Note No.6

小説置場

straight blue

 思えば、最初にそれを意識したのがいつだったか、という記憶は驚くほどにはっきりしていた。
 それまでは微塵も意識したことがなかったので、ありのままを受け入れただとか全てを丸ごと認めた、とかいうのとも違っていた。たとえば目は2つあって鼻は1つ、というのと同じレベルの話でしかなかったのだ。
 だから、幼稚園に通い出したあの夏の日のことをはっきりと記憶している。今まで当たり前だと思っていたことが、誰かにとっては当然じゃないんだと、思えばあの日に私は知ったのだろう。同じクラスだったさくら組のコウイチくんの一言に、はっと胸をつかれたような気がしたのだ。
『なんで宥くんの目は青いの――?』
 それは私たちにとって、わざわざ言葉にする必要もない事実だった。私の目が黒い理由を説明する必要がないのと同じくらい、宥の目が青いことなんて、当然だ。綺麗な、とても深い青を持っているのが宥であってそれは単なる事実だった。
「…何」
 抑揚のない声でつぶやかれて、私は何でもない、と首を振った。目の前でマスクをしている宥は、淡々とはたきをかけていた手を止めてこっちを見ている。じっと見つめられていることに気づいたからだろう。
「いや、悪いなぁと思って」
「悪いわけないだろ」
 そんなことか、と言いたげな調子で宥ははたきを動かし始めた。丁寧に、置かれている物を決して傷つけないように。それでいてほこりはきちんと除去するべく、しっかりと手は抜かない。
「慎三さんのコレクションを整理するのに呼ばなかった方が問題だ」
 きっぱりと言いきられて、だよねぇ、と相槌を打った。
 慎三さん、というのは私のお爺ちゃんだ。只今掃除中なのは、生前お爺ちゃんが営んでいた古物商の店内。お爺ちゃんが生きている間随分入り浸っていたけど、いなくなってからしばらくは足が遠のいていた。でも、あんまり放っておくと中身を処分される恐れがある、というわけで時々こうして掃除を兼ねて整理している。小さい店だけど、物はいっぱいあるから一人だけじゃ大変だ、ということもあるけど、何より宥のことだ。呼ばない方が不機嫌になるに決まっている。
 肩をすくめて、有難いからいいんだけどねー、と傍らの像の土台を磨きながら言った。宥は表情を変えずにはたきをかけている。その横顔を見ていたら、ふと思い出して声を発する。
「あ、でも、通りすがりのお祖母ちゃん道案内するのはいいけど、遅刻しないように」
 この前の遅刻の原因を念頭にして付け加えると、宥が少しだけ「おや」という顔をした。それは「何で知っているのか」ではなくて、「そんなことを言うなんて」だった。
「うん。宥の性格は知ってるから。困っているお年寄りを放っておくとか有りえないし出来ないのはいいんだけど、さすがに四日連続だからねぇ」
「…タカがそんなことを言うとは意外だな」
 あまり意外そうには思っていない顔だけど、わずかに目を細めている。青い目が眇められて、にらんでいるようにも見える。きっと、宥にとっての至上命題に突っかかる発言をしているからだろう。
「たまにはクラス委員の顔を立てると思ってよ」
 わずかに困った顔で言うと、青い目の輝きがやわらいだ。中学に入って久しぶりに同じクラスになったので、うちの担任のことは宥だってよく知っている。たぶん悪い人じゃないけど、規律が大好きなわが担任は、遅刻やら未提出にものすごくうるさい。このままだと宥が目の敵にされそうだ。
「まあ、そこが宥のいい所なんだけどねぇ」
 雑巾がけをしつつ言うのは、困っているお年寄りを見かけたら絶対に見捨てない、という宥の姿勢について。
 困っている人を見ると放っておけないのではなく、困っているお年寄りを放っておけないのが宥だ。学校から遠く離れた場所であろうと送り届けるし、始業のチャイムが鳴る時間だろうとバス停で一緒にバスを待つ。それは天秤にかける手間も要らないほど、宥にとっての「当たり前」だった。優先するべきはいつだって、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんたちのことなのだ。だからこそ、休日の早朝から埃まみれになってうちまで来てくれているわけだった。
「そんな面倒があるなら、クラス委員なんてやらなきゃいい」
 無表情ながら言われた言葉に「そうなんだけど」とうなずく。新学期になると今回こそは止めよう、と思うことは思う。だけど誰も手を挙げない状況はいたたまれないし、クラスの雰囲気的にも早く誰かやれよ、という空気も好きじゃない。じっとりしたあの場所に押し込められるくらいなら、さっさと手を挙げてしまった方がマシだった。仕事自体は嫌いじゃないし。
「でも、誰かがやらなきゃいけないんだったら、自分でやって好きなように出来たらいいかなーって」
 実際クラス委員にそこまで権限があるわけじゃない。雑用の方が多い気もするけど、それくらい思っておかないとたまに自分でわかんなくなっちゃうし。宥は表情の変わらない顔で「すごいな」と言った。褒めるとか感嘆するのではなく、厳正な事実を述べるみたいだった。
 それを見ていたら、ふと思い出す。あの夏の日、いとも容易く私たちの当たり前は崩れてしまった気がした。当然だと受け止めていた事実が、ひどく間違ったことのように思えた。私たちと違うあの青い目を意識せざるを得なかった。
 だけど、宥は当たり前の顔をしていた。空よりも深くて、海より明るい色をたたえた目で、背筋を正して真っ直ぐ前を見ていた。だからあの時、すとんと納得したのだ。やっぱり。やっぱり、宥の目は青くていいんだ。私たちとは違うけど、だってそれが宥の当たり前だ。
「――あ、そうだ。これ」
 ポケットから探ったものを取り出すと、宥に向かって放り投げた。放物線を描いてゆっくりと落ちるそれを、宥は両手で受け取る。
「…何だこれ」
「おじいちゃんの部屋で見つけたの。たぶん、壊れた欠片だと思うんだけど。似てるからあげるよ」
 青い鉱物の欠片だ。引き出しから発見した時、自然と宥のことが浮かんだから、これは宥にあげようと決めていた。澄んだ色をしたこの青は、同じ色をした目を持つ宥が持っていたらいい。
「…ありがとう」
 てのひらでぎゅっと握りしめて、そんなことを言うから。私は「いえいえ」と首を振った。