読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Note No.6

小説置場

装う

「Operetta!!」

 袖を通すと、しんと気持ちが落ち着くのがわかった。襟を合わせて、帯紐を締める。袴をはいて、結わいてもらえば完了だ。きつく締め上げる度に、余計なものが絞り出されていくような感覚がある。
 ただまっさらに、私という存在だけが残る。飾りもなければ、期待も思惑もない。誰かの望み通りに動く必要もないし、常識やルールでさえも、どこか遠かった。それでいて頭はやけに冷静で、何だって出来る気がした。何にだってなれる気がした。
「杏里ちゃん、袴似合うねぇ」
「はは、そう? ありがとー」
 大学の友人には、高校時代における特殊環境の話をしたことはない。だから、ただ単純に「似合う」という表現なのだろう。だけれど、それは少し違うと思う。似合うというより、しっくり来るの方がきっと正しい。それは別に、私が和風顔だから、とか日本風の雰囲気だから、とかいう話ではない。単純に、慣れている、それだけだ。
(…シノさんとかに言ったら、そりゃそーだろ、て笑うかな)
 心の中で思い浮かべるのは、高校の友人だ。真っ先に出てくるのが、クラスメイトの女子でもなく、違うクラスの男子生徒というのもどうかとは思うけど、私としてはとても普通。
 だってずっと一緒にいたんだから。
 自然とそう思うのは、高校の特殊環境に原因がある。3年間、事あるごとに一緒にいて、色々とイベントをこなして、必要あらば袴で活動したりなんかして。そりゃもう仲間意識が芽生えない方がおかしい。
「何か、動き方もキレイ」
 友人が再びそう言うと、同じく試着に来ていたもう一人の友人も「そういえば」と口にする。そういえば、何かものすごく歩き方とか自然だよね。さらには、着物屋のおばちゃんまでもが、「あら本当」とか相槌を打っている。
「もしかして、弓道やってたとか?」
「いえ、やったことないですけど」
 苦笑しながら答えるけど、嘘じゃない。弓道なんてやったことがない。やったことがあるのは、ステージで踊るとか校門の前で挨拶運動とか座禅とか50mダッシュとか構内練り歩くとかそういうのだ。袴姿で。
 遠い目をして思い出していたら、机の上に出しておいた携帯電話が震えているのに気づく。着信だったので、ひとこと言ってからブースを抜け出して、ボタンを押した。流れてくるのは、正しくさっきまで思い出していた人物の声。
「もーしもーし」
「おー、ハネ? 今平気か」
「全然問題なし。袴の試着してた」
 そう告げると、一瞬の空白の後、電話の向こうで盛大に笑い声が弾けた。「袴か! 懐かしいな!」とか、そりゃもう楽しそうだ。
「でもお前、試着って何なの。散々着たんだから問題ないだろ」
「いや、試着ってのは動きを確かめるんじゃなくて。デザイン性の問題」
 どういう組み合わせがいいかって考えるんだよ、と続けると、楽しそうな声は答える。最大限に面白がっている感じ。
「そりゃお前。赤い着物に黒の袴だろ」
「言うと思った」
 高校時代、散々着ていた組み合わせだ。組み合わせは決定なので、それ以外の色を着たことがない。無地じゃないものもあったけど、それも小さく入っているだけ。基本的に柄がないので、ほとんど同じものを着ていた気がする。
「一生分着た気がするから別のにしよう! って思ったんだ」
 袴を選ぶに辺り、最初は確かにそう決意していた。していたはずだった。
「だけど、どうしても目が赤にいっちゃうんだよ。何かもうどうしても緑と黄色が選べないんだよ!」
 自分たちの学年カラーとは付き合いも長いし、緑と黄色は他学年カラーだし、ということで、最終的に目が行くのは赤地の着物ばっかりだった。いや、高校時代と違ってみんな柄あって綺麗だけど。
「はっは、そりゃーお前。我ら赤色学年、だからな」
 観念しろってことだ、と電話の向こうで強い声が響く。私も薄々そう思っていたし、何より私は赤色学年であったことを心から誇りに思っているクチなので、最終的にはまあいっか、となったのだけれど。
「まあそういうわけだから。相変わらずの格好ですよ。シノさんはスーツでしょ?」
「まーな。さすがに卒業式は着ないな」
 あっさり言い切るけど、卒業式はってどういうことだ、といぶかしむ。シノさんは、さらりと言葉を継いだ。
「その後、同窓会するかっつー話になってんだよ」
 っても、俺らだけだけどな、と言う。それでも、私としては大いに身を乗り出したい話だ。何それ同窓会ってどういうこと。連絡は取ってるけど全然顔合わせないんですけどみんな!
「ソウビとエンジもOKだっつーから。ハネもだろ?」
「もちろん」
「で、俺もOKだから、全員集合だっつったら、ソウビがさ。『服は家で用意する』と来たんだよ」
「……」
 ソウビの力強い笑顔を思い出す。きらきらと、圧倒的な美しさで人を言いなりに出来てしまうような、ソウビの笑顔。なるほど、思いっきり袴で同窓会する気満々なわけですね。
「…うん、でもいいんじゃない? 私、袴好きだし」
 答えると、電話の向こうでシノさんが笑った。「あれだけ着てりゃ慣れるしな。俺も好きだけど」と答える。
「つーか、あんだけ袴姿で過ごしてた高校生って、日本中探しても中々いねーと思うぞ」
「まあ、特にシノさんはよく袴だったよね。なぜか」
「設定もあると思う……けど、結構好きだったな。袴」
 とても清潔な気持ちになるのだ、とシノさんは言う。ゆるんだ気持ちを立て直し、糊をきかせるような、ぴしりと直立不動で立つような、そんな気分になるんだと言う。思わず笑ってしまったのは、同じことを考えているからだ。同じことを思っているからだ。
 しかし、シノさんは笑われたと感じたようだ。少しスネたような声で「何だよ」って言うから。私は心からの気持ちを込めて、「違うよ」と答える。馬鹿にして笑ったんじゃない。おかしなことを言ってるって思ったんじゃない。
「私もね、全く同じことを考えていたんだよ」