そうな顔をして、それでも口を開いた。
「だから俺の家」
「……」
 頭が弱いんだろうな、と思った。それか監禁でもされてて外へ出たことがないから住所を教えてられていないとか? 一応考慮に入っていた可能性を思い起こす。こんなにいい洋服を着ている所から見ると、貴族だとしても違和感はない。それなら、互いの領地の不可侵条約の証拠・信頼の証という名の、体のいい人質として、子息が送られるということも有り得る。それなら、上等な服を着せてだけれど外へ出さない、ということも理解出来る。
 だけどそれにしてはどうなんだろう。さっきからここを「俺の家」だと言っているけれど、そうやって交換に出された子どもなら、「自分の家」だなんて言うだろうか。
 第一、現在この辺りでそういう契約をしている貴族なんて、いないはずだ。全ての貴族の情報は頭に入っている。倒れるまでの僕の記憶が正しければ、の話ではあるけど。
「…ここは、誰の領地?」
 身なりから考えて間違いなく貴族の血筋だ。それなら、誰の領地かくらいわかるはず。ただ、嘘を教えるという可能性も否定は出来ない。相手の求める情報がわかっているならば、それが決定的なカードになり得る可能性がある。易々と教えることは決して得策ではない。こちらの手札をなるべく多くしておくためにも、迂闊に答えるなどというのは愚行でしかない。
 いつもならばもう少し慎重に質問を運んでいる。だけれど、今の僕には腹を探り合うほどの体力がなかったし、第一、こうして完全に捕らえられてしまっているのだ。それなら、下手に策略を巡らせるより、直球勝負に出た方がいい。少なくとも頭の回らない、ただの子どもだと思われる。
「え。ヴラドーゲイトだけど」
 少年はあっさり答えた。隠すそぶりなど微塵もない顔で、何当たり前のこと言ってんの、という顔だ。なるほど、確かに僕はヴラドーゲイト家の領地まで辿り着いたし、記憶との齟齬もない。だけれど。
「誰の直轄地かって聞いてるんだけど」
 ヴラドーゲイト家は確かに、名目上ヴラッディリア大陸全土を治めていることになっている。ただ、実体はヴラドーゲイト家の臣下である貴族や教会に下賜しているから、直轄地はそれぞれの貴族や教会になるのだ。
「お前何言ってんの? だから、ヴラドーゲイトが治めてるっつーの」
「嘘ならもう少し上手く吐いてくれる?」
 ヴラドーゲイト家の直轄地である町には、当然だけれど他の貴族がいない。だから、ヴラドーゲイトの直轄地には、こんな風に貴族然とした格好の人間がいるわけがないし、贅沢な暮らしなどもっての外だ。
 少年は明らかにむっとしたらしい。頬を膨らませると、「嘘じゃねーし」と言いきる。
「さっきから言ってんだろ。ここは俺の家で、俺の町だっつーの」
 泰然としたまま、いたって当たり前の顔で言葉を吐き出す。凛として、怯む様子は微塵もない。生まれた時から当然の、よく知った事実を語るような滑らかさで少年は言う。
「ヴラドーゲイト・サラリア・ドー・クレイヨエル・ライッデルトニーヴェは俺だもん」
 あっさりと当主の名前を告げた少年は、「嘘じゃねーだろ?」と楽しげに問いかけるけれど。
 眼の前の、同じ歳くらいのこの少年が? 頭の弱そうなこの子が? あのヴラドーゲイト家の当主だって? いやいやそんな馬鹿な、冗談にも程があるだろう。確かにほとんど公の場所には出てこないけれど、二十台後半の、壮健な若者だと聞いている。
 目を輝かせて「な!」と何かしらを期待している少年を見つめる。自分の目で見たことがないから、壮健な若者だというのも絶対だとは言い切れない。だけれど、この頭の足りなさそうな、馬鹿正直な(全てが本当ならば今までの言動は全て正しかったことになる!)少年があのヴラドーゲイト家当主だなんて。
「絶対嘘だ」